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「パトリシア・ハイスミスに恋して」:幸せと孤独の間に翻弄されて生きた一人のゲイ作家の数奇な人生を追う垂涎な作品

<あらすじ>
1921年、アメリカ・テキサス州フォートワースに生まれ、ニューヨークで育った作家パトリシア・ハイスミスは、1950年に長編デビュー作「見知らぬ乗客」を発表、本作は翌年アルフレッド・ヒッチコックにより映画化される。トルーマン・カポーティにその才能を認められ、「太陽がいっぱい」「アメリカの友人」「キャロル」など、映画史に残る名作の原作の数々を生みだした。中でも偽名で発表した「キャロル」は自伝的小説であり、1950年代のアメリカでハッピーエンドを迎えた初のレズビアン小説であった。しかしそんな栄光を手にしながらも、ハイスミス自身は、女性たちとの旺盛な恋愛活動を家族や世間に隠す二重生活を余儀なくされていた……。生誕100周年を経て発表された日記やノート、貴重な本人映像やインタビュー音声、タベア・ブルーメンシャインをはじめとする元恋人たちや家族によるインタビューを通して、多くの女性たちから愛された作家の素顔が明かされてゆく……。

KINENOTEより

評価:★★★★
(五段階評価:★が星1つ、☆が星半分、★★★★★が最高、☆が最低)

「太陽がいっぱい」、「キャロル」など映画化されている作品もたくさんある女性作家パトリシア・ハイスミス。彼女がつけていた日記を紐解きながら、彼女の家族、レズビアンとして愛し愛された人たち、作家としての一面、孤独に生きた晩年を追っていくドキュメンタリー。僕は、彼女のリプリーシリーズが大好きで、そのきっかけになったのが、アンソニー・ミンゲラ監督&マット・デイモン主演の映画版「リプリー」(1999年)なんですよね(人気のアラン・ドロン版「太陽がいっぱい」(1960年)ではなく笑)。僕自身もマイノリティを認知しているし、好きな人になかなか想いを伝えられない陰キャでもあるので笑、自分をどうしても大きく魅せたがるリプリーの姿に思春期の自分を重ね合わせたりしてました(もちろん、彼のように殺人は繰り返してないですが、、笑)。そんなリプリーを生み出したハイスミスという人物に前から凄く興味があり、今回満を持しての鑑賞になりました。

彼女の作品の映画化作品を鑑賞したことや、彼女の作品を少し読んだことがある程度しかないですが、それでも彼女の作品にはすごく魅力があります。それは彼女の数奇な人生にも表れているというのがよく分かりました。母親との確執、レズビアンとして自由奔放に生きた若き日々、そんな中、転機ともいえる運命の人との出会い、そして悲しい別れと孤独に生きた晩年。デビュー作「見知らぬ乗客」がヒッチコックによって映画化され、若き頃から世間から注目は浴びるものの、同性愛者にとって今より更に生きにくかった時代、特に、運命の彼女との出会いが最初から暗に別れが前提になったことが物悲しいですね(詳しい内容は是非鑑賞を)。題名になっている”恋して”という部分が、この出会いに昇華されるように、ドキュメンタリー作品ながら見ていて、こちらもウキウキしてしまうだけに別れが一層彼女にとっては辛いという言葉では表現が足りないくらい人生の大きな転機になったのではと思います。

「リプリー」(1999年)、そして近作ではありますがトッド・ヘインズ監督の「キャロル」(2015年)の映画化された映像がそのまま使われていることが(単純なことではありますが)映画としてすごく効果的になっています。どちらも同性への実らぬ恋を描く作品ですが、いい意味ですごく動物らしい(人間らしい)いやらしさ、艶やかさ、生生しさを表現されているんですよね。それを単純にいえばエロスなのかもしれないですが、パトリシアが紡ぐ文章なのか、ミンゲラやヘインズの各映画監督が醸し出すエクスタシーなものなのか、マッド・デイモンなり、ルーニ・マーラ&ケイト・ブランシェットの演技力からくるものなのか分からないですが、殺人なり、変身願望だったり、人の暗部をも絡めて浮き上がってくるドラマは今見ても傑作だと思います。「アメリカの友人」(1977年)とか、観ていないリプリー作も含め、映画も原作も改めて読み直して、人間とは何ぞやとちょっと妄想したいなと思います。いや、やっぱりパトリシアに恋させられているかもです笑。

<鑑賞劇場>アップリンク京都にて


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