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非合理をやってみた結果、まさかの展開。(ダンボール画家)

こんにちは。恵子です。

今日は非合理をやってみた結果の出来事を書きたいと思います。

昨日、私は自己紹介でコントロールの効かない頭で唱える「呪いの呪文」と「未来を創造する魔法」を区別できるようになってきたというお話をしました。

このスキルはまだ習得したばかりということもあるし、自分の意思とは関係なく自動的に詠唱してしまう呪いの呪文は消すことはできません。
ただ、「今、詠唱してんなー。」と気づくだけです。

数日前、未来を創造する魔法を一つ生み出しました。それは「私は愛である。」という、とっても抽象的なものでした。しかし、その魔法をどう活かしていいのかわからず思考していました。
そんな時でも、即座に呪いの呪文が詠唱され「何をしていいのか全然わからい。」「難しい。」などと“全然わからないでいようとする自分”“難しいで片付けようとする自分”が自分の可能性に制限を掛ける言葉の壁が立ちはだかります。

そこで私がふと思いついたことが【非合理なことをしてみよう】ということでした。常に私たちはメリットが得られることにしか目を向けられない生き物です。無駄を嫌います。
なので、あえてそれをしてみようと思いました。

そしてやってみたことが、昨日投稿した記事のトップ画像の絵です。以前、私は見様見真似でやったこともない油絵を描きたいと思い、チャレンジしました。絵のノウハウや手法、画材の種類など全くわからないままでしたが、当時、私が描いた絵を賞賛してくれる友人は何人かいました。しかし、私の呪いの呪文がこう詠唱します。「これをやって意味があるの?」「お金になる訳でもないのに。」「上手に描けない、自分にはセンスがない。」などなどです。そして、いつも間にか絵を描く意欲すらも湧かなくなり、中途半端の絵を残したまま絵を描くことをやめました。もちろん今回、絵を描こうと思い至った時点でもたくさんの呪文がありました。「描くためのキャンバスが無いから無理じゃん。」「全然イメージ湧かないなら描けないじゃん。」「描いたって意味ないよ。」という感じです。

頭の中の言葉たちを区別しながら、我が家の猫の鉢に植えられたサボテンが目に入りました。「あ、なんて可愛いんだろう。いつの間にかこんなに大きくなって嬉しいな。」という気持ちを感じました。その時に「この感覚も愛なんじゃないだろうか。」「そうだ、これを描こう。」と思いつき、「そうだ、ダンボールがある。それに描いてみよう。」と思いつき、完成したのがアレです。

アレを知り合いの女性の手漉き和紙職人にシェアしてみました。もちろんこれも思いつきです。

そして昨晩、もともとその彼女と電話することになっていたの会話をしていると、今SDGsの一環で廃棄ダンボールからの再生和紙の商品開発に取り組んでいるとのことでした。彼女は私が描いてくれた絵を賞賛してくれた友人のうちの一人でした。彼女は私が作った和紙に絵を描いて、販売してみませんか?という提案をしてきてくれたのです!

まさかの展開!
嬉しいと同時に私もアイディアが浮かんできました。SDGs の一環でそれをテーマとして販売するのであれば、私はSDGs の17のテーマを私のイメージで絵にしてみようと思いました。

この先、この話はどう展開していくのか、成功するのかはわかりません。だけど、今はそこにコミットして自分の可能性を拡大していこうと思います。

私は【ダンボール画家】と名乗っている自分が未来の一つにあることにワクワクしています。

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