世の中のコンテンツの総数

最近、様々なコンテンツが多いと思ったので、適当にタラタラ書いていこうと思う。

地上波テレビしかなかった時代と比べると、YouTubeやAmazonPrime、Netflixなど多数ある。今新しくできたのがDMM TVだ。

ここまで、見る媒体が多いとコンテンツを消費する側としては追いつかない。そもそも追いつかせようとあまり思っていないのかもしれない。
多様性が叫ばれる昨今、嫌いなものには蓋をすることはいとも簡単に行える。だからこそ、他人との協調性は下がる一方だ。ただ、協調性がないことも多様性なのかもしれない。
こんなことばかり考えると頭が痛くなってきてしまう。

私は、自分が好きなものだけを見ればいいという人にはなりたくない。だからこそ、いろんなものを受け入れようと考えて、様々なものを契約し、コンテンツを消費する。

コンテンツを消費すると、どういう風になるかというところも話したい。現代の文明はすごい。見たものに対してオススメをするAIというものがある。これは、コンテンツを作成する側として、継続的に消費してもらおうという策略だ。だって、そちらの方が作る側としても資金が潤沢になり、継続してみてもらうことで、安定して良質なコンテンツの作成ができる。ただ私はその策略に絶対ハマりたくない。ハマってしまえば一瞬で、時間が奪われ、ほかのコンテンツを消費することができなくなってしまう。

このAIというものが非常に厄介だ。あるサイトで見ていたものを、別のサイトの表示でも似たようなコンテンツを持ってくる。AIに「お前はこれが好きなんだから、これ見ておけよ」とでも言われているようだ。

世の中のコンテンツは様々ある。また、その一つ一つが、1作品で終わりではなく様々なコンテンツとリンクしている。
リンクしていると、リンク先のコンテンツをチェックし、またそのコンテンツからリンクされている先までたどり着く。そうするとAIがさらにリンクしているコンテンツを持ってくる。

多分、自分が好きなもの以外も消費したいと思っていても、AIのせいで好きなものに囲まれている、ぬるい状態になってしまっているだろう。

ここで書いている文章は何もリンクしていない。題名をつけろと言われているからつけているだけであって、本来題名なんてなんでもいい。
書きたいことを書いているだけであって、別に読んでほしいとも思っていない。ただ、ここに記載しているということは心のどこかでは読んでほしいと思っているのだろう。そんなこと思っていたら、パソコンのWordにでも打ち込んでおけばいいだけだから。

話を戻すと、なんで好きなもの以外も消費したいかというと、自分が好きなもの、所謂楽しいや面白いなどって、社会に出たときにマッチすることはないケースもある。自分の好きではないコンテンツを見ておくことは、すなわち社会に出て、大人の会話をするためにしていること。
こんなことをしていたら社畜だの、言われそうだが、実際に営業をするときに、相手が好きのものや、好きなことを調べるのは世の常である。別に先方が好きなことや好きなものに興味がなくても知っておくだけで、話のタネになる。だから、好きなもの以外にも消費をしておきたいのだ。簡単に言うと、仕事の前準備。ただこんなことをしても給料は別に増えない。

給料が増えないのは、お金を多くもらえないというわけではない。営業の成績が良くなれば、もちろんもらえるお金は増えるが、人生の時間としては、好きなことをやっていないので、減っている。
人それぞれの価値観があるので、表現としては難しいが、時間はお金では買えない。いくらお金を積まれても、今の時間は一切買えないのだ。

世の中のコンテンツが増えすぎたせいで、様々な人の価値観も増え、様々なコンテンツを見ることで、自分の時間は減っていく。
ただ、これを書いている瞬間にも世の中に新しいコンテンツができ、それは増え続けるだろう。そして、総数はどんどん数え切れなくなるだろう。
だから、なんだよと言われてしまえば悲しいが、小学生の頃の「昨日のテレビ見た?」くらいのコンテンツに収まってくれた方が楽だなと思っただけです。

最後に、こんなにダラダラ書いてきましたが、Gyao様、いままでありがとうございました。お別れが寂しいですが、最後まで面白いコンテンツを作ってください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?