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「空気を読む」とは何か言語化してみる

なんとなく、文系の人は「空気を読む」を体感でこなしている気がする。

※文系に対する根拠のない偏見

でも基本機能として「空気を読む」を搭載していない私のような人間は、オプション機能としてそれを身に着けざるを得ないから、「空気を読む」が何なのかを常日頃から考えている。

何十年か人間として生きて来た私の結論としては、「空気を読む」=「発言前に他人の意向を考える」これにつきる。

例えば、大して仲良くない主婦A、B、C、Dでプチ旅行を計画している時。

A、Bは京都に行きたそうな素振りをしている。あなたがCであれば、間違っても「私は北海道がいいなあ♪」などと無邪気に発言してはいけない。ここでの正解は、Dの反応をうかがい、Dも京都が良さそうなら便乗、そうでなければ「Dはどう思う?」と聞いてみることだろう。

Dが「私は北海道がいいなあ♪」と言えば空気が読めない烙印はDに押されるので自分が戦犯になるのは避けられるし、「大阪にも寄ってみるのはどう?」程度ならまあ取り入れられる希望として検討に値する。「北海道にも行きたかったけど、京都もいいよね。次は北海道に行こうね!」などと譲りつつ自分の主張をするのはかなりレベルが高い。

要は、自分の希望よりも自分以外の人の意向を優先しているような素振りをするのだ。真実がワールドイズマイン! 私がルールよ唯我独尊女でも構わない。「素振りをする」これが大事なのだ。

どうせその真偽を見極められるほど、他人は自分に興味がない。

まあ、あんまりやり過ぎると「本音が見えない」などと言われてしまうが、「空気を読む」をオプション機能として身に着ける人間が「本音が見えない」と言われるほど空気を読めるようになることは多分無いから無用な心配だ。

とにかく私のような内向的な人間にとって、「他人を気にする」ということ自体が面倒なことだし、「他人が何を考え、どういう利害で動いているか」を考えるのは難しいこと(各々自分の希望を主張し合えばいいじゃんと思ってるの)だが、やってみれば驚くほどうまく付き合える。

なぜなら、人間が怒るのは「無視された」「侮辱された」と感じた時だからだ。例え空気を読んだ結果が間違っていたとしても、「読もうとした」という素振りが見えれば相手は「尊重されている」と感じ、大事には至らない。

人間とうまくやって行こうと思えば、「好印象を与える」とか「深い関係を築く」以前に「不快にさせない」「いてもいいと思われる」ことが何より大事だ。なぜなら、相手の周りに長くいることが出来れば、特に秀でた部分がなくても、単純接触効果により好感度は自然に上がっていくからだ。

より高度な「空気読み」

その場限りの「空気を読む」に満足せず、もっと上を目指すにはどうしたらいいのか。

「発言前にその場にいない関係者の意向も考える」これである。
これが出来るとかなり社会性の高い振る舞いが可能になると思う。

行動に移す前に、その場にいない専務、乗務がどう思うかも考え、必要なら根回しする。

結局のところより多くの人の意見、立場を考えた立ち回りができればできるほど「あいつは視野が広い」と言われ、安心して仕事を任せられるのだ。

ああ、立派な企業戦士である。

「空気を読む」のは超能力ではない

いわゆる「空気が読めない」人間からすると、「空気が読めない奴」と言われても、「空気を読むとはなんじゃらほい? 日本語でおk」などと思ってしまう。なぜ「その場の空気」などという無形のものを読めるのか? もはやアカシックレコードを読むのと難易度は変わらない。生まれつき備わった超能力の類である。

だが論理的に考えれば、結局は習得可能な技術の一つだ。それが自然にできる人(他人の気持ちを考えるのが習慣になっている人)はそんな風に考えていないのでそこには断絶があり、長らくディスコミュニケーションが生じていた。

まるで、新人時代、先輩に「もっと考えて仕事しろ!」と言われ「何をだよ!」と思ってしまったあの日々を思い出す。体育会系特有のフワッとした言葉に対しては「もっと具体的に言ってくれよ」と思ってしまうのは理系(?)の性なのかもしれない。でも見ていると、体育会系同士だと曖昧なパッション任せの言い方で伝わるようだから闇は深い。

恐らく、相手の気持ちになって考えるのが習い性になっているから、相手が望んでいることが肌感覚で分かるのだろう。ああ、うらやましいのか何なのか。そういう人は、きっと可愛がられるだろう。

でも私のようにあまり他人を気にしない人間からすると、「この人は何のために生きてるんだろう?」と思ってしまうのもしばしばだった。自分の望みよりも他人の望みを優先して身を粉にし頑張っているように見える。過労死とかしてしまう人は、こういうタイプの方だと思う。

私はどう頑張っても、過労死するほど他人本位で頑張れない。

話が逸れたけれど……

とにかく、「空気を読む」ということは、「発言する前、行動する前に逐一関係者の意向を踏まえ、その人たちを尊重する」ということだ。

「空気が読めない」と言われる人は、他人の気持ちを無視して自分の意見や希望を口にしてしまう。時に「空気が読めない」ために本質を突いてプラスに働くケースだってあるが、特に日本社会では役に立つことよりも、波風立てないことが求められる。それがいわゆる「和」を大事にするということなのだ。

ああ。数年前は「和」とか言われるとちゃんちゃらおかしく、「そんなに和が好きなら和菓子屋に転職してねりきりでも絞ってろ」などと思っていたが、実際に「和」を尊ぶ人は重宝され、そうでない人と比べると驚くほど受け入れられるようになる。味わったことがない人は、一度、「和」の中に加わる甘ったるい安楽を味わってみて欲しい。人生観が変わる。

「空気が読めない」と言われがちで改善したい方は、まず発言したり、行動する前に周りの人を見渡してみて欲しい。そして自分の発言で周りがどう反応したかを覚えておき、PDCAをまわす。これだけでかなり変わるはずだ。

一方で、「空気が読めない」人は世間のカルマを一身に背負っていると言ってもいい。私たちは他人に憎まれる代わりに真実の価値を提供し続けている。それはそれで社会に必要であり、ダークヒーロー的な立ち位置を占めているのだ。

なかなか世知辛い、生きづらい世の中ではあるが、なんとかサバイブしていこう。紳士淑女の皆様の栄達を願っている。


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