見出し画像

「おしょりん」:メガネで産業を興した福井・鯖江の起業物語。森崎ウィンの演技の旨さに驚いた。

<あらすじ>
明治37年、福井県足羽郡麻生津村の庄屋の長男・増永五左衛門(小泉孝太郎)と結婚したむめ(北乃きい)は、育児と家事に日々明け暮れていた。ある日、五左衛門の弟・幸八(森崎ウィン)が勤め先の大阪から帰ってくる。幸八は、村をあげてメガネ作りに取り組むことを提案する。メガネはまだほとんど知られてないが、活字文化の普及で必ず必需品になり、収入のない冬の農家の人々の暮らしの助けになるというのだ。初めは反対していた五左衛門だったが、視力の弱い子どもがメガネをかけて大喜びするのを見て、挑戦を決意する。村の人々を集めて工場を開き、苦労の末にメガネを仕上げるが、「売り物にならない」と卸問屋に突き返され、資金難から受けた銀行の融資の返済を厳しく迫られる。兄弟は幾度となく挫折するが、決して夢を諦めない強い心を持つむめは、そんな二人を信じ、支え続ける。兄弟と職人たちはむめに励まされ、最後の賭けに打って出る……。

KINENOTEより

評価:★★★☆
(五段階評価:★が星1つ、☆が星半分、★★★★★が最高、☆が最低)

眼鏡(メガネ)と言えば、福井・鯖江。小さい頃から近視でメガネな私にとって、今も昔も、福井の近隣県に住んでいると、鯖江のメガネの良さはどことなく伝わってきていました。メガネは昔は高級品で、矯正器具という医療品でもありつつも、1つのメガネを作るだけで何万も出費するという世界だったので、体育等の運動機会にメガネを壊すと親に迷惑をかけたなーという嫌な思い出がよみがえります(まぁ、メガネを壊すような運動神経の悪さが要因なんですけどね笑)。とはいえ、2000年代くらいから大手ショッピングモールにテナント展開するようなファットブランドのメガネメーカーが出てきて、メガネも一品モノから、ユニクロなどと同じように海外での大量生産で、よいデザインのものが安価に手に入るようになりました。一般庶民でもシーンや役割によって付け替えが可能なくらいの価格帯になってきたのは嬉しい面はあるものの、鯖江の人たちにとっては危機的な状況になったのは疑いの余地はありません。それでも最近ではネット戦略で、ファットブランドにはない高級路線を行くようになり、鯖江のメガネ産業も一時期の危機は去ったという話は何年か前に聞きましたが、それでも物価高・賃金安の世の中になってきて、また厳しい局面になっているのかなというのを本作を見ながら感じてしまいました。

とはいう私も一般庶民なので、ファットブランドなメガネを何年もだましだまし使っている身なのでなんとも言えません(笑)。余談はこれくらいにして、本作はそうした鯖江のメガネが、昔から思ってきたなぜ鯖江でメガネという問いを解決してくれるような起業物語を見せてくれます。日本の伝統産業というのは、焼き物にしろ、漆器類などにしろ、数百年以上になる産業では、その地域に根付く自然環境などの影響も多大にあるのですが、本作を見ても分かるように鯖江のメガネの歴史は明治期からスタートしているので、そんなに古くはありません。だから、鯖江という地域がどうというよりは、豊田織機が愛知で起業したのは豊田佐吉の生きた地であることと同様に、鯖江でメガネづくりを起こした増方五右衛門・幸八の兄弟の生きた土地が福井であったということ。それは雪深い北陸の地(特に、鯖江は山に近いので雪深い)に合って、作物の育たない冬の時期に出稼ぎや内職で生をつないでいくという過ごし方があり、そこに手先な器用な工芸としてメガネづくりが根づく土壌があったというのが映画の中で知ることができます。

映画としての見せ場としては、起業の中の苦悩の中で、衝突していく兄弟の仲を取り持つような五右衛門の妻・むめの存在が大きくクローズアップされます。現代とは違い、メガネづくりの様々な工程を分担して行う家内制工業の中で、バラバラになりそうな職人たちをつなぎとめるようなおかみさん的な役割をこなしていったことが、起業者である兄弟の裏で産業を支える女性の姿がうまく浮彫りになっていると思います。それに僕が驚いたのは、スピルバーグの「レディ・プレイヤー1」(2018年)で日本でも一時期人気が出た森崎ウィンの演技の老練さ。冒頭のむねのとの出会い時期の若々しさから、起業家として成長していく青年期まで雰囲気というか、空気感をうまく変えれるのは凄いなと思いました。正直、近作ではパッとしない印象が強かったですが、本作ではむね役の北乃きいとともに良い味を出してくれていると思います。

<鑑賞劇場>アップリンク京都にて


この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?