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北明翰留学日記 #3 ー話すという行為についてー

11月になって,街路樹が一斉に葉を落とし始めた.日は如実に短くなって,16時半ころにもう日没である.これだけ夏と冬の日照時間が異なると,夏時間を導入したくなる気持ちがわかる.

学生として過ごすとき,時間はいつも長いと感じる.1日に色々な出来事が詰め込まれている.新しい概念や気づきがある.新しい概念を解釈して自分の中に取り入れるのは時間がかかる.人と話さねばならない.自分から動かなければならない.その行為をしんどいと感じるときもないではない.しんどさも含めて,私はこの時間を気に入っている.

人と話すということについて最近よく考える.人と話すことは練習して若い頃よりはできるようになったが,それでもいまだに得意ではないと思う.英語では尚更得意ではない.たぶん頭で理解しようとしているからだろう.

話すことはもっと肉体的内臓的感覚が必要だ.そうでないと生き生きしない.私にとって自分の身体がイギリスにあり,生き生きとした英語を感覚として受け取っていることは大きな価値の一つである.もともとアカデミック英語ばかり読んできたせいで,英語を用いることに身体的な感覚が伴わなかった.だが,身体的な感覚を伴わない言葉は力を持たないのだ.

この気づきは非常に感覚的内臓的なものだが,不思議と言語というものに対する興味さえ引き起こす.最近は,自分自身も含めて誰がどのように話すのかを観察することが楽しくてたまらなくなった.

課題に取り組むために文献を渉猟していることもあってか,こうやって母国語で曖昧な言葉を書き散らすのが心地よい.



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