見出し画像

【分布意味論時代の歩き方6パス目】「TVドラマ時代」終焉の始まり?

meme進化論的立場に立つ私としては「メディアミックスによるシナジー効果最大化の追求」を全面否定するこの様な展開が一番許せません。

  • 「誰が悪かったか?」論そのものは正直どうでもいい。その辺りについての私の思いを説明するには、経済人類学者カール・ポランニーが「大転換 (The Great Transformation 1944年)」の中で英国の囲い込み運動を詳細に分析した結果到達した結論「後世から見れば議論や衝突があったおかげで運動が過熱し過ぎる事も慎重過ぎる事もなく適正な速度で進行した事だけが重要なのであり、これが英国流なのだ 」の引用だけで十分であろう。同時期の大陸においては戦争と革命騒ぎが連発して体制疲弊が進行し、次第に欧州における英国一強体制が固まっていくが、その背景には大陸独特の「(被支配階層が動揺するのは、支配者側の権威が揺らいできたからで、むしろ強権発揮による権威回復の方が安定の為の正解と考える様な)調整放棄理念」があったと見てとった訳である。なお、ポランニーの故郷東欧の当時の有様たるや…(涙)。

  • これは文化次元でいうとフランス宮廷における「(ポンペイ遺跡発見を契機とする)柔弱たるロココ芸術から質実剛健を目指す新古典主義芸術への推移」といった流れに対応。そういえば日本史における「江戸幕藩体制下での三大改革」も、内容的にはこちらに属し、まぁそんな「体制初期(全盛期)の状況にロールバックすれば再びすべてうまくいく」みたいな甘っちょろい考え方では到底「近代化=産業革命導入」など夢もまた夢という有様だったのは明白という次第なのである。

「革命はパンの不足ばかりのせいで起こる訳じゃないんだぜ」という話ですね。あんまりにも腹が立ったので、とりあえずメモがてら…

【追伸】「終焉の始まり」についての別意見。

この件について、以下の様に素晴らしく上手くまとめてる投稿を見掛けましたので紹介がてら…

考えてみると日本の製造業では、複数の会社が綿密なコミュニケーションにより製品を開発し製造する「すり合わせ型」の産業が得意と言われてきました。工業製品とテレビドラマでは大きく違いますが、得意技である「綿密なコミュニケーションによるすり合わせ」は使えるはずではないでしょうか?

今回の事件で決定的に違うのは、当事者が「一堂に会して」すり合わせを図ったわけではないということです。仲介者を通じた間接的なコミュニケーションでは、得意分野が生きないということが言えそうです。

なお、蛇足ながら感想として思うのは、ひょっとして得意と言われている日本のすり合わせも、誰かの犠牲で成り立っているのではないか、ということです。元請けの無茶な仕様変更を、下請けに泣く泣く受け入れさせることで「すり合わせできた」と誤解していないか、注意が必要なように思います。

 上掲「『セクシー田中さん』調査報告書」に学ぶこと

一歩間違えば「日本のモノづくり体制そのもの」の終焉に繋がりかねない案件という話ですね。そんな感じで以下続報…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?