星に囲まれた思い出

海で遊んだ日の夜。ベッドに横たわると、背中から耳の中を、波が繰り返し押し寄せては抜けて行く感覚に襲われることはないだろうか。

すべての思い出は頭で記憶しているつもりでいても、実は、良い思い出も悪い思い出も、感覚として心と身体に記憶されていることが多いように思う。

あれ、この感覚、どこかで……?

頭で考えるより先に、心と身体がぴーんと、あるいは ざわざわと反応するのはきっとそのせいだ。次の瞬間、一気に過去の自分の感情が蘇る。
なぜその景色や経験が自分の記憶のデータフォルダに保存されていたかを頭で理解するのは、大抵その反応が収まった後である。

昨夜、浜辺に寝転ぶと、見渡すかぎり目の前は無数の星々に囲まれていた。たくさんの星のラインストーンで飾られたベールか何かで覆われているような、
星々の中に取り残された、そんな感覚。

次の瞬間、心と身体の中心からわぁーっと過去の記憶が蘇る。

そうだ、あの時ふたりで見たんだ。

2年と少し前、彼とインドのジャイサルメールの街を訪れた時、砂漠をラクダで移動し、ゲル(?)のようなテントに泊まるツアーに参加した。

半分騙された形で参加したわたしたちは(詳細は長くなるのでまたの機会に)、浮かれた気持ちで砂漠を走り回り、テントに案内されて初めて、あ、泊まりなのね…!、と気づく始末であった(笑)。

外からインド人に夜ごはんだよ〜と呼ばれて、真っ暗な外に出た。

一度に見渡しきれない広大な宇宙。

敷きものの上にふたりで寝転ぶ。

わたしと彼の遥か上を星のベールが覆う。

何年も、中には何万年も前に瞬いた星の光が今わたしたちの目に届いている、力強さと儚さが混ざり合った、二度とない時間。

こんなに星々に囲まれることは、もう一生のうちにないだろうな、直感的にそう思った。
しかし同時に、矛盾するけれど、20年くらい時が経っても、彼とこの空間にいたいと思った。

思い出を頭で記憶の中から引っ張りだそうとすると、見つからなかったり、上手く像を結べなくて、しまいには自分の記憶が空っぽのような気持ちがして、落ち込むことがある。

でも、すべての思い出は無意識のうちに、優先度がつけられ、感覚として心と身体のどこかにしまわれている。そう思うと、私たちの記憶のデータフォルダは非常に性能が高い。

全部ただの思い出で、思い出がすべてだからね。(桜林 直子)

先日、サクちゃんさんが書いていらっしゃったnoteの一文がとても好きだ。

遠距離恋愛を2年も続けていると、物理的な距離に加え、それぞれの周りに自然と独立したコミュニティができて、同じ感覚を共有することがますます難しくなる。

でも、わたしたちは心と身体で感じた思い出を、それぞれが日常のふとした瞬間にわぁーっと遡って味わい、その時の感情を追記してまたしまうことができる。

だからこそ、
これからはふたりの思い出を真ん中に置いて、それぞれの毎日の新しい楽しみ方を試していけたらなと思っている。

…彼にはまだこの話をしていないので、理路整然と物事を考える性格の彼には反論されるかもしれない。

私たちの毎日に変化を起こせたかどうかは、またいつか報告することにしたい。

#エッセイ #遠距離恋愛 #思い出 #感覚

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