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【分布意味論時代の歩き方6パス目】「TVドラマ時代」終焉の始まり?
meme進化論的立場に立つ私としては「メディアミックスによるシナジー効果最大化の追求」を全面否定するこの様な展開が一番許せません。
日テレの報告書を読んだ。自分に起こった過去の諸々が思い出されて、読み進めるだけで手足が冷たくなるような内容だった。
— 三上延@『ビブリア古書堂の事件手帖IV ~扉子たちと継がれる道~』3/23発売 (@mikamien) May 31, 2024
できるだけ感情を排して結論を書くと、私たちにはまるで意味のない調査である。https://t.co/SjMGFLIu70
原作サイドとドラマ制作サイドに認識の齟齬があったからこそ起こってしまった悲劇に、テレビ局だけが内部調査をして発表したところで、ドラマ制作サイドの立場表明に傾くのは避けようがない。
— 三上延@『ビブリア古書堂の事件手帖IV ~扉子たちと継がれる道~』3/23発売 (@mikamien) May 31, 2024
独立した外部の調査委員会が原作サイドを含めた包括的な調査を行うべきだったし、それができないならそもそも調査して発表する意味がない。テレビ局としては「難しい作家」対策の確立という急務はあるだろうが……
— 三上延@『ビブリア古書堂の事件手帖IV ~扉子たちと継がれる道~』3/23発売 (@mikamien) May 31, 2024
例えば原作サイドが出したドラマ化の条件については、小学館と芦原氏のやりとりが何らかの形で残っている可能性が高い。
— 三上延@『ビブリア古書堂の事件手帖IV ~扉子たちと継がれる道~』3/23発売 (@mikamien) May 31, 2024
誰がその条件の話を受け取ってテレビ局に伝えたか、あるいは伝えなかったか、認識の齟齬がどう発生したか、原作サイドも含めた包括的な調査を行えばもっとはっきりしたはずだ。
調査に関わった現場の人たちはできる限りの仕事をしたのだろうが、これは「現場はよくやった」的な内輪の理屈ではどうにもならない問題である。
— 三上延@『ビブリア古書堂の事件手帖IV ~扉子たちと継がれる道~』3/23発売 (@mikamien) May 31, 2024
他にも思うところは色々あるが、とても冷静になれない問題なのでこれ以上は書かない。今日は子どもと出かけてくる。
おっしゃる通りで、この「何が悪かったのかわかってない」ことの堂々たる表明には、一種の恐怖を覚えます。
— マライ・メントライン@職業はドイツ人 (@marei_de_pon) June 1, 2024
地上波の限界、終焉に向けてのはじまりかな…………良い作品はネットへ流れるのでは?
— 千紫繚乱 (@senshiryouran03) June 1, 2024
「誰が悪かったか?」論そのものは正直どうでもいい。その辺りについての私の思いを説明するには、経済人類学者カール・ポランニーが「大転換 (The Great Transformation 1944年)」の中で英国の囲い込み運動を詳細に分析した結果到達した結論「後世から見れば議論や衝突があったおかげで運動が過熱し過ぎる事も慎重過ぎる事もなく適正な速度で進行した事だけが重要なのであり、これが英国流なのだ 」の引用だけで十分であろう。同時期の大陸においては戦争と革命騒ぎが連発して体制疲弊が進行し、次第に欧州における英国一強体制が固まっていくが、その背景には大陸独特の「(被支配階層が動揺するのは、支配者側の権威が揺らいできたからで、むしろ強権発揮による権威回復の方が安定の為の正解と考える様な)調整放棄理念」があったと見てとった訳である。なお、ポランニーの故郷東欧の当時の有様たるや…(涙)。
セクシー田中さんの原作者が自殺した件で、日本テレビの報告書がヤバすぎる。原作者が一人死亡しているのに、日本テレビのプロデューサーが「これで怖がっちゃいけない」とか「社員ができるだけクリエイティブに」とか「それを恐れていたら駄目」とか、これからも同じトラブルを起こす気マンマン。 pic.twitter.com/d6ZcvFLNEI
— 麻布食品 (@azabu_food) May 31, 2024
これは文化次元でいうとフランス宮廷における「(ポンペイ遺跡発見を契機とする)柔弱たるロココ芸術から質実剛健を目指す新古典主義芸術への推移」といった流れに対応。そういえば日本史における「江戸幕藩体制下での三大改革」も、内容的にはこちらに属し、まぁそんな「体制初期(全盛期)の状況にロールバックすれば再びすべてうまくいく」みたいな甘っちょろい考え方では到底「近代化=産業革命導入」など夢もまた夢という有様だったのは明白という次第なのである。
「革命はパンの不足ばかりのせいで起こる訳じゃないんだぜ」という話ですね。あんまりにも腹が立ったので、とりあえずメモがてら…
【追伸】「終焉の始まり」についての別意見。
この件について、以下の様に素晴らしく上手くまとめてる投稿を見掛けましたので紹介がてら…
考えてみると日本の製造業では、複数の会社が綿密なコミュニケーションにより製品を開発し製造する「すり合わせ型」の産業が得意と言われてきました。工業製品とテレビドラマでは大きく違いますが、得意技である「綿密なコミュニケーションによるすり合わせ」は使えるはずではないでしょうか?
今回の事件で決定的に違うのは、当事者が「一堂に会して」すり合わせを図ったわけではないということです。仲介者を通じた間接的なコミュニケーションでは、得意分野が生きないということが言えそうです。
なお、蛇足ながら感想として思うのは、ひょっとして得意と言われている日本のすり合わせも、誰かの犠牲で成り立っているのではないか、ということです。元請けの無茶な仕様変更を、下請けに泣く泣く受け入れさせることで「すり合わせできた」と誤解していないか、注意が必要なように思います。
一歩間違えば「日本のモノづくり体制そのもの」の終焉に繋がりかねない案件という話ですね。そんな感じで以下続報…
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