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適応障害になった経緯のお話

こんにちは、toshiです。

今回は私が適応障害になった経緯を簡単に書きたいと思います。

やはり身バレが怖いので、少しボカしながら記事を書いていきたいと思います。

1.適応障害を発症した部署に異動するまで

私は入庁後、いくつかの部署を経験しましたが、正直どこの部署でも「仕事しんどくて辛い」と感じることばかり起きました。

過去話は機会があれば別の記事で詳しく書きたいと思うので、ここでは簡単に触れます ↓ ↓ ↓

  • パワハラ(Twitterでプチバズりする程、えげつなかったです)

  • 長時間残業(MAX月220時間)

  • 担当内の尻ぬぐいや地雷処理(「持ちつ持たれつ」とはいえ、さすがにイライラしていました)

  • 理不尽な人事異動(ずっと嫌な仕事を押し付けられる併任辞令など)

それでも必死に耐えつつ、頭が良くないなりに一生懸命仕事に取り組み、業務改善等で成果を出すこともできました。

おかげで自分で言うのも何ですが、庁内で割と人望も厚くなり、色々と頼りにしてもらえる程になりました。
当時お世話になってた部長からは「お前は将来うちを背負って立てるよ」と言ってもらったり、他部署の後輩たちからも「toshiさんの下で働きたいです」とよく言ってもらっていました。(あれ?これただのお世辞…?)

こうして、いよいよ適応障害を発症した部署へと異動することになりました。


2.適応障害を発症した部署の状況


①部署の状況

異動先の部署はトップ肝入りのところで、政治色も強く、「選ばれた人間が配属される」感が強いように感じられました。
そのため仕事はとても忙しく、引継ぎを受ける際に「ドン引き」するほどの事業を抱えていました。

またトップ肝いりの激務部署ということもあり、周りはとても優秀な職員で固められていました。
さらに私の前任は、特に庁内外で仕事ができることで有名で、数々の成果を残したすごい方でした。

この時点で目立つことがあまり好きでなく、プレッシャーに弱い私は精神的に追い込まれ始めてました。

さらに部署もほとんど人が入れ替わってしまい、前年から残っている職員はほぼいないという状態になっていました。(何やっているんだ人事笑)


②人間関係

一言でいうと、人間関係は決してそこまでは悪くなかったと思います。

ただ私自身が部署内の他の方との相性がそこまでよくなかったこともあり、気軽に相談!悩みを吐露する!ということができませんでした。(あくまで私自身が原因なところも大きいと思っています)

今更ながら思うのは、個人個人で見ると「いい人たち」だったとしても、人間やはり相性が大事だなということです。


③仕事内容・量

この部署の仕事は、膨大な量があり、また多岐に渡る種類のものでした。
おかげで仕事量に対して職員数が少なく、部署が回っていないような感じでした。

その結果、私が引き継いだ事業も、あとから「こんなの聞いてないよ…」ということが噴出していました。
(「おいこれ一週間でやるの?」という業務が突然湧いて降ってきて、毎日セブンイレブン(7時~23時)営業で仕上げた思い出も…)

ずっと「しんどい思いしてまで、そこまで仕事やりたくないな」という気持ちだったことを覚えています。


3.適応障害を発症するまで

上に書いたような状況だったので、もう最初から自分の中のアクセル全開で日々業務にあたっていました。
平日は夜遅くまで仕事をし、土日ずっと仕事のことを考えていました。

このように仕事に全力に向き合い毎晩ヘトヘトになって帰ってくるのに、実は異動前の引継ぎを受けた日からずっと不眠症に悩まされていました。
毎晩数回中途覚醒をしてしまい、まともな睡眠が取れない日々。
さすがにこれはよくないと、4月中には心療内科に行って、睡眠薬をもらい仕事を続けていました。

しかしこの状態で仕事を続けていると、どんどん自分の仕事のパフォーマンスが落ちていくのが分かりました。

頭がどんより重い、会議でうまく喋れない、何の仕事からすべきか判断ができない…

さらに仕事中だけの話でなく、ご飯を食べるのもしんどくなってきていました。
また土日も身体が動かず寝たきりで、家事や趣味もできない状態。

そのような状態の中、また心療内科に睡眠薬もらいに行ったときに、体調のことを医者に話したら「それは適応障害を発症している。休職したほうがいい。」と言われ、休職の診断書が発行されてしまったのです。

しかし、そのとき私は過去に修羅場を耐えてきた自負もあり、「休むのなんて職場に迷惑かけるから申し訳ない。まだ自分はやれる!」と考えてしまいました。

上司には診断書が出た報告をし、休んでもいいとは言われましたが、自分の小さなプライドを優先して「休まず頑張ります」と答えてしまったのです。

その後、上司は私の体調を気にしてはくれていましたが、業務量や重さは調整されるわけでなく、たまに年休を挟みつつ仕事に食らいついていました。

しかし、体調もどんどん悪くなり、パフォーマンスは落ちていく一方。
うまく仕事ができず「期待されてこの部署来たのに、全然自分は仕事ができない。みんなに申し訳ない。」といつも心の中で自分を責めるようになってしまいました。

そして四六時中自分を責め続けた結果、心の中はどう変化していったのか?

「迷惑かけて周りに申し訳ない。」 
 ↓
「迷惑かける自分は組織にとって価値はない」 
 ↓
「自分に生きている価値はない。死んだ方がいいのではないか。」

と、通常の精神状態では考えられない方向に変化してしまったのです。

ここまで心が壊れてしまったら、もはや仕事どころの体調ではなくなっていました。
(適応障害で体調がひどかったときの症状は、また別の記事をあげようと思います。)

最後は妻からの休もうの言葉と、自死しようとする夢を見たところで、自身の限界を悟ってお休みをもらうことにしました。



以上が、適応障害を発症して長期のお休みをもらうまでのお話でした。

最後までこの記事をお読みいただきありがとうございました。

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