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母の日から思う、「お母さん」のあり方について

2023年5月14日は母の日。
大学生で、遠方でそれぞれ一人暮らしをする二人の息子から贈り物が届いた。
それは私の好きな銘柄のビールとそれによく合うスナック菓子だった。
二人でお金を出し合い、選んで送ってくれたよう。
母の日を忘れず気遣ってくれる優しい息子たちに育ってくれた、と、とても嬉しく感激の一日だった。

母の日に贈り物をする・しないの違いはどこから?

思えば私は、結婚するまで母の日になにか贈り物をしたことがない。
本当に薄情な娘だ。(結婚してからは毎年贈り物をしているのだが)
ふと思う、母の日にお母さんに感謝する気持ちに違いがあるのはなんでだろう?
育児方針の違い?
子供のそもそもの素質?
親の影響?
はたまた時代の流れか?(現代の子は親と友達感覚でいる場合が多いらしい)

その疑問の答えになるかは分からないが、最近読んだ本に興味深いことが書いてあった。

「対象としての母親」と「環境としての母親」

「対象としての母親」と「環境としての母親」
対象としての母親というのは、あなたが今、心に思い浮かべている母親の姿のことである。(中略)一人の人として母親を思い出す時、あなたは対象としての母親を思い出します。
これに対して環境としての母親とは、あなたに気づかれず、意識されない母親のことです。(中略)うまくいっている時には存在を忘れられ、うまくいかなかったときだけ存在を思い出される。逆に言えば、感謝もされないくらいに自然に行われているときに、お世話はうまくいっている。

「聞く技術 聞いてもらい技術」東畑開人

毎日のご飯、掃除、洗濯など、何もしなくても毎日普通にお母さんがしてくれていて、ご飯は食卓に並べられ、洗濯物はきれいにたたまれタンスの中に入っている。部屋のゴミはいつの間にか回収されいつの間にかきれいになっている。

このような環境だと、まさに母親は「環境の中の一部」となり家族に意識されなくなるという。なんと悲しい・・・

著書の中で、だから子育ては程よい母親であることがよいとされている。
育児や家事に時々失敗する母親。
その時に子供は「対象としての母親」を意識するという。
そこからまた挽回して育児をこなし「環境としての母親」を回復する、その繰り返しで子供は母親を一人の人間として、お母さんにも限界があるんだなと知り、感謝の気持が育まれる と書いてあった。

ちゃんと対象として認識してもらうには

そういえば私の母親は、仕事に家事、親の介護をこなすパーフェクトな母親だった。私の身の回りのことで困ったことはほぼない。
かたや、私自身はというと・・・
子供の弁当は週一でサボる・子供の体操服の洗濯が間に合わないこともある・夕ご飯手抜きがち・学校行事も忘れがち・・・
とかなりの失敗ぶり。

でもまあ、それで感謝の気持が生まれてくるならそれでもいいかと前向きに捉えてみる。
世の中のお母さん、子供のためと思い完ぺきにこなしていると環境の一部になってしまうから、ほどほどに失敗してもいいんです。
その方が、ちゃんとお母さんとして認識してくれるんです。

まとめ

これはお母さんじゃなくても、お父さんでもお兄ちゃんお姉ちゃんでも、はたまた先生・社員・部下・・・とどんな立場でも言えることではないかと思う。
ほどほどでいいんだ。
少し肩の荷がおりた、そんな母の日でした。

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