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「誰かのために」そう思った時に力が湧く

高校から吹奏楽をしていて、
大学に入ってからは指揮をしたくなった。
というのも、全体を動かせる。
不満に思っていることも、変化させたいことも
自由自在になると指揮者という立場を利用すればできるのだと
そう思い込んでいた。

実際に学生指揮になった。
棒の振り方もわからない。
それなのに自分の思う音楽をしたくて、人に頼ることを避けた。
それは指揮者として一番やってはいけないことだった。

合奏はいつもうまくいかず、
先輩方からは叱責ばかり、
そんな姿を見ていた同期も後輩も
きっと僕に失望していただろう。
「もう指揮台に登りたくない」
そう思うこともあった。

ある時をきっかけに
僕は「人の話を聞けてない」ことを知る
仮想空間での自己有用感
何も達成できていないのに意識だけは高い
他の人からの意見も取り入れようとしない
「人の話を聞く」というのは
話されている途中で、次の応答を考えることではなく
その人が話したいこと、その人が考えていることに
少しでも多く触れることなのだと知った。

じゃ先輩方は何を思って
僕に指導してくださるのか
そこに着目することにした。

「指揮の拍子が見えにくい」


拍子が見えにくいとはどういうことなのか。
僕の技術では図形が描ききれていないということか。
拍子がなくなれば、全体の演奏もバラバラになる。
一瞬一瞬最高の演奏を目指す先輩方、みんなのことを考えたら
そんなことで時間をとっている暇などないのだ。

一つの指摘から、
いろんなことを推測した。
「この人が求めているものは何か」
「この人がもっと吹きやすくするためには何ができるか」

そう考えることで、自分のすべきことが見えてきた。
するべき練習も自ずと出てきた。

それから、人から意見を求めるようになった
変化したとき、自分のことのように喜んでくださる人がいる
一緒にいいものを作るために、自分にできることを増やしていく
自分では自分のことを分かりきっていたつもりだったけど、
他の人から見える自分は、
全く見えていない部分が多かった。
毎日が学びで、毎日が成長だった。すごく楽しかった。
自分があまりに意見を聞くものだから
周りのみんなも、徐々に頼ってくれるようになった。
そこで、やっと気づいた
指揮者って周りの信頼ありきなのだと

技術面は練習すればうまくなる。
カリスマ性もない僕には
信頼を勝ち取ることが大きな武器になることを知った。
そしてその信頼とは本番で大きな力を発揮する。

毎回の楽器の本番では緊張してベストを尽くせないことがあった
指揮になると、自分のベストをというより
「一緒について来てくれた人たちのために」
「お客さんに喜んでもらうために」
より抽象度の高い目標を念頭に置いていたからこそ
良いものを出せたと思う。

演奏会が終わって
「よかったよ」
「すごかった」
と言われるのが何よりも嬉しかった。
自分の頑張りが評価されたというよりも、
僕の仲間達すごいでしょと思う気持ちだ。

指揮は音楽の一部に過ぎない
だけど、奏者なしには演奏できない。

指揮経験を通してかけがえのないものを学んだ。

あれから数年経つが
正直自分の指揮は恥ずかしくて直視できない(録画とか)
まだまだ改善できる点がいっぱいある
だけど、人前で指揮をしていることについて
絶対に言わないことがある。
それは、
「自分の指揮は下手くそ」って言葉
今まで、意見をくれた
一緒になって音楽をしてくれた
僕を信じてくれた人たちをバカにするような言葉は
自分から言ってはいけない。

「みんなのために」と思ってたから出せた本気
これからも、どんな形でもいいから繋げていきたい。

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