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僕らはみんなで生きている

この記事は、みんなの北星アドベントカレンダー2022の25日目の記事です。

幸いにして大学に勤め始めて14年目が終わろうとしています。その間に私の「大学生」像は大なり小なり変わってきた部分があります。そこには私が年を取ったことで,見え方が変わった部分もありますし(そっちが大きい?),世の中の大学生,特に私の場合1年生の科目がほとんどなので18歳ですが,が変わってきた部分もありますね。これは後者の話になります。

消えた照明と戸惑う私

授業で教室に行きますが,ある状況になると着く寸前になってドキッとします。それは,教室の照明が付いていないときです。もちろん朝の1講目(北海道方言。国内の多くはたぶん1限目)で私が最初に教室に入ったときなら何の問題もないのですが,授業開始ギリギリなのに照明が付いていないと「あれ?今日って休みだっけ?」となるのです。

で,教室に入ると学生達は揃って話していたりします。あまりに驚いて「なんで電気付けてないの?」と聞くのですが,20人ぐらいいる学生はたいてい何も答えてくれません。たまに「明るいから」と答えてくれる学生もいるのですが,私の感覚では「本当に?」と言いたくなるぐらいの明るさで,仕方ないので「付けていい?」と聞いて私がスイッチを入れます。

照明のための指名とか

「照明ぐらい」となるのですが,同じクラスで何度も遭遇するとどうも授業をする気分が下がってしまいます。で,あるときは「最初の人,お願いだから電気付けといて」とか,適当な学生を指名して「次から○○さんが教室についたら電気付けといて」とか頼むのですが,それも威圧的になるかと思いあまりよくないなあと思います。

結局,ストレートに「電気が消えてるとなぜか悲しいので,誰か付けといてもらえると嬉しいです」と伝えるに留めているのですが,多くのケースは付いてません(ただ付いてるときもある)。

「スイッチをいじってはいけない」ルールだって?

そういうわけで照明が付いてないことは半ば諦めているのですが,どうにもこうにも「暗い中でなぜ学生達は照明を付けないのか」が気になってしまいます。上にも書いたように,消えているたびに「これは純粋な疑問なんだけど」としつこいぐらい言ってから,「なんで電気を付けないの?」と聞きまくったのですが,ほとんど答えが得られません。

そこでインターネット人工知に頼ってみようと思いツイートしたところ「教室の電気を勝手に付けてはいけないと教育されている」という回答がありました。これは僕にはとてもビックリすることです。自分は少なくともそういう教育を学校で受けてはなかったですし,ふたりの子供からそういうルールを聞いたこともなかったのですから。

そこでTwitterのアンケート機能を使って,年齢とクロス集計できる形で聞いてみました。その結果がこちら。

たしかに25歳未満の人の方が「勝手に教室の電気を付けてはいけない」というルールがなかったという回答の割合は高い(25歳以上では94.6%,25歳未満では87.2%)のですが,圧倒的に「ルールなし」なわけです。

空気が電気を暗くした

そんなわけで,やはり。答えが得られないならひたすら仮説・推測を出すしかありません。今年度になって気づいたのですが,照明が付いていないのは1講目と3講目が圧倒的に多く,4講目,5講目に付いてないことはまずありません。

これが何を意味するのか?私が考えたのは「最初に入った人は電気がついておらず,それでも「明るい」もしくは「面倒」と感じて電気を付けない。以降入った人は「これまで誰も電気を付けてないことには何か理由がある,つまり「付けてはいけない」と考えているのだ」というものです。3講目にも照明が付いてないのは昼休みに掃除の人が照明を消すからではないかという推測になります。

これはけっこう良い線を行ってると思いました。でも確かめる機会はなかなかありませんでした。ところが,チャンスは訪れたのです。ある日,偶然早めに教室に行ったところ,教室にいたのは4人ぐらい。そして照明はついていない。

すかさず私は「これは単純な疑問だから正直に教えてほしいのだけど,誰が最初に教室に入ったの?」と聞きました。ある学生が名乗ってくれた(少人数だと素直!)ので,「どうして付けなかったの?僕が考えたのは「明るいから,面倒だから,付けてはいけないと思ったから」の3つなんだけど。このどれか?もしくは別の理由?」と聞いたところ,「明るいから」ですねという答えが得られました。

そして,「教室に入った二人目は誰?」と聞き,名乗り上げてくれた学生にやはり「どうして電気を付けなかったの?ルールがあるから?1人目が付けてなくて付けたら悪いのかなと思ったから?それとも面倒だから?」と聞いたところ「付けたら悪いのかなと思ったから」と答えが得られました。

空気を読むことは幸せか?

そういうわけで,私の疑問への答えは一応出ました。すなわち「1人目は明るいから,2人目以降は前に付けてる人がいないのは何か理由があると思ったから付けない」わけです。

さて,この2人目以降の行動っていわゆる「空気を読んだ」結果なんですよね。空気を読むこと(協調性)は社会生活を歩む,つまり「みんなで生きている」以上,必要・有効な能力だと思います。でも,本当に空気を読むことが幸せに繋がるかを考えると,これはケースバイケースですね。ただ少なくとも教室の照明に関しては空気を読まず,暗いと思ったら付けるのがいいと思います。

少し大げさですが,暗い部屋に電気を付けられることって基本的に何がベストかを考えて生きてることの証拠なんだと思います。もちろん空気を読めることも生きる上で必要なので,「それもできる」ぐらいでいられるといいと思います。

こういうバランスってこれから生きる上で大きな力になると思うんです。たかが電気ですが,そんなことを考えました。

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