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【第三世代フェミニストの弾薬庫】「そして機械学習理論だけが残った」?

以下の投稿で「政治的第三世代フェミニズムが平等主義(Equalism)に発展的に解消されていく景色」を扱いました。

「問題の評価軸として「女性VS男性」「富裕層VS貧困層」「白人VS黒人」の三軸を特徴抽出した場合、三軸一斉に意識して上手くいく確率は全体の$${\frac{1}{8}}$$、二軸に関心を集中して上手くいく確率は$${\frac{3}{8}}$$、むしろ一軸に関心を集中した方が上手くいく確率も全体の$${\frac{3}{8}}$$、さらにかかる特徴抽出全部が間違ってる確率が$${\frac{1}{8}}$$。そして、かかる全体像に女性問題が関わってくる確率は$${\frac{1}{8}+\frac{2}{8}+\frac{1}{8}=\frac{4}{8}=\frac{1}{2}}$$。」

実はこの考え方、既に最近話題の機械学習理論のアルゴリズムそのものだったりするのですね。

様するに上掲の様な実例からなる多様体(manifold)を学習させ、それなりに有意味な決定木アルゴリズムに基づく二分木の連続なり、深層学習アルゴリズムに基づく(出現頻度や条件付童子出現確率に立脚した)分布意味論的確率空間なりに落とし込めたら、それを「哲学」とラベリングするスタイルである。もとより100%の精度は望めないが、元々「哲学」とは元来そういうものだったのでは?

上掲「とりあえず中締め②」
  • まずは言葉自体の定義。ここでいう「機械学習」とはロジスティック回帰=単層パーセプトロン概念を出発点とする「データを訓練データとテスト用データに分けて数値最適化を図るアルゴリズム」全般を指し、決定木も深層学習もその技法の一つに分類される。カプセル化された内部判断アルゴリズムは最小二乗法などあらゆる数値最適化アルゴリズム及びそのアンサンブルを含み得る事から「機械学習は既存の数値最適化アルゴリズムの後継者となった」なる表現も現れた。

  • そもそも「ブラックフェミニズム」の登場が既存フェミニスト界隈に衝撃を与えたのはそれまでただひたすら「性差次元(男女)」のみに拘泥してきたところへもって「検索範囲を拡張する方向へのベイズ更新」を用いて、鮮やかに「経済次元(富裕層貧困層)」「人種次元(白人黒人)」を追加して見せたからである。この様子を決定木的に表すと以下となる。

  • 数理をいかなる現実問題の切り分けに用いるかは結構幅がある。例えば以下の数理構造は「両親と自分」の関係分析にも「自分達夫婦と子供」の関係分析にも射影可能だったりする。

  • 自然言語に対する深層学習などでは決定木の代わりにベクトル化されたデータから出現頻度や条件付出現確率などを用いて意味分布論的確率空間を構成するが、最近のGoogle社やOpenAI社の発表を見るに(おそらく適切なベイズ過程による関心領域スコーピング=検索範囲の縮小拡大範囲設計による)中間推論段階連鎖生成により「並列処理最適化の為に再帰もバックトラックも畳み込みも捨てた」Transformerモデルでも問題空間(probrem space)構築が可能となる見込みが出てきた様である。

問題空間(probrem space)といえば、GoogleがAlphaGoでプロ棋士を負かし「人間の人間への過剰適応」を反省したプロ棋士が「青い手(最適手)も緑の手(次善手)も計算出来ないジンマシン状態(もはやただサイコロを振ってるだけに過ぎない「裸の」分布意味論的確率空環)に追い込む」対AI戦術を生み出したエピソードにつながってくる。なお数学問題を解くGoogleのAIはこのAlphaGoの発展型だが、流石に試験問題を解くのを諦めた受験生の様に「サイコロを振る」逃げは禁じられていて何時間でも考え続ける模様。

  • ただし取り組む問題をコンもまま人間領域全般に広げていくのであれば、最終ゴールを誤差最小化に設定する機会学習アルゴリズムの根本についても見直しを入れる必要が出てくる。例えばブラック・フェミニズムは「(時として女性間の対立をも引き起こす)女性の一人一派的感性」を交差性(Intersectionality)概念によって流出論的に統合しようとして失敗したが(結局は「女性的本質に回帰する為、みんな自我を捨てろ」なる無私イデオロギーに帰着して女性的現実と衝突せざるを得ない)、人工知能ジャンルにおいて交差エントロピー誤差(Cross-entropy Loss)とは、例えば深層学習後に、犬の絵を見せて「犬の確率0.7、猫の確率0.2、馬の確率」なる反応が得られたら0.3を誤差と考え、その最小化を目指すアルゴリズムを指す。ところが政治の話となると「死語、誰からも賛美しかされない政治家は単なる臆病者である。蘇我馬子の様にギリギリまで賛成と反対の調停に努め、賛否両論の評価を残してこそ政治家の本懐(ライシャワー「日本史」)」「斬新過ぎも守旧すぎもしない政治的判断を下すには賛成7、反対3くらいの比率が理想である(李明博「自伝」)」なる考え方も出てくるからである。そもそも任意の政策について「賛成」と「反対」を特徴抽出するには分布意味論的確立空間の構築方法そのものを見直さねばならないであろうし「判断過程の透明性」もより厳密化を要求される展開を迎える。

そういえば以前、はてなブログに「世界中に広がるLinuxカーネルの保守体制、というよりオープンシステム環境世界そのものが長年無政府主義者が夢見てきた無政府主義体制の完成系なのでは?」なる投稿をした事があります。その延長線に現れた考え方ですね。

すると全体構造としての未来ビジョンは一体どういう形で統合されるのでしょうか?現在はなにも思いつきませんが、とりあえず「そういう事を思いついた」記録としてこの投稿を残しておく事にします。

そんな感じで以下続報…

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