【島津貴久が修理大夫に】1552年6月11日

【島津貴久が修理大夫に】1552年6月11日
薩摩守護島津貴久が修理大夫に任ぜられ、子の忠良(後の義久)が将軍足利義藤から偏諱を賜り義辰と改名する。鎌倉時代以来の薩摩守護島津家は幕末、現代まで続く名家。遠国だが当時は西国は先進地域、大和政権よりも中国の影響を濃く受けた。島津の当主は薩摩守or大隅守だが、このの修理大夫を使う事も有った。幕末の斉彬は父斉興と関係が悪く40歳過ぎまで家督相続されなかった。しかし江戸での幕府要人やなどから評価高く、参勤交代も無いので政治の中心を担い「修理殿」として活躍した #デジタル庁

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