見出し画像

自閉症支援で変わらないこと・変わったこと

(3,430文字/個人差はありますが、約6分~9分程で読めると思います)

こんにちは。今回は、すでにYouTubeで配信している諏訪利明先生(川崎医療福祉大学)との対談をテキストにしたものを配信します。動画と併せてお楽しみ頂ければと思います。

なお、YouTubeで配信しているものは10分ほどですが、フルバージョンはFacebook版のオンラインサロンで配信しています(期間の定めなく視聴可能です)ので、ご関心あればそちらもご覧ください(詳細は下記よりご確認ください)。

これまでのTEACCHの流れ

【佐々木】
諏訪先生、今日はどうぞ宜しくお願い致します。
オンラインでは顔を合わせることはあるのですが、リアルでは随分と顔を併せていないいので、今日はとても楽しみにしていました。

【諏訪先生】
最後に会ったのは福島?まだ佐々木先生が学生だった頃?

【佐々木】
学生の頃もお会いして、働いてからも一度(福島の)トレーニングセミナーのアシスタントとしてご一緒していますけれども、もう6〜7年ほどはお会いしていないかもしれません。

今日は色々お聞きしたいと思っているのですが、皆さんからもTEACCHに関することを聞きたいという関心があります。諏訪先生が長年臨床をされてきた中で、ここはTEACCHとしてずっと変わらない、あるいはここは時代にあわせて変わってきたというのはあったりするでしょうか?

【諏訪先生】
やはり、ディレクターが変わってきたというのはあります。(現在のディレクターである)ローラ・クリンガーになってからも10年がたちます。ぼくがちょうど神奈川での仕事が終わり、川崎医療福祉大学に移った年。あの年にローラもディレクターになったんですね。その年度の最後にTEACCHに訪問した時に、ちょうどローラも新しいディレクターとして赴任したばっかりで、その時に色々話をしたのを覚えています。

TEACCHの変わっていない哲学

【諏訪先生】
そんな流れの中で変わったこと、うーん・・・うまくいえないけれども、変わっていないといえば全然変わっていない。基本の考え方、哲学としてあげていることは、自閉症を理解するということ。TEACCHでは学習スタイルというキーワード、いわゆる脳の情報処理の違い、認知の違いということを、支援にしろ教育にしろ最初のスタートで考えているし、その考え方は昔から変わらない。

それと家族との協働を大事にするということです。さらに、学習スタイルを捉えたのであれば、自閉症の人たちに分かりやすく情報提供するために、Structured TEACCHing、いわゆる構造化というものをアセスメントによって組み立てていくというのも変わらない考え方なんですね。

さらにいえば、自閉症の人を全人的に捉える。幼児期からずっとサポートするということで、哲学的なところはショプラーの時から変わっていないと思うんですね。

TEACCHの変化

【諏訪先生】
ただ、変わったというところは、例えば用語の一つ一つとかそういったところはちょっとずつ違ってきたりというのはあるかもしれませんね。

そもそも、「構造化」ではなく「Structured TEACCHing」とわざわざ言っているのはなぜかというと、ローラがはじめて会った時に、「TEACCHって誤解されてない?」って言ったのが印象的なんですね。「日本ではどうなの?TEACCHは正しく理解されてる?」って。

例えば、「自閉症の人を支援する時には黙って支援しなさい」とか、「絵カードを使いなさい」とか、「衝立を使いなさい」とか、ローラがあげてくれた誤解っていうのは、日本でも今ひとつ整理されないまま、それがTEACCHのやり方みたいな感じで、やたらめったら衝立を立てたり、次から次へと絵カードを作ってみたりとかね。そういうことがあったので、「確かにそうしたことは起きているかもしれない」という話をしたことがあります。

そんな中で、TEACCHは今まで自分たちが伝えてきたことが、「本当にきちっと自閉症の人のために使われているのか」「支援している人たちもそれをちゃんと意識しよう」というのを整理しようというので、語句の見直しとか、さらにはそうしたことをきちっと語れるためにに資格制度を設けたりとか、そういうところは昔とは変わったかもしれません。

でも、根本は何も変わっていない

【佐々木】
確かに、用語の中でも学習スタイルの切り口、言葉も変わってきたと思います。暗黙的学習などは言われていなかった言葉ですよね。

【諏訪先生】
だから、そうしたところが変化といえば変化なので戸惑う人はいるかもしれないけれども、根本的な哲学は変わっていない。ぼくも初めてTEACCHと出会った時に「家族との協働」というのが一番自分の中ではヒットしたけれども、それはずっと昔から本当に大事にされているところで、自閉症の人を中心に専門家と家族が協力していく、そうしたものは今も変わらず活かされているのかなと思います。

なぜ「構造化」ではなく「Structured TEACCHing」なのか

【佐々木】
さっき諏訪先生がおっしゃっていた、「敢えてStructured TEACCHingという言葉を使っている意味」について、もう少しお話を聞いてもいいでしょうか。

【諏訪先生】
Structured TEACCHingという綴りを見ると、teachingというところに、敢えて「TEACCH」という大文字を入れて、そもそも構造化の考え方はTEACCHからきているのを強調しているんだと思う。あとは、単なる自閉症の人に対応する方法論みたいな感じで構造化が一人歩きしてしまっていることに関して、本来自閉症の人たちにとって生きやすくなるための道具のようなものに過ぎなかったものが、いつの間にか「そうしなきゃいけないもの」になっていたりとか。

そして、そうしなくちゃいけないの中には、アセスメントを経てというプロセスが全部すっ飛ばされて、「自閉症の人だから視覚的な手がかり」とか、「自閉症の人だから衝立を立てて環境の整備」とか。「いや、でも待ってよ。自閉症の人だからじゃなくて、その人はどうなんだ」というのがやっぱり大事だと思うし、そうして考えた時にですね、構造化という支援は本人に合わせてつくられていくことが理想的で、もちろん合わなければ何度も作り替えていくというのが大事なことだと思うんですね。

でも、それがいつの間にか「自閉症の人はこうやればいい」みたいに、それだけで終わってしまっているようなそういう現状に「もう1回TEACCHにかえってくださいよ」というニュアンスがあったのかなと思うんですよね。「TEACCHはそんなことを言っていましたっけ?」「TEACCHは、とにかく自閉症の人を理解しよう」ということを大事にしているのであって、その結果として、まぁ構造化が情報整理をする方法だということがあるにしろ、構造化が先ではないということを強調しているんだと、ぼくは思っています。一緒に日本語に翻訳をする仲間として、そこを打ち出すために「構造化」とは言わずに、敢えてStructured TEACCHingと呼ぼうという動きも最近はあります

【佐々木】
(構造化は)方法論ではないんですよね。構造化で一番大事だと思うのは、考え方だと思うんです。なんでそれが必要なのかという。でも、構造化は良くも悪くもインパクトがあるんだと思うんです。絵カード一つとっても、自閉症の人にとってもインパクトがあります。それを見てよかったと思う人もいれば、命令されたと思う人もいます。支援者側も「これをやればうまくいくんだ」とだけなってしまうこともあります。でも、そうじゃないということをちゃんと伝えていくことが大事なんだと思っています。

そうなった時に諏訪先生から見て、クリンガー先生から誤解されていないかという問いかけがあったように、肌感覚としては誤解は減ってきている感覚なのか、まだまだ誤解されている感覚なのかどうですか?

*続きは、Facebook版のオンラインサロンで配信しています(期間の定めなく視聴可能です)ので、ご関心あればそちらもご覧ください(詳細は下記よりご確認ください)*

YouTube版

公認心理師・臨床心理士・精神保健福祉士
佐々木康栄

その他SNS

▼Facebook

▼Twitter

▼Instagram

▼note


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?