天保11年(1840年)11月18日、光格天皇が崩御しました。

天保11年(1840年)11月18日、光格天皇が崩御しました。
江戸時代の天皇はおとなしい方ばかり……という流れを変え、幕府に意見し、政治に積極的に関わった方。
後に孝明天皇が表舞台に出てくるのをお膳立てしたような活躍しています。
曾祖父が天皇だったと言う、本来回ってこない皇位に就いたのが9歳、それから天明の大飢饉や日本各地で火山の大噴火や大地震が続き、済民を求め京都所司代に民衆が詰めかける。しかし幕府は完全に江戸中心で所司代は無力だったため、7万人もの人が京都御所に押し掛ける「御所千度参り」です。御所に有る食料を配り民の絶大な支持を受けます。本来、諸法度違反の咎めを受ける行動ですが、幕府も後ろめたくスルーし朝廷権威が爆上がりします。そこで起こったのが「尊号一件」天皇の父の宮様に太上天皇の尊称を与えたい、しかし幕府はザ石頭の松平定信が拒否、朝廷も権威が上がっていたので簡単に引き下がりません。実に6年もゴリ揉め後朝廷が渋々引き下がったのです。しかしこの遺恨は後の孝明天皇に繋がって行き、尊王運動の引き金になるのです。余談ですが「お公家」ひ弱で上品的イメージでしょう、しかしこの頃下級公家を中心に武装し、天皇や上級公家を脅迫する武闘派が現われ、混沌の幕末へ向かうのです。 #どうする家康 #大河ドラマ

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