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「リバー・ランズ・スルー・イット」:男兄弟だからこそ分かる不思議な血のつながり。アメリカの田舎風景が美しすぎる。

<あらすじ>
年老いたノーマン・マクリーン(アーノルド・リチャードソン)は、故郷の川でフライフィッシングをしながら、若き日を回想していた。1912年、アメリカ、モンタナ州ミズーラ。10歳のノーマンと8歳のポールは、父親のマクリーン牧師(トム・スケリット)にフライフィッシングと勉強を教わっていた。ノーマンの夢は牧師かプロボクサーになること、ポールの夢はプロのフライフィッシャーである。19年、ノーマン(クレイグ・シェーファー)は東部のダートマス大学に進学し、7年後、ノーマンがやっとミーズラに戻った時、父は歓迎の言葉のかわりに将来の進路を決めかねているノーマンを批判する。一方ポール(ブラッド・ピット)は地元の大学を卒業し、地方新聞の記者をしている。ノーマンは、弟が酒と賭けポーカーにのめり込んでいるのを知る。

KINENOTEより

評価:★★★★
(五段階評価:★が星1つ、☆が星半分、★★★★★が最高、☆が最低)

午前十時の映画祭より。

たくさんの映画を見ていると、全然描かれる国は違うんだけど、身の回りの状況がなんか自分と似ていて、すごく共感するタイプの作品に出会うことがあります。1992年製作の本作「リバー・ランズ・スルー・イット」も勝手に共感してしまうタイプの作品の1つ。山と河川が広がる風景は、僕の生まれ育った海なしの岐阜県と同じだし、田舎の閉塞した社会観も同じような感じも同じだし、男兄弟が主人公というのも共感要素の1つ(まぁ、ブラッド・ピットでは全然ないですけど笑)。もちろん、描かれる物語は全く違うんですが、共感要素が多いと自分だったらとか、日本だったらとかで置き換えて自分の話を観ながら作り上げてしまう。映画の見方としては少し奇抜かもしれませんが、こうした楽しみ方を提供してくれるのもいい作品の要素なのかなと思ったりします。

という共感部分が多い本作ですが、そういう共感が多い要素のポイントというのが”男のノスタルジー”を誘う作品だからという部分も大きいのかなと思います。男女差をいうわけではないですが、男という生き物はとかく過去の影響だったり、良き頃の思い出を追い続けることが女性よりは多いのかなと思ったりしてます。あの頃は一瞬のことだったり、後先を考えなく動いたことが、実は大きな人生の分岐点だったり、あの頃の自分がこれを重要と思わなかったから、今の人生がこうなっているとか、あとは単純にあの頃よかったなーという過去を思い返したり、人生のいくつかのタイミングではこうした思い出なり、哀愁に浸ることも心の栄養素としてはいいと思うのですが、それだけでは人生が後ろ向きになってしまう。そんな過去を逡巡しながら、これからどう生きていこうか模索していく。それがマクリーン一家にとっては昔も今も釣りなのかなと思います。

ノスタルジーという意味では、本作は「スタンド・バイ・ミー」(1987年)に似ています。あれも昔の友人たちの何気ないひと夏の思い出が、その後の少年たちの生き方を左右としていったのと同じように、本作ではノーマンとポールの子どもの頃からの生き方(人生の選択のポイントポイント)が、若者から大人になっていく過程の中で、それぞれの人生を分かつこと要素になっていくのを物語の中で浮かび上がらせていきます。その中で起点となっているのが、マクリーン家の男たちがやっている”釣り”。父と息子、兄と弟、それぞれの人生を歩みながらも、川釣りという同じ趣味の中では家族が一体になっていく美しさ。やや保守的なお話ではありますが、モンタナの美しい田舎の情景の中で、人生を移ろいを描いていく様はロバート・レッドフォード監督の老練な技を感じる作品になっています。

<鑑賞劇場>TOHOシネマズくずはモールにて


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