学齢期には何が必要なのかー充電ステーションを確保しよう
(5,703文字/個人差はありますが、約10分~11分程で読めると思います)
こんにちは。よこはま発達グループの佐々木です。
昨日はコンサルテーションで仙台へ伺っていました。大変有難いことに、今年からは東北でのコンサルテーションが増えています。
僕は東北出身なので、そこからお声がけいただけることがとても嬉しく思っています。
コンサルテーションでは、何を期待されているかは事業所さんによって違います。同時に、今の事業所さんにとって何が必要なのかも違います。
そうしたことを一緒に考え、伴走していくのが僕らの役割です。
….耳障りの良い表現かもしれません。
そして、それは言うほど簡単なことでもありません。何か正解を持っているわけでもありませんし、七転八倒しながら、それぞれの事業所さんにフィットした形を作っていくしかありません。
そのためにはどうしたらいいんだろうか?
そんなことを考えながら、いつも帰路についています。まだまだ皆さんに共有できるようなものはありませんが、またお伝えできそうなことがあればその都度報告させてください。
さて、今日は「学齢期にはどんな支援が必要なのか」というテーマで書いていきたいと思います。どうぞお付き合いください。
学歴期に多い相談
これまで、オンラインサロンでは150記事以上コラムを書いてきていますが、どうやら内容に偏りがあるようだということがわかってきました。
一つは「学齢期」に焦点をあてたコラムはあんまり書いてこなかったということです。それは避けているとかでもなく、基本的にはどのライフステージだから…という内容は、実はあまり多くないと思っているところが、僕にはあります。
もちろん、その時々によって相談内容も必要な支援も変わってきます。幼児期と成人期では当然相談する具体的な内容は違いますよね。幼児期に「ATMの使い方」なんて相談しないわけです。
でも、幼児期であれ、成人期であれ「支援の本質」は変わりません。なので、できるだけそうしたことをこれまで書いてきたつもりではあります。
とはいえ、「学齢期の話を!」や「成人期の話を!」と研修会などではご希望されることも多く、確かに必要なことでもあるので、今日は「学齢期」のことを書きたいと思います。
学歴期に限ったことではありませんが、以下のようなご相談が増えてくることをよく経験します。
同年代の子どもとの対等な関係を築くことやそれを維持することで悩む
「できた」「わかった」という機会が少なく「どうせ自分なんて…」と自信をなくす
学習面での困難
周囲との違いへの違和感
不登校やいじめの問題
抑うつや強迫症状などの精神科的症状の併発
それ以外にも、知的能力の困難の有無によっても相談内容は変わってきます。ご本人への支援をどうするかも重要なテーマになってきますが、むしろ学校の先生や放課後等デイサービスのスタッフの方々にどうご理解を頂くか、その作戦会議を一緒にすることが多いです。
皆さんはどうでしょうか?
まずは、知的能力の困難がある場合
どうして、周囲に理解して頂く必要があるのか、そのためにエネルギーを使うのか考えると、「知的能力の困難があるから」という限定的な理由だからではなく、放課後等デイサービスを含め関わる方々が増え、直接的な支援を担って頂くことも多くなるので、その分目指していくことの方向性を共有する機会も必要性も増えるためです。
誤解ないようにお伝えしておくと、「知的能力の困難がなければ、こうした取り組みは不要」というわけではありませんし、重要なことです。僕自身も、県立高校の先生にお電話差し上げるということは珍しくありません。
0か100の話ではなく、相対的な分量として多いという意味です。
では、そうした取り組みをしていく時に何が必要になるかと言われると、「自閉症をはじめとする発達障害のことを知っている、支援ができる」というスペシャリストとしての技術だけではうまくいかないと感じています。
それも大事な専門性ですが、もっと大事な専門性があります。それについては、「専門性とは何か?」というテーマで2回に分けて書いたコラムがあるので(先週、先々週くらいのコラムです)、そちらをご参考にされてください。
知的能力の困難が小さい場合
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