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薬を止める勇気

あやさんに僕の記事を取り上げていただきました。拙い文章にも関わらず、多くを汲んでくださりまして、ありがとうございました。

ちなみに、僕、ちょっと嘘ついてます。

適応障害は本当にどっか行ってしまいましたが、それでも止められないものがあります。それが薬。具体的にいうと睡眠薬代わりに使っているクエチアピンです。

今はたった25mg。許容されてる最大摂取量は750mg/1日です…カスみたいな量(笑)

地獄の大阪出張のときは朝昼晩と飲んでたクエチアピンも、今はたった夜1錠しか飲んでません。頓服として利用していたロラゼパムやクロチアゼパムに至っては9月から徐々に減っていきまして10月に入ってから1錠も飲んでないため、全ての薬を止めるのは時間の問題かなと思ってました。

でもこの1錠がなかなか止められない。

コレに関しては冗談とかではなくて、本当は止めたいんです。たかが1錠、されど1錠。恐らく薬の効果そのものはほぼないと思います。それでも止められない。

なんていうのかな。依存といったらおかしいんだけど、飲んだ後の効用というよりは「飲んでる自分」に安心感を覚えてるというか。

体調はかなり良くなって、健常な自分に戻っていると感じることが多いです。数ヶ月前の自分を思い出すことはあっても「あんなことがあったよねー」みたいな割り切りも出来ています。

それでもなお薬を飲む行為に頼ってしまっているのは、単に止める勇気がないのか、それともまだ何か心の底で未知なる不安が渦巻いているのか。

もはやお守りと化しているクエチアピンです。こんなものを有難そうに飲んでる自分も嫌で、「今日は飲むのをやめようかな」と思ってみては「いや、でもコレでまた寝られなかったらどうしよう」なんて反駁する。

薬を飲まずに寝られていたのは数年前に遡るため、今の自分は薬なしの睡眠をイメージできないという気持ちが根底にあるような気がしています。

じゃあ1錠じゃなくて半錠にするかとかも考えました。けど薬の効用に頼ってるというより飲む行為そのものに依存している感があるのであんまりそれは意味がないような気がしてます。そもそも1錠でさえ非常に弱い効用しかないんだから。

薬を飲んでるということに対して安心感を得ているという事実だけを捉えるとまだ病気は治ってないんかなあとか落ち込むことがあります。それとも薬に甘えてるのかな。うーん、ちょっとそれは違うような気もする。表現が難しい。

薬を止めることに対して悩みすぎるのも本末転倒だし、焦るというほど焦ってもない。でも止められるなら出来る限り早めに止めたいです。

ゆっくり考えようとか、段階的にやっていこうとか、諸々思うことはありつつも、薬を止めるという意思だけは強く持ちたいです。精神面ではよくなっているのは確実なんだから、あと一歩なんです。

自分の人生の次のステップはここだと何となく思ってます。


ちなみにロラゼパムは結構な量が残ってるから折をみて捨てたい(笑)

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