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【I♥LOVE福岡】~博多の総鎮守~櫛田神社【クリエイターフェス便乗企画】

🌟この記事は、noteさんのクリエイターフェスにかこつけて、大好きな福岡の魅力について語りに語っていく連載シリーズでございます。

 →企画説明記事


皆さんは、博多の総鎮守(土地を守る存在)として知られる櫛田神社をご存知だろうか。博多っ子からは「お櫛田さん」の愛称で親しまれているこの神社は、博多の歴史と文化を今に伝える重要な場所である。

個人的にも、櫛田神社はアクセスが良いのでよくお参りする神社の一つだ。お守りもかわいい。

そしてやはり人気の神社でもある。

福岡に住んでいた頃の大晦日、「きっと都内ほど混んでないはず」と信じて2年参りしようと23時頃に行ってみたところ、道路を渡って長蛇の列ができており閉口した。結局2時間程並ぶことになり、しかも前に並んでいる人がしきりに動画撮影を試みて騒いでいたので、かなり不快な年末となってしまった。おみくじをひいて、大吉だったことだけが救いであった。

櫛田神社

そんな櫛田神社は、博多旧市街エリアに位置し、その敷地内には数々の見どころがある。その中でも特筆すべきは、博多祇園山笠が奉納される場所であることだ。飾り山笠が一年中展示されており、特に7月の博多祇園山笠の時期にはその壮大さと美しさが一段と際立つ。

櫛田神社の歴史は古く、天平宝字元年(757年)に創建されたと伝えられている。松坂にあった櫛田神社を勧請したのが始まりで、松坂の櫛田神社の祭神である大幡主神が天照大神に仕える一族の神であったことから、天照大神も一緒に勧請されたとされている。

平安時代末期には、平清盛が博多を日宋貿易の拠点港とし、平家の所領であった肥前国神埼荘の櫛田神社を勧進したとも言われているが、史料的には裏付けられていない。その後、戦国時代に荒廃したが、1587年(天正15年)に豊臣秀吉が博多を復興する際に現在の社殿が造営された。

櫛田神社と縁深い「祇園山笠」とは、櫛田神社に山笠と呼ばれる作り山を奉納する神事である。この祭りは国の重要無形民俗文化財に指定されている。祭礼期間は毎年7月1日から15日まで。

祇園山笠の起源は、博多で疫病が流行した際、円爾という僧が町民に担がれた木製の施餓鬼棚に乗り水を撒きながら町を清めてまわり、疫病退散を祈祷したことから始まったとされている。

最終日の未明には関係者が参列して櫛田神社祇園例大祭が執り行われ、その後、近隣の町で構成される「流」ごとに山笠を奉納した後(櫛田入り)、山笠を所定の順路を競って巡行する「追い山」が行われる。この追い山の予行演習として3日前の午後に「追い山馴らし」が行われる。

「男の祭」という感じで荒々しくてカッコいいなあ…。

博多祇園山笠は女人禁制の祭りで、旧来の流は子供山笠も含めて舁き手は男性のみである。しかし、近年では子供たちも参加する「子供山笠」も始まった。

このように、「祇園山笠」は博多地区の文化と歴史に深く根ざした伝統的な祭りであり、地域住民や訪れる人々にとって大切な存在である。その壮大さと美しさ、そして地域住民の絆を感じさせてくれるこの祭りは、一度は体験してみる価値があるだろう。

また、櫛田神社には日本最初の図書館「櫛田文庫」が開かれた歴史があり、当時の書物も保管されている。これらの事実からも、櫛田神社が博多地区の文化と歴史にどれほど深く関わっているかが伺える。

櫛田神社にまつわる興味深い話は他にもある。それは「節分大祭」だ。2月の節分の日に行われるこのお祭りでは、日本一大きな「おたふく面」が設置され、知名士による豆まきが行われる。

節分大祭

また、10月下旬に開催される「博多おくんち」も見逃せない。牛車に引かれる神輿行列やブラスバンド、稚児行列などが彩りを添えた豪華絢爛な祭りの行列は博多の秋の風物詩となっている。

このように、櫛田神社は博多地区の人々にとって心の拠り所であり、また訪れる人々にとって新たな発見や感動を与えてくれる場所である。その魅力を伝えきれないほど多くあるが、一度足を運んでみてはいかがだろう。きっと新たな発見や感動があなたを待っている。

参考:
Wikipedia
博多祇園山笠公式サイト


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