翻訳記事:中国でプレイした北朝鮮代表キムヨンジュン

2019年だが、ちょっと面白い記事を発見。

北朝鮮と中国は政治的にも地理的にも近い関係だが、中国リーグでプレイした北朝鮮人選手は意外に多くない。

そのうちキム・ヨンジュン(金 永俊 Kim Yongjun)は代表59試合7得点。2010年ワールドカップや2011年アジアカップにも参戦したレジェンド級の選手。05年東アジア選手権の日本戦では決勝点を決めている。

例によって北朝鮮の選手は引退後の情報がなかなかないが、2019年アジアカップで北朝鮮代表監督として久々に出現し(ごく一部のマニアックなアジアサッカー)ファンを驚かせた。
そんなキムは06-07年まで延辺(当時中甲=2部)、08年に成都謝菲聯(中超=1部)に在籍。当時の彼に関する成都商報の取材記事があったので翻訳

因みに中国プロリーグの北朝鮮人選手は、94年吉林敖东(延辺の全身)に林虎、李光哲が加入したのが最初。97年瀋陽海獅(現広州城)に卓永斌、李昌河、赵仁哲。00年にハンソンホ(Han Song-ho)が遼寧へ加入、その後キムと同時期の延辺でソヒョクチョル(So Hyok-chol)、キムソンチョル(Kim Song-chol)、キムミョンチョル(Kim Myong-chol)、いずれも代表経験ある選手が在籍している。

なお、延辺は中朝国境沿いにあり、朝鮮族が多い。半分中国半分朝鮮半島みたいな土地柄、北朝鮮の選手も馴染みやすかったのだろう。クラブも中国代表に多くの朝鮮族選手を輩出し1部でも活躍したが19年に財政難で解散。最近まだ新しいクラブが立ち上がり再起を目指している。

北朝鮮サッカー関連ではもう1つ記事を書いてるので、そちらも参照下さい


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北朝鮮代表の中超での日々:ルールに厳しくボーナスを受け取らない。インスタント麺好き


 2019アジアカップ、E組の北朝鮮はサウジアラビアを迎え撃つ。成都のサポーターにとり、北朝鮮の監督キムヨンジュンは懐かしい存在だ。僅か35歳(当時)でアジアカップ参加国中最年少の監督は、2008年成都谢菲联(注:その後解散)で中超リーグに参戦。当時の彼は北朝鮮代表キャプテンでもあった。攻守にバランスとれた彼はサポーターに深い印象を残し、10年経って懐かしの選手がアジア最高の舞台で指揮を執ってることに感嘆を禁じ得ない。

 2010年ワールドカップ後、他国はキムに関する情報を得られなくなっていた。この間キムは何をしてたのか?どうして代表監督になったのか?
成都商报-红星新闻の記者はキムの元チームメイト、代理人やクラブ関係者への取材を通じて、キムが成都にいた頃について情報を集めた。

・とてもルールに厳しい ボーナスも受け取らない

 2008年2月、中超昇格果たしたばかりの成都谢菲联は当時の北朝鮮代表キャプテンだったキムを獲得、これは話題になった。なぜなら中超では初の北朝鮮代表選手だった為だ。当時の監督黎兵(Li Bing)は、前年成都が中甲(2部相当)で延辺と対戦した際、キムのパフォーマンスが優れていたと述べている。

 当時のメディアはキムの移籍を面白おかしく書き、成都はキムを獲得する代わりに、毛家湾にあったクラブの訓練施設を北朝鮮代表に1か月試用させたとか、キムは成都での月給は1200元(現在のレートでも2万3000円、08年当時は2万円以下)給与の大半をキムは北朝鮮サッカー協会に上納せねばならない。ボーナスも拒否した・・・
 それに対し、かつて成都谢菲联のクラブ幹部だった人物は記者に対して
「当時北朝鮮代表は2010南アフリカワールドカップ予選に向け成都でキャンプしており、クラブは彼らに車や宿を提供した。但しキムの給与で全て賄ってた訳ではない。キムの給与は確かにそんな高くないが、1200元とそこまで少なくはない。」

 この幹部はキムについて「とても礼儀正しく、上下関係をとても重視していた」と振り返り「毎回彼と握手するとき、彼は腰を大きく曲げる。クラブが彼にボーナス支給の打診をしても、毎回拒否する。彼は金は充分あり、貰っても使い道がない。それに違法なのでいらない、と。。」

・中盤のコントロールに長けたMF

 現役時代キムは北朝鮮で大きな名声を得ていた2005年はドイツワールドカップ最終予選で日本やイランを苦しめた。キャプテンも務めたキムは「朝鮮のマラドーナ」と呼ばれた。

 成都はキムに大きな期待をしていた、監督黎兵は「キムは万能のMFで、攻撃的MFも守備的MFも対応。意識やパスは突出している」ただ成都加入後、キムのパフォーマンスは微妙でハードワークに欠けるとの評価だった。(注:リーグ戦4試合出場に終わった)そのためクラブは外国人選手の入替を決断するに至った。
 黎兵は「北朝鮮の選手は基本技術はしっかりしているが、ハードワークに賭ければ中国人選手を上回れない。」
 キムの成都時代の某チームメイトは「“彼は普段あまり外出せず、練習終わったら部屋に戻ってテレビを見ていた。最も好きだったのは、多くのインスタント麺を買って帰り食べることだった」と述懐する。

姚夏(Yao Xia元中国代表で成都等で活躍)は「概してキムは特徴のある選手で、中盤の制御は良かった。恐らく当時の中国リーグにあまり合わなかったのだろう。今彼は北朝鮮代表監督になった、彼らの好成績を期待したい。」

(注:別記事では08年四川省で発生した汶川地震を理由に契約解除した、、との情報も)
http://static.zhoudaosh.com/files/cnews/2018/20181213/CCCCB563CCE7949A41C0850BB5F32B682FF29D173018B36A05BAD8064EEF556D/3.html

・監督としての経験不足、アジアカップの見通しは暗い

 18年12月12日、35歳のキムは北朝鮮サッカー協会により代表監督に任命された。報道では「若くて有能」と称された。北朝鮮メディアによるとキムは2012年現役引退後、同国サッカー協会に重点的に指導者として育てられ、北朝鮮のU16、U17、U23代表のアシスタントコーチを務めた。18年北朝鮮代表はノルウェー人アンデルソンが辞任後キムが引き継いだ。

 かつてキムの成都移籍に携わった代理人の宋青云は記者に対してキムが指揮する環境があまり良くないと述べた。「前任者のこだわりが強く、北朝鮮サッカーの実情を理解せず、多くの誤った決定をしたため北朝鮮代表の状態は良くない。」宋青云によればキムの助手の大半は2010年ワールドカップ出場決めた北朝鮮代表メンバーたちだが、監督経験がたりず、かつ一部主力の欠場もあり北朝鮮は同組にアラブ勢2か国(注:最終的に優勝したカタール、強豪サウジアラビア)がおり、3位になれれば御の字だと言う。

宋青云は更に「キムの北朝鮮サッカー界での地位が高すぎ、指揮を執る上で選手たちより格上なため、今アジアカップの成績も振るわなかった。しかし依然彼は北朝鮮協会の重点育成対象だ。」

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元記事


近年の北朝鮮サッカーに関する情報は中国メディアでも中々見当たらず、
見つけ次第いくつか翻訳して投稿する予定。

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