翻訳記事:44年ぶりにW杯出場決めた北朝鮮サッカーの背後

前回キムヨンジュンの記事に続いて北朝鮮サッカー関連の記事を見つけたので翻訳。

2009年、北朝鮮が2回目のワールドカップ出場を決めた後の記事。
元記事はこちら

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 北朝鮮が2度目の核実験成功を発表し朝鮮半島情勢が緊張状態にある中、北朝鮮代表が先に空を飛んだ。先のワールドカップ予選、敵地でサウジアラビアと0-0で引き分け、南アフリカワールドカップ出場を決めたのだ。同国にとり1966年以来44年ぶりの快挙だ。
 多くのサッカーファンにとって、北朝鮮代表は神秘のチームだ。挙国体制の中で北朝鮮代表は如何にアジアトップクラスのチームに戻ったのか?

・政治委員の存在

 北朝鮮スポーツは同国の工業、鉱業、商業と同じく挙国体制で、サッカーは典型的な成功例だ。同国代表は軍事訓練方式で管理されており、トップリーグに参加するチームは「一級隊」と呼ばれる。
 この管理制度は「政治委員」がいる。監督以外にチームは1人政治委員がいる。彼は試合前に演説をし、試合後総括。技術戦術面以外で選手を管理、例えば日々の起床時間、食事、スタジアムへ行く時間、着替える時間、シャワー浴びる時間、、北朝鮮の選手たちは厳格に守っている。

・クラブ、リーグについて

 2009年初、北朝鮮代表が中国でキャンプを行った際、監督キムジョンフンは北朝鮮サッカーについていくつか情報を提示した。
 北朝鮮で最も有名なのは人民軍4.25蹴球団,人民軍内部のリーグに参加足し何度も優勝してきた。軍のリーグは地方のリーグより高いため、実質北朝鮮サッカーの最高峰だ。北朝鮮サッカー界では「強い代表を組織するには、1/3が地方から、2/3は軍隊からの選手。軍隊の選手は半数以上が4.25だ」と言われることからも、同チームの地位の高さが伺える。

 地方チームはプロチームとして性質を持ち、プロ化前の中国の「省隊」と似ており、平壌、咸鏡北道などのチームがある。国内リーグは3部制。
 経済や交通面の事情から集中開催で実施。スポンサー、外国人指導者や外国人選手はなし。この状況下では軍隊チームの優勢がはっきりしており、地方チームと比べ個人の待遇、生活配給、用具備品などで優位性が明らかだ。

・北朝鮮人選手はコスパが良い

 北朝鮮人サッカーを理解するために、我々中国人は中国でプレーする北朝鮮人選手を通すのが専らだ。この15年間中朝サッカー界の交流は増えており、吉林(のちの延辺)遼寧、瀋陽、成都に至るまで北朝鮮人選手が在籍。
 AFCが4+1ルール(注:アジア人枠)を定める前から中国のクラブは北朝鮮人選手を起用。彼らのメリットは、移籍金が高くないこと、プレイスタイルが頑強で、管理しやすい点。北朝鮮人選手たちは中国で、練習に遅刻したり、飲酒習慣もない。北朝鮮人選手の状況は完全なプロ選手とは呼べないが、欧州のプロ選手並みの意識を持っている。

 中国サッカー協会で、何度か育成年代率い北朝鮮に遠征したとあるスタッフは「男女問わず北朝鮮代表の強い意志と精神は、中国人選手が敵うものではない。私は実際北朝鮮に行ったが、当地の生活条件は中国と比較にならないが、苦しい環境下で人々は苦労に耐えられ、試合ではより多く走れる。特に疲れているときにこうした強さが出てくる。」

 かつて遼寧を率いて10連覇やアジア制覇(注:1990年アジアクラブ選手権)を成し遂げた名将・李応発(Li Yingfa)は、「林虎、李光哲が中国リーグで最初の北朝鮮人選手。彼らは1994年に吉林敖东(後の延辺)加入し優れたパフォーマンスと頑強さを見せ多くの東北地方のファンの印象に残る。後に韓国企業
が吉林敖东のスポンサーになり韓国人選手獲得後彼ら2人は退団した。」
 2年後、遼寧が韩成浩、玄永哲(Jon Yong-chol)、姜顺日(Kang Sun-il)、韩成浩、4名の北朝鮮人選手を獲得。同年遼寧は2部→1部復帰したが彼らの貢献なしではならなかった。玄永哲と姜顺日はその後1998年アジア大会に北朝鮮代表として参加。
 李応発は「北朝鮮人選手の印象はとても深い、今日に至っても彼らの諦めない、頑強な精神は素晴らしいし、わが国に最も欠けているかもしれない」と絶賛する。
 目下中国リーグで最も成功したのは卓永斌、李昌河、趙仁哲の3名だろう。1997年瀋陽海獅に加入、いずれも代表選手。趙と李2人で2部で計19得点を決め1部昇格。海獅のオーナー章健と瀋陽市サッカー協会幹部はワゴン車と10万元相当の米を送ったという。

・特徴は規律性

 北朝鮮サッカーと接したことがある人は皆、その規律正しさを語る。例えば練習開始前と後、北朝鮮選手は全員でコーチに感謝の意を示し、普段の練習や試合でも厳格に時間を守る。遅刻はほぼあり得ない。食料や装備が十分あっても、選手は監督やスタッフの配給を待つ。
 とある中国リーグ監督と記者が北朝鮮について語った際、感慨深く
「中国人選手が北朝鮮からあの奮闘精神と規律性を学び、あのように懸命に訓練し、団結できれば、中国サッカーは今のように凋落していなかっただろう。」と述べた。

 北朝鮮サッカーの最も輝かしい1ページは1966年のワールドカップ8強だ。この飛躍的好成績で長くアジアトップに位置していた。90年代以降諸々の原因で北朝鮮は表舞台から消え、多くの国際大会を欠場。1998年バンコクアジア大会で久々に復帰した。
 ハード面から北朝鮮リーグの条件はあまりよくない、例えばピッチを草のピッチで統一することは難しい。選手の用具に名の知れたブランド品もない。しかしサッカー熱は高く、国内の小、中学、大学殆ど自前のサッカーチームがあり、試合も頻繁。企業も企業間交流のツールとして使う。

・国家指導者の関心

 相対的に北朝鮮政府の指導者もサッカーを重視している。国内の試合で高官が現地観戦し、国外遠征の状況にも関心を持ち、または優遇している。
 2008年11月2日、朝鮮中央通信社は画像と共にニュースを発表した。金正日氏が人民軍の試合を観戦する画像だ。その前も朝中社が金正日が金日成大学と平壤鉄路大学の試合を観戦する様子を報じている。。

 2006年9月、北朝鮮女子U20代表はU20ワールドカップ優勝を果たした。北朝鮮全土が喚起に沸き、主要メディアで朝鮮労働党機関紙《労働新聞》もトップで報じた。文中、北朝鮮女子代表は初参戦で全勝(18得点1失点)で優勝し、サッカー神話を築いた。北朝鮮サッカーの「神秘な力」を示した。これはアジアのチーム初の世界大会制覇でアジアサッカーの発展を閉めるものだ、と記載された。(注:先にサウジアラビアがU20で世界制覇してる)
 同紙は他にもエピソードを紹介、「チームは出国前に故金日成国家主席の遺体が安置されている平壤錦绣山記念宮を訪問、土を掴んで袋にいれ、この土と共に「祖国のために」の気持ちで戦った。大会中最高指導者の金正日も関心を寄せた。」

・衣食住の状況

 韓国メディアによれば、北朝鮮の選手は携帯の使用が認められる。同国で携帯電話はぜいたく品だ。当然選手の携帯はショップで買うわけでなく、所属先から交付されたもの。同国の食糧事情は乏しいが、選手たちが飢えているわけではない。少なくとも1部リーグの選手の食事は保障されており、野菜は豊富だが肉類が不足しているが、卵は充分に供給がある。お昼のキムチも不可欠だ。選手のレストランには哈爾浜ビールがあるが、選手たちは飲むことができない。
 北朝鮮代表が海南島でキャンプを行った際、協会副秘書長金正式は
「北朝鮮の選手は自分の車はない。Jリーグで高給稼ぐ鄭大世(チョンテセ)ですら北朝鮮で車を買えない。車は身分の象徴であるため、他の選手は尚更だ。しかし選手たちは平壌地下鉄や鉄道に無料乗車できることがある。一般人は平壌地下鉄に乗るのに5朝鮮ウォン(現時点で0.75円)。

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前回と合わせて北朝鮮サッカー関連記事
いずれも過去の情報で、特にコロナ禍後に北朝鮮はW杯予選含めた全ての国際大会を棄権。代表活動が停止され以降の情報はかなり限られる。

中国の微博(Weibo)の情報では2022年に国内戦は再開してる模様


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