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「クワイエット・プレイス DAY1」:大人気SFホラーの前日譚。主人公の設定と物語の構成が巧みすぎる。

<あらすじ>
愛猫のフロドとともにニューヨークに暮らすサミラ(ルピタ・ニョンゴ )。不寛容な人もいるが、フロドとともに乗り越えて生活していた。そんなある日、ニューヨークに突如空から隕石と共に謎の生命体が襲来。辺りは一瞬にして阿鼻叫喚に包まれ、街はがれきの山と化し、その生命体は人々を無差別に蹂躙し始める。その生命体は、音を立てるものすべてを襲撃していった。愛猫のフロドを抱えるサミラは悲鳴を上げることすらできない過酷な状況で逃げ惑うなか、エリック(ジョセフ・クイン )という男性と出会う。エリックとともにニューヨークからの脱出を計画するが、逃げようとした矢先に橋が爆破されてしまい……。

KINENOTEより

評価:★★★★★
(五段階評価:★が星1つ、☆が星半分、★★★★★が最高、☆が最低)

音に反応して襲い掛かる謎のSFモンスターから逃げ惑う人々を描いた人気ホラー「クワイエット・プレイス」。2018年に公開された第1弾はオープニングから、もうモンスターが地球に侵攻しており、様々な都市や街が崩壊した後の世紀末を舞台にしていました。1作目の続編となる「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」(2020年)は1作目に登場したファミリーの引き続きのサバイバル劇になっていたのに対し、シリーズとしては3作目になる本作は1作目の前に巻き戻り、モンスターたちが初めて地球に襲来したときのニューヨークが舞台となる前日譚もの。人気シリーズは作られる中で世界観や時が巻き戻るなど、キャラクターたちはそのままで周りの設定が大胆に良く変わることはよくあるのですが、本作はよい意味で世界観をガラッと変えたところがシリーズの新しい面を生み出していると思います。

このシリーズで僕が面白いなと思っているのが、ずばり”音”というものに着目ている点。前作までの世紀末シリーズ(笑)の中でもキーになっていたのは、知らず知らずのうちに起こしている日常の中の様々な音たち。予告編にも登場していた、世紀末シリーズ・主人公のエミリーの出産シーンであったり、エミリーの娘・リーガンが聴覚障害者(実際に演じたミリセント・シモンズも聴覚障害あり)という設定で、手話でコミュニケーションできるというのが、生き残る家族の一つの武器になっていたりします。本作も、主人公サミラは障害者ではないものの、末期がんを抱え、療養施設に入っている中で世界を斜め見していたり、同じ療養施設に入っている人たちも様々な病気や障害の中で一般健常者とは違う見方で世界をみえていることが、ニューヨークやアメリカという1つの大きな多様社会を反映させていると思います。そこを鉄拳制裁のように、問答無用に破壊し、人を食いつくすモンスターたちが襲来してくる。これは現代社会で新たな脅威となっているテロリズムを模しているように見えてくるのです。

これは人間の哀しい性(さが)でもあったりするのですが、平和で、自由な多様社会である現代であることは理想であるものの、平和でありすぎることは社会としては様々な鬱憤や格差が現れたりしてしまうもの。逆に戦いが常にあったり、日本の文明開化や高度経済成長期のように、世界に追いつけ追い越せのような競争社会であったほうが国民・市民が自然と団結するものだったりしてしまうのです。本作のように突然現れる脅威の中で、逃げ惑う人たちの中で生き残るためにサバイブしていく中で団結とか、市民らしさが出てくるもの。でも、じゃあそういう世紀末を望んでいるのかというと、そうではないという反骨心みたいなものが、冒頭だったり、終盤に表現される様々な音で活気づくニューヨークという街だったりするのです。主人公・サミラが生き残るための生きる源になっているのが、音楽という素敵な音たちというのも素晴らしいところ。自由というのを奪われてはならないという強烈なアメリカイムズが、この映画の根底には流れているような気がします。

<鑑賞劇場>TOHOシネマズくずはモールにて


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