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「『セクシー田中さん』調査報告書」に学ぶこと

90ページに及ぶ調査報告書から見えるのは、最初のボタンの掛け違いがどんどん大きな溝を生み、ついに取り返しのつかない事態にまで至るおそろしさです。


監査法人で30年強、うち17年をパートナーとして勤めた「てりたま」です。
このnoteを開いていただき、ありがとうございます。

ドラマ「セクシー田中さん」を制作した日本テレビが社内特別調査チームを設けて進めてきた調査。2024年5月31日に報告書が公表されました。

この調査報告書から、我々は何を学ぶべきかを考えます。
なお、この記事では、特定の誰かを批判したり、調査報告書や調査そのものを批判することは目的としていません。



事件の経緯

日経は、事件の概要を次のようにまとめています。

「セクシー田中さん」は小学館の雑誌で連載中だった漫画で、日テレ系でドラマ化された。原作者の芦原妃名子さんが脚本や登場人物の設定などに対する違和感をブログに投稿し、ネット上での誹謗(ひぼう)中傷を含めて様々な声が上がる中で、24年1月に死亡しているのが見つかった。

日経Web版「セクシー田中さん問題、日テレ『認識ずれ信頼関係失う』」(2024年5月31日)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC317RW0R30C24A5000000/

調査報告書を手がかりに、もう少し詳しく事件の経過をたどります。

その前に、主な登場人物を見ておきましょう。

コミュニケーションは基本的にこの経路によっており、原作者が直接A氏や脚本家に連絡したり、脚本家がC氏と打ち合わせすることはありませんでした。

  • 日本テレビA氏が小学館に対して「セクシー田中さん」のドラマ化について申し入れ、「原作者の意見を無視するような改変はしない」と説明。(2023年2月末~3月)

  • ドラマの制作スタート、日テレA氏よりプロットや脚本が順次小学館C氏に送られ、C氏経由で原作者と日テレA氏とのやり取りが続く。(2023年5月~10月)
    A氏は原作者の修正依頼に最大限対応している認識。
    一方原作者は、日テレは肝心なところで対応してくれないと、不信感が募る。

  • ある撮影シーンについて原作者より小学館C氏経由で日テレA氏に問い合わせたところ、A氏は撮影は5日後と知りつつ撮影済みと回答。
    これが原作者の知るところとなり、原作者の強い申し入れにより撮影をやりなおすことになった。(2023年10月上旬)

  • 小学館から日テレに対し、原作者の意向として、9話と10話(最終話)は脚本家を外し、原作者が作る脚本どおりに放送してほしい旨の連絡あり(2023年10月後半)
    ※8話で原作のストーリーに追いついてしまい、9話と10話はドラマオリジナル。

  • 日テレA氏より脚本家に対し、9話、10話は原作者の脚本で進めることを伝える。脚本家は降板については同意するが、9話、10話についても自らの名前を脚本家として表示することを主張。小学館C氏経由で原作者に打診するも、拒否される(2023年11月)

  • 脚本家、インスタグラムにおいて自らの思いを投稿(2023年12月24日(最終話放送日)、28日)

  • 原作者、ブログとXに自らの思いを投稿(それぞれ2024年1月26日、28日)

  • 原作者 訃報(2024年1月29日)


この事件から何を学ぶか

企画段階でのコミュニケーション

もともと私が持っていた印象は、日テレが大メディア企業としての権力を振りかざし、傲慢にも原作者の意向を完全に無視して好き勝手にドラマを制作した、というものでした。
しかし、調査報告書を読むと、事態はそう単純ではなかったことが伺えます。(調査報告書の信憑性については、後ほど触れます)

日テレの担当者(A氏)は、企画を提案する時点で「原作者の意見を無視するような改変はしない」と約束しています。
また、実際に、各話のプロットや脚本が出来上がると作者に送り、意見を聞き、100%ではないものの脚本に反映させています。

一方、原作者も修正依頼の中で、次のように制作側に配慮するようなコメントもしています。

漫画とドラマは見せ方が違って当然なので、本来なら、ドラマはドラマのアレンジを加えてより良い物にして頂くのが 1 番と承知しておりますが…

小学館C氏から日テレA氏へのメール内の原作者の意見とされる箇所

これを見る限り、お互い相手の意見を尊重する姿勢はあったようです。

では、どうして問題は急速に悪化してしまったのか?
その背景には、企画立案の過程でいくつもボタンの掛け違いがありました。

  • ボタンの掛け違い①

    小学館C氏

    未完部分(9話、10話)は原作に影響を与えないよう、原作者が提案するものをベースにしたドラマオリジナルエンドでよい、と伝えた

    日テレA氏
    未完部分はドラマオリジナルのエンドでよい、とだけ聞いた

  • ボタンの掛け違い②

    小学館C氏

    この原作者は原作を大事にしてくれる脚本家でないと難しい、と伝えた

    日テレA氏
    聞いた記憶がない

  • ボタンの掛け違い③

    小学館C氏

    「原作漫画とドラマはまったく別物なので、好き勝手やってください」と言わない限り、原作に忠実にドラマ化することは当然との認識

    日テレA氏
    必ず漫画に忠実に、といった条件は提示されていない

最初にこのような行き違いがあったために、取り返しのつかない問題に拡大しました。
契約書を交わすのが遅れたという事実はあり、それ自体は問題ですが、行き違いを防ぐためには議事録を作成して双方で確認することが必要だったと思われます。

制作過程での意見のすり合わせ

ドラマの制作に入ると、原作者としては日テレがキャラを崩壊させるようなことを平気でやってくる、一方の日テレとしては通常以上に原作者に寄り添っているのにいつまでも理解が得られない、とお互いが溝を深めていくことになります。

とは言え、コミュニケーションが途絶えてしまったのではありません。
依然として直接の連絡はないものの、小学館のC氏を通じては頻繁にやり取りはあったようです。
またC氏は、原作者のコメントを伝えるだけでなく、制作サイドに配慮する発言を添えるなど、潤滑油になろうとした形跡もうかがえます。

考えてみると日本の製造業では、複数の会社が綿密なコミュニケーションにより製品を開発し製造する「すり合わせ型」の産業が得意と言われてきました。
工業製品とテレビドラマでは大きく違いますが、得意技である「綿密なコミュニケーションによるすり合わせ」は使えるはずではないでしょうか?

今回の事件で決定的に違うのは、当事者が「一堂に会して」すり合わせを図ったわけではないということです。
仲介者を通じた間接的なコミュニケーションでは、得意分野が生きないということが言えそうです。

なお、蛇足ながら感想として思うのは、ひょっとして得意と言われている日本のすり合わせも、誰かの犠牲で成り立っているのではないか、ということです。
元請けの無茶な仕様変更を、下請けに泣く泣く受け入れさせることで「すり合わせできた」と誤解していないか、注意が必要なように思います。

「社内特別調査チーム」

今回の日テレの調査は、第三者委員会によるものではありません。
委員会メンバーのうち「コアメンバー」と呼んでいる4名には、取締役執行役員と顧問弁護士がそれぞれ1名含まれています。
そして、この取締役執行役員が調査チームの責任者となっています。

報告書の記載ぶりは、全体的に抑制的になっているように思えます。
しかしそれが、中立を期したための抑制なのか、世間が騒がないように抑制したのかは分かりません。

また、原作者のことを「難しい人」と称した発言が登場する都度、「難しい人(こだわりが強い人)」という具合にカッコつきの言い換えが添えられています。
おそらく当時は単に「難しい人」としか発言していなかったと思われます。そうであれば、わざわざこれを添えた理由は何か、原作者のことを悪く言っていたわけではないとの印象を強めたかったのではないか、と勘繰ってしまいます。

調査チームに社内メンバーが含まれていても、公正中立に調査は行われたかもしれません。しかし、第三者委員会の形をとらなかったことで、このような懸念が残るのはたいへん残念なことです。

経営者としては、第三者委員会は暴走して法外な調査結果を出してくるのではという不安があり、社内メンバーがいる方が安心できるでしょう。
しかし、会社の信用が疑われている場合は、社内中心のチームで一生懸命調査をしても疑惑が払拭されないリスクがあります。
特に報道機関でもあるメディア企業については、一般企業より一段厳しい対応があってもよかったのではないかと思います。


おわりに

調査報告書を読んだ率直な感想は、このようなコミュニケーションの行き違いはどの会社でも頻繁に発生しているだろうな、ということです。
日テレの対応の是非を問う視点とは別に、ミスコミュニケーションによって重大なリスクを発生させていないか、この機会に自分の周辺を見直すのがよさそうです。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。
この投稿へのご意見を下のコメント欄またはX/Twitter(@teritamadozo)でいただけると幸いです。
これからもおつきあいのほど、よろしくお願いいたします。

てりたま

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