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支援の目指すものー自立?自主性?

(6,811文字/個人差はありますが、約11分~17分程で読めると思います)
こんばんは。よこはま発達グループの佐々木です。

よく支援の目的の一つに「自立した暮らしのため」と掲げられることがあります。でも、人によって「自立」の定義もレベルも違ったりします。最近は、「そもそも自立ってなんなんだろうか?」と考えたりしており、今日はそうしたテーマで書いていきたいと思います。どうぞお付き合いください。


自立とその目的

今「自立とは?」と検索したら「自分以外のものの助けなしで、または支配を受けずに、自分の力で物事をやって行くこと」と表示されました。
   
この定義を自立とするのであれば、僕は自立していません。今コーヒーを飲みながらコラムを書いていますが、コーヒーそのものを僕は作ることはできないし、コーヒーを作り、それを商品にし、届ける人がいるからコーヒーが飲めるわけです。屁理屈みたいに聞こえるかもしれませんが。
   
東京大学先端科学技術研究センターにおられる、ご自身も脳性麻痺をお持ちの熊谷晋一郎先生の有名な言葉に「自立とは依存先を増やすこと」というのがあります。「依存」という言葉はインパクトがあるかもしれませんが、要は、頼れる先を増やしていくことで、安定した社会生活が送れますということあんだと思います。
       
ただ、熊谷先生は、以前日本IBMのウェブサイトに掲載されたインタビューでこんなことも仰ってます

  
“これはしばしば誤解されるのですが、「依存先を増やそう」というメッセージの宛先は、障害を持つ当事者ではありません。依存先は、障がい者本人が自助努力で増やすことのできないものです。自助努力だと勘違いすると、医学モデル的なメッセージになってしまう。「依存先を増やそう」というのは、あくまでも社会へのメッセージです。社会に依存先という選択肢をたくさん提供してもらわねばならないのです。そして社会は、私たち全員のことです。一部の障がい者のことでもなければ、健常者だけでもありません”
     

「自立」とは、社会の中に「依存」先を増やすこと
逆説から生まれた「当事者研究」が導くダイバーシティーの未来


皆さんは、自立をどのように考えるでしょうか。

僕は「人に頼りながら、居心地の良い暮らしをしたらいいんじゃないか」と考えたりします。自分でできることを自分で取り組める時もあれば、取り組めない時もある。だけど、そんなに居心地も悪くはないという感じです。
   
じゃあ、それってどういうことなのでしょうか。
これはきっと、色々な物差しで考えてみる必要がありそうです。      

自立と自主性

英国でウェブエンジニアをしているジェイミーさんという当事者方は、自立について「私は自立を達成していないし、それでいいのだ。自立は私の目標ではない。私は自主性の方が重要だと思う」と述べていました。
    
そして、「私は支援者を交換可能なユニットとして扱わない。私は人間関係と信頼関係を築く努力をしている。支援者との関係がうまくいかなければ、他のことはうまくいきません」とも加えています。これは、当事者と支援者との関係だけを意味しません。
  
関係者同士も人間関係です。いかにここの信頼関係を築くのかは、良い支援チームを作っていくためには極めて重要です。自分の主義主張を通そうとすることだけが正しいわけではありません。それぞれのの立場、気持ちがあります。ケース会議をするときに、何が大事なのか聞かれることが多いのですが、「これらを考えること」とお伝えすることが多いです。

一人の物差しではある。でもゼロではない。

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