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誰が僕のメンヘラnoteを読んでるんだろうか

昔、なんかのきっかけでハマったブログがありまして、毎日僕は読んでました。多分アメーバブログ。懐かしい。コメントも結構した記憶があります。

そのブログは、家庭事情最悪、親とはほぼ絶縁、さらには離婚を経験してパチンコで借金200万ぐらい作ってしまったという、これでもかっつーぐらい闇を背負った同年代の女性が書くブログでした(笑)

貧乏と家庭内事情を赤裸々に書くその文章のタッチが好きでしたね。多分ギャンブル依存症だったんだと思うんですが、給料日になるとついパチンコに行ってしまうようで、その日はだいたいコメントが荒れてました(笑)

「米を研ぐときは、一杯目の水だけ良いヤツをつかうのがいい」

とか学んだのもそのブログでした。借金めっちゃあるのにお前は米をミネラルウォーターで研ぐのかよとツッコミどころも一杯あったんですが、僕を含めてそれなりにファンがいたようでAmazonのほしい物リストから定期的に彼女に対してモノが送られてきていた記憶があります。

この時の僕って、どういう目で彼女のブログを見てたんだろうなぁと今思い返すと何ともいえない気持ちになりまして。

この時期は僕が会社を辞めて、バイトしてたときでした。

時給いくらのヤバめな経済状況にも関わらず、個人的にはノーストレスで働いていたのでのんきなもんでした。一方で言い知れぬ不安とかもあって、この仕事やってて未来なんてあるんだろうかとか、このままジジイになるまで続くのかと思うと辛いなーとか色々思う事もあったりなかったり。

そんな時に出会ったのが、彼女のブログだったわけです。

なんでそんなブログをみていたのか。別に僕はパチンコにも米のとぎ方にも興味はありません。

もしかすると。いや、真面目に思うのは、自分より下であろう彼女の日記をみて「あー、僕より酷いヤツがいる」と思って、安心してたのかもしれないです。

やずたかはまじでサイテーな野郎です。認定。

でも、全然自己肯定するつもりはないんですが、本当人間って残念な生き物でして、自分より下の人間がいると安心するんですよね。江戸時代の部落差別なんてまさにそれ。差別とかいじめの先にあるのは、結局自分の不満・不安を解消するために自分より力のない人を虐げるのが目的なんです。

彼女のブログは比較的毎日更新されていまして、時々行ってしまうパチンコ(絶対負ける)、いつもやってくるア〇ムの支払い(払えなくて督促の電話かかってくる)、粗末な食事風景(のわりに米はミネラルウォーターで研ぐ)など、なかなか面白かったです。

ところがどっこい、突如彼女の日記は終わりを告げました。

実はそのブログに仕掛けられたGoogleAnalyticsというWeb解析ツールがありまして、そこに記載されていたIDが別の不動産屋社長ブログのIDと同一だったことがバレました。

まー、簡単に言えば「彼女=不動産屋社長」ってことになります。いや、どっちが本物でどっちが偽物かはしらん(笑)この際、どっちでもいいんすわ。偽物だと分かった瞬間に両サイトとも荒れに荒れました。

最終的に二つのサイトはこの世から抹殺されました。攻撃されまくって、最終的には管理者自らサイトを閉じたんだと思います。

いやー、そう思うとですよ。

僕、マジで滑稽じゃないっすか。僕より下の人は幻でした、という話です。そりゃ借金持ちがミネラルウォーターで米は炊かねえよな。

そんなもんなんです。心の弱さを何かに委ねる先ほど、危うくて怪しい。悲しいほど非論理的で、虚しい感情でしかないっす。その腐った湖に浸ってて、あんた幸せなん?って聞き返さないと、ロクでもない結果が待ってます。

誰かと比較して安心する、不安になる、奮起するってパターンは時にいい方向にもいくし、全てを否定することはできないとは思うんですが、僕みたいな「下をみて指をさして笑ってる」みたいな馬鹿は、自分の位置を変えようとも成長しようともせず、ただただ自ら泥船に乗ってることさえ知らないクソ野郎でした。

あいつは俺と違う、あいつは愚かだって思う事で自我を保つんだよね。

で、本題。果たして僕のnoteを読んでる人たちってどんな方々何だろうかという単なる疑問。

僕はまあまあクソめいたメンヘラなnoteを書いてるわけじゃないですか。読む人が読めば不快にもなるだろーし、何か凄く感銘を受けるような言葉を綴ることもないし。別に楽しい気持ちになるnoteではないと思ってます。

中には、きっと「自分より酷い人生を歩んでるやつがいる!」と思いながら見てくれてる人もいるやもしれない。いや、全然いいよ!さっきも言った通り、僕だってそういう目で見てた時期があるから、よくわかる。ただ、あんま読むと自分まで鬱っぽくなるから注意してほしいです(笑)

そんななか、色んな方から言葉をいただくと、「あー、こういう人もいるんだな」と思う事があります。

「よくわかります!」
「私も同じ気持ちです」
「よく言語化してくれました」

なんて、すごーくすごーくお褒めいただけたりするのはとても嬉しい。なんていうんですかね。上とか下とか関係なく、自ら共通した「生きる苦しみ」をお互いが言い合う事で共にまず「一人じゃない」「同じ苦しみを持つ人がいる」という気持ちになれることが大きいのかもしれません。

あの見下しはどこいった(笑)

馴れ合うっていったら言葉は悪いかもしれないです。でもさー、僕らひとりひとりはビックリするほど弱い存在だからさ、何かに頼って生きていくにしても、僕らは普通の人たちには避けられがちだし、理解されにくいし、なにより面倒くさい存在です。

だから、気持ちが分かり合える人たちとこうして話をするだけでも、まあまあ僕のnoteでもちょっとは価値はあるのかなーって思ったりします。

団結とまではいかなくとも、一緒に寄り添って考えていきませんかぐらいの感覚で読んでくれたら嬉しいですね。

やっぱり、上とか下とか言うてるだけじゃ、前には向けないんですよ。ちょっとずつでいいから、皆で歩いていければいいなー。

主に僕は「ツライ苦しい死にたい」しか言ってないけど(笑)


あー、ロラゼパムマジで効いてきた。やっぱ違うねお薬は。今日はお疲れ様っした。

明日は東京に戻ります。

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