見出し画像

「#未来のためにできること」に応募してみました①「人類の多くは人工知能技術自体の連続的発展ではなく、折り目折り目に現れるインターフェイスのパラダイムシフトに反応しているだけである」

ふと気が向いて文藝春秋とNoteの共同企画「#未来のためにできること」に応募してみました。

期待されている「エッセイ」の定義にちゃんと該当してるかはともかく…

自由な形式で、通常はある1つのテーマをめぐって書かれた散文。語源は「試み」の意であるフランス語のessaiより。この語を初めて近代的な意味で用いて書名とした、フランスの思想家ミシェル・ド・モンテーニュの『エセー』(Essais,1588年)は、幅広い知識と教養に裏付けられた、批判的、複眼的な視野で、深い人間観察、人間探求を実践、この分野の古典となった。話の筋道が整合的な体系に回収されてしまうことを何より忌避して、複数の論理や断片的な思考に積極的に身を任せ、脱線や逸脱や逡巡をいとわない。安直な全体化に執拗に抵抗する、そんな自由な思考の「試み」にこそ、エッセイというジャンルの本質がある(P.グロード、J‐F・ルエット『エッセイとは何か』、1999年)。

上掲コトバンク「エッセイ」

とにかく「これまでに投稿した内容から1000字以内の抜粋を起こす」という企画自体に興味を覚えた訳ですね。ところがいきなり「(それも文字数にカウントされてしまうので)図にキャプションもつけられない」という問題に直面。

パラダイムシフトの方向性①「ルール駆動エキスパートシステム」から「深層学習」へ。
パラダイムシフトの方向性②古典的数理最適化アルゴリズムから「応答システム(インターフェイス)」を備えた「ルール駆動エキスパートシステム」へ。
パラダイムシフトの方向性③「人間が天然に備える知性こそ至高」と考えた上での模倣から「純粋なる数理最適化の追求」へ。
上掲の「パラダイムシフト三本柱」を軸に据えた人工知能研究略史

なお実際には当時の人工知能関連技術の進歩は「深層学習」分野だけでなく「決定木」分野などにも及んでいたりします。

決定木(Decision Tree)は、データ分析や機械学習の分野で広く使用されている技術です。その歴史を以下にまとめます。

1. 初期のアイデア (1960年代):

決定木の基本的なアイデアは、1960年代に遡ります。この時期には、統計学者や情報科学者が分類と回帰のためのアルゴリズムを開発し始めました。

J. R. Quinlanが1970年代に開発したID3(Iterative Dichotomiser 3)は、初期の決定木アルゴリズムの一つとして広く知られています。ID3は情報ゲインを基にして分割を行います。

2. CART (1980年代):

1984年にBreiman, Friedman, Olshen, and StoneによってCART(Classification and Regression Trees)が発表されました。CARTは分類と回帰の両方を行うことができ、二分木(二つの子ノードに分割)を生成します。

CARTはジニ不純度や平均二乗誤差を用いて分割を行い、決定木の生成と剪定(pruning)に関する詳細な方法を提供しました。

3. C4.5 (1990年代):

QuinlanはID3を改良し、1993年にC4.5を発表しました。C4.5は不完全データや連続属性に対応し、木の剪定機能も備えていました。

C4.5は後に多くの改良が加えられ、商用ソフトウェア(例えばSee5/C5.0)としても利用されるようになりました。

4. ランダムフォレストとブースティング (2000年代):

2001年にLeo Breimanがランダムフォレスト(Random Forest)を提案しました。これは、多くの決定木を作成し、それらの予測結果を統合することにより精度を向上させる手法です。

ブースティング(Boosting)技術も同時期に進化し、特にFreund and SchapireによるAdaBoostが有名です。ブースティングは、弱い学習器(通常は小さな決定木)を繰り返し適用し、それらの結果を組み合わせて予測精度を向上させる方法です。

5. 近年の発展 (2010年代以降):

XGBoost(Extreme Gradient Boosting)は、2016年にChen and Guestrinによって発表され、機械学習競技会で広く成功を収めました。これは勾配ブースティングを用いて非常に高い精度を実現します。

さらに、LightGBM(Microsoft)やCatBoost(Yandex)などの勾配ブースティングライブラリも登場し、より効率的でスケーラブルな実装が可能となりました。

これらの技術は、データ分析、予測モデリング、機械学習などの多くの分野で重要な役割を果たしており、現在も進化を続けています。

ChatGPTに質問「決定木の技術史について教えてください」

以下の投稿で触れた「スタンレー・スティーヴンズ(Stanley Smith Stevens)の測定尺度(1946年)」の動揺に関係してくる内容ですね。スティーヴンズは統計で用いる尺度を、とりあえず「名義尺度(Nominal Scale)・順序尺度(Ordinal Scale)・間隔尺度(Interval Scale)・比例尺度(Proportional Scale)」に分類したのですが、人工知能分野において分類と回帰を巡る数理の飛躍的発展があったので時代にそぐわなくなってきたという話…

決定木理論はさらに「ブラックホールの物理に類似する原理で情報を圧縮する」双曲空間理論とも密接に関わってくる最新理論だったりします。

こちらへの言及も、まとめてバッサリ諦めました。1000字の壁、本当に恐るべし…


パラダイムシフトの方向性②古典的数理最適化アルゴリズムから「応答システム(インターフェイス)」を備えた「ルール駆動エキスパートシステム」へ。

実際に歴史に現れた順番でソートすると、まずこの話から。正直いってこの歴史区分は思いっきり端折るしかありませんでした。

  • 第二次世界大戦(1939年~)中に「高速化した航空機の振る舞い(右旋回、左旋回、上昇、下降、加速、減速)を予測する撃墜技術」として萌芽した情報理論はノーバート・ウィーナー「サイバネティクス(初版1948年)」が刊行された時点では多くの事象が単純な線形フィードバックの組み合わせで説明可能と考えられていたが、やがて生物の世界では内臓間のホルモン分泌連鎖や個体間のフェロモン(外部ホルモン)分泌連鎖といった「生物独特の準安定状態を前提とする非線形フィードバック網」の方が重要という事実が明らかとなり、1961年における増補箇所はこの変化を受けての説明に終始する展開を迎える。1958年に発表されたロジスティック回帰技法やニューロン・コンピューティング(単細胞パーセプトロン理論)は、まさしくこの様な「多変量解析の時代」の落とし子だったという次第。

  • mycinの様にそれなりの体裁を整えたルール駆動エキスパート・システムが登場してくるのは1970年代に入ってからだが(それでも人間中心主義(Humanism)の強かった当時の世相は「予診専用」と銘打っても中々納得してはくれなかった)、それ以前にMITのジョセフ・ワイゼンバウムが単純なパターンマッチ技法を使って書き上げた「自然言語」応答インターフェイスELIZA(1964年~1966年)が話題となっていわゆる「人工無能」やコンピューターRPGにおけるNPC(Non Player Character)の応答システムの大源流となっている。

ELIZAという名前はジョージ・バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』の登場人物イライザ・ドゥーリトルにちなんだものである。彼女は上流階級のアクセントでの話し方を教えられる労働者階級の役である。

ワイゼンバウムは、応答相手たるDOCTORについて「初期の精神医学的インタビューにおける無指向性精神療法医の反応」の「パロディ」であると述べている。彼が精神療法を選んだのは「実世界の知識に関するデータベースをプログラムに入力するという問題を避けるため」であり、精神療法という状況は人間同士の対話でありながら、その対話内容に関する知識をほとんど必要としないという特徴があったためである。例えば「好きな作曲家は?」という質問には「あなた自身の好きな作曲家は?」とか「その質問は重要ですか?」などと返すことができ、作曲家に関する知識を必要としない。

1966年当時、人間とマシンの対話を人間と人間の対話に見せかけようとする対話型コンピューティングは目新しかった。パーソナルコンピュータが一般化する約15年前であり、インターネット(Ask.com)やアプリケーションソフト(クリッパー)での自然言語処理が一般化する30年も前のことである。

その結果、一部のユーザーはワイゼンバウムがその仕組みを説明しても納得せず、ELIZAの応答を真剣に受け止めた。1976年、ワイゼンバウムの書いた記事 "Computer Power and Human Reason" が The New Media Reader 誌に掲載されたが、その中でワイゼンバウムは人々がいかに素早くかつ深くそのコンピュータプログラムに感情的に没頭したかを記している。対話の記録を見ようとするとプライバシーの侵害だとして拒んだり、対話中は部屋に一人きりにしてくれと頼んだりといったことがあったという。

上掲Wikipedia「ELIZA」
  • 皮肉にもルール駆動エキスパートシステムの本格的普及が始まったのは「深層学習」研究が牽引した第三次AIブーム(2010年代以降加速)に入ってからといわれている。実際に「深層学習」がルール制定に役立った側面がなかった訳でもなかったものの、ぶっちゃけ導入企業も使用ユーザーも「中身が本当はどうなっているか」なんて気にも留めなかったのである。

1965年に世界で初めて「Dendral」というエキスパートシステムが誕生し、この開発に携わったエドワード・ファイゲンバウムは、「エキスパートシステムの父」と呼ばれています。その後、1972年に開発された「Mycin」によって、エキスパートシステムが人々により認知されるようになりました。Mycinは専門医に匹敵するまでには至りませんが、正答率約65%の細菌感染診断が可能なシステムとして、医療の現場で活躍する可能性が十分にありました。しかし、システムの「誤診」が起きた際の責任の所在をどうするかや医師たちの理解を得られなかったことが壁となり、実用化されることはありませんでした。

その後、1980年代には第二次人工知能ブームが起こり、さまざまなエキスパートシステムが活用され始めました。日本においても、1982年に「第五世代コンピュータープロジェクト」が発足され、570億円の予算が投入されています。ただし、膨大なデータ入力やルール化を人間が行う必要がある、複雑な学習に対応できないなどの課題もあって、エキスパートシステムの実用は一部のシステムのみにとどまりブームは過ぎました。

①エキスパートシステムには、あらかじめ膨大なデータを人間の手でルール化した上で入力する必要がありました。専門分野の知識をシステムに入力するための形式にした上で、データ入力そのものも人間が行わなければなりません。そこには莫大なコストと時間がかかっていました。

②エキスパートシステムに求められる業種や職種の知識は非常に複雑なものが多いため、単純なアルゴリズムでは適切にデータ化することが難しい点も課題として挙げられます。また、知識やルールの数が増えることで矛盾が生じ、一貫性が取れないなど管理していくことが難しかったのです。

③その上、第二次人工知能ブーム当時のハードウェアは、人間の手で入力したデータをシステムが自動で抽出するほどの処理能力を備えていませんでした。現在のような高性能なインフラやインターネット、クラウドサービスもなかったため技術以前にさまざまなパフォーマンスの限界もあったのです。

再びエキスパートシステムが注目されたのは、2010年ごろになります。データ入力やルール化のコストを改善したのが「機械学習」の存在です。この2010年から現在までは第三次人工知能ブームといえるでしょう。

上掲ビジネスコラム「エキスパートシステム」

この「第三次AIブーム下における(深層学習を部分導入した)ルール駆動エキスパート・システム普及」を牽引したのがIBM Watson事業とも。

昨今では、機械学習によって大量のデータを自動的に学習でき、技術が進歩したことよってエキスパートシステムの課題が少しずつ改善されてきています。機械学習を搭載したシステムの代表例がIBMのWatsonです。Watsonは機械学習によって自然言語を解釈でき、蓄積したデータを基に仮説を立てて評価・判断を行います。ヘルスケアや医療現場での活用が進められ、特に日本では銀行や保険会社などにも導入が進んでいます。

その他にも、材料を指定することで最適な料理レシピを提示してくれる「シェフ・ワトソン」や、駐車違反の異議申し立てをしてくれる弁護士ボットの「DoNotPay」、ECサイトの評価を行うレコメンドシステムなど、幅広い業界・職種でエキスパートシステムの活用が広がっています。

上掲ビジネスコラム「エキスパートシステム」

そう、こちらの文脈の説明ではELIZAの名前は登場しないのが常なのですね。なお、文字数の関係で本編から泣く泣く削ったのが以下のエピソード。

フランスでも盛んに研究され、特に推論の自動化と論理エンジンの研究が進んでいる。Prologは1972年、フランスで開発された言語であり、エキスパートシステムの発展において重要である。Prologは一種のシェルであり、任意のエキスパートシステムを受容し動作させるソフトウェア構造と言える。一階述語論理を使ったエンジンを備え、規則と事実を記述できる。エキスパートシステムの開発の道具であり、実際に使える初の宣言型言語であり、人工知能開発用言語として広く使われた。しかし、Prologは扱いやすい言語とは言えず、その論理の階層は人間の論理とは乖離している。

上掲Wikipedia「エキスパートシステム」

このProlog、大学時代ちょっと触ってましたが、とにかくまともに動かず、泣く泣く卒論で使うのを諦めた経緯があるのです。なお当時は(単細胞パーセプション理論しか存在しない)ニューロンコンピューティング分野の状況たるや、さらに絶望的。こうした経験があったので、第三次人工知能ブームが始まってからもしばらくは「機械学習の普及」を傍観視していたという…

パラダイムシフトの方向性③「人間が天然に備える知性こそ至高」と考えた上での模倣から「純粋なる数理最適化の追求」へ。

実際の出現順でソートすると二番目にくるのがこの時代。まず、当時の雰囲気を把握するのに欠かせないのがクローネンバーグ監督映画「スキャナーズ(Scanners, 1981年)」のこの場面です。

  • 超能力者である主人公は(パソコンもカプラーも使わず)公衆電話のボックスから電話線経由で敵基地のサーバルームのサーバに接続。

  • そこから莫大な量のデータを盗み(脳内に転送した?)、最後にサーバルームのサーバに念を送り(電話線を火花が走る!!)、サーバを爆破する。

なお「接続」が終わった後、受話器はドロドロに溶けていたという…

ホラー映画「マニトゥ(The Manitou,1978年)」でも、病院を占拠した太鼓の悪霊を対峙する為にインディアン祈祷師が病院のサーバールームから「コンピューターの精霊」を呼び出していました。

さらに遡ると「自我に目覚めた家用(?)人工知能が女主人を幽閉して子供を産ませようとする」近未来SF「デモン・シード(Demon Seed,1977年)」なんて映画もありました(D.R.クーンツのSF小説「悪魔の種(1973年)」が原作j)。

この時代の「人間中心主義(Humanism)」なるもの「コンピューターについての知識がまだ世間一般に浸透してない」次元どころか「ドラッグをキメてこそコーディングが正確かつ素早く進む」と断言する元ヒッピーがゴロゴロ屯している恐るべき世界だったという次第。そして困った事にこういったタイプの代表格が表計算アプリ「Lotus123」開発者ミッチ・ケイパー(Mitchell David Kapor,1950年)や、Apple創業者スティーブ・ジョブズ(Steven Paul Jobs, 1955年~2011年)辺りだったという…

当時の欧州がポストモダンやポスト構造主義、日本がニューアカデミズムの時代だった事も忘れてはなりません。しかも欧州のポストモダンはソーカル事件(1995年)を契機に沈滞ムードに入りますが、日本のニューアカデミズム文化はそういう都合の悪い事実を隠蔽してなおも存続…

そんな時代に好まれた数理とも数理でないともいえない微妙な理論がカオスやフラクタル、ホログラフィック宇宙論やファジー推論、1/fゆらぎ理論など。もちろんこれらの研究の多くはそれなりに堅牢な科学実証主義的実態を備えている訳ですが、当時それに接近した研究者の多くが「難解な分野なので何か引用してもそれが正しいか間違ってるか容易に指摘出来ない」「それを利用して自らを神秘的に演出するのに使える」なる不真面目なスタンスだったので特別な発展を見る事なく、いつの間にか「メインストリームでの過剰な間での持て囃し」が終わっていたという話…

カオスとフラクタル

小さな変化がのちに大きな変化をもたらすというのがカオスの特徴ですが、こうした現象は日常的に身の周りの到るところでー心臓の不整脈、蛇口から落ちる水滴の挙動、麻疹(はしか)、小児マヒ等流行病の拡散、昆虫や鳥の分布の変動、神経の刺激の伝達などーみうけられます。また、粒子の世界や天体の運動の中にもカオスの存在が認められています。

カオスの理論は、数学、物理学、化学、生物学、天文学、気象学などあらゆる分野で研究され、新しい概念がそれぞれの分野で発見されました。経済や金融市場においても市場価格の推移予測や市場でのリスク管理などに応用されています。

カオス理論の魅力はコンピューターの発達により美しいグラフィックスとして楽しむことができるというところにあります。カオス系の単純な方程式をコンピューターで処理していくとパターンがどんどん複雑になり、まるで生き物のようにスケールのちがう複製された図形(自己相似)を繰り返しつくりだしていくのです。

このような図形をベノア・マンデルブローは「フラクタル」と名づけました。フラクタル図には秩序ある不規則性が備わっており、海岸線や樹木の形、雪の結晶など複雑な自然の現象をあらわしたり、乱流のおこるメカニズムや構造を解明するのに利用されています。

上掲「カオスとフラクタル」

ファジィ論理はどこに紛れたか

1965 年の「ファジィ集合論」(ザデー)に始まり,1970 年代の半ばまでのファジィの世界は,新たな方法論を手にして,まさに意気軒昂たるものがあった。①ゴーグエン(1969 年),レイコフ(1973 年)のあいまいさの論理,②ザデーのファジィ・アルゴリズム(1968 年),③マリノスらの論理回路のファジィ論理(1969 年),および満を持しての④ザデーのファジィ論理(1975 年)と,無限の可能性を約束しているようにみえた。だが,①の無限多値ファジィ論理はモルガンらの④のザデーのファジィ論理はハアックほかの批判のまえに,頓挫をやむなくされた。

そして,ある日,ふと気がついてみると,ファジィ論理はどこかへ雲散霧消していた.その間,パヴェルカのファジィ論理(1979 年)と竹内および千谷の直観的ファジィ論理(1984 年など)が単発的に発表されただけで,大勢に影響を与えるには至らなかった。

上掲「ファジー理論はどこに紛れたか」

一方、この時代区分についての言及がやや尻切れ蜻蛉な感じで終わらざるを得ないのは「純粋なる数理最適化を追求する路線」の嚆矢として知られるIBMのチェス専用スーパーコンピューターBIG BLUEの具体的中身が社外に伝わって業界標準となる様な展開がなかったから。

1996年から1997年にかけて、IBMのチェスコンピュータ「ディープブルー(Deep Blue)」がチェスの世界名人ガルリ・カスパロフ(Garry Kasparov)と対戦し、歴史的な注目を集めました。この対戦は人工知能の分野で画期的な出来事となりました。以下にディープブルーの特徴とその対戦の詳細を説明します。

ディープブルーの特徴

ハードウェアの性能:
ディープブルーは専用のチェス専用ハードウェアを使用しており、非常に高い計算能力を持っていました。
1997年版のディープブルーは、30個の専用VLSI(超大型集積回路)チップを搭載し、1秒間に約2億局面(200 million positions per second)を評価することができました。

ソフトウェアのアルゴリズム:
ディープブルーは、ミニマックス法とアルファベータカットオフを使用して局面を評価し、次の手を決定していました。
ディープブルーのソフトウェアには膨大な量のチェスのオープニング(序盤)データベースとエンドゲーム(終盤)データベースが組み込まれており、これにより序盤と終盤での強力なプレイが可能でした。

評価関数:
ディープブルーの評価関数は、チェスの局面を評価するための複雑な関数であり、駒の配置、駒の価値、駒の動きの自由度、キングの安全性など、さまざまな要素を考慮していました。
評価関数は、IBMのチェス専門家とプログラマーによって調整され、高い精度で局面を評価することができました。

並列処理能力:
ディープブルーは、並列処理能力を活用して複数の局面を同時に評価することができました。これにより、非常に短時間で膨大な数の局面を解析することが可能でした。

ガルリ・カスパロフとの対戦

1996年の対戦:
ディープブルーとカスパロフの最初の対戦は1996年2月に行われました。この対戦ではカスパロフが4勝1敗1引き分けで勝利しましたが、ディープブルーは史上初めて現役の世界チャンピオンに対して1ゲームを勝利したコンピュータとなりました。

1997年の再戦:
1997年5月、ディープブルーとカスパロフの再戦が行われました。この再戦では、ディープブルーが改良され、計算能力がさらに向上していました。
この対戦は6ゲームマッチで行われ、ディープブルーが2勝1敗3引き分けで勝利しました。これにより、ディープブルーは史上初めて現役の世界チャンピオンを破ったコンピュータとして歴史に名を刻みました。

意義と影響

人工知能の進展:
ディープブルーの勝利は、人工知能の能力が人間の知能を上回る可能性があることを示し、AI研究における重要なマイルストーンとなりました。
この成果は、計算機科学、並列処理、アルゴリズムの最適化など、さまざまな分野での研究を促進しました。

社会的な反響:
ディープブルーの勝利は、メディアや一般の関心を集め、AIと人間の関係についての議論を引き起こしました。
多くの人々がAIの進化に対する興味や懸念を抱くようになり、AIの倫理や社会的影響についての議論が活発になりました。

チェス界への影響:
ディープブルーの勝利は、チェス界にも大きな影響を与えました。トッププレイヤーたちはコンピュータをトレーニングや戦略の研究に利用するようになりました。
その後、チェスエンジンの進化に伴い、AIはチェスの理論と戦略に大きな影響を与え続けています。
ディープブルーとカスパロフの対戦は、AIの可能性と限界を示す重要な出来事であり、科学技術の進歩と社会的な影響を理解する上で重要なマイルストーンとなりました。

ChatGPTに質問「1996年から1997年にかけてチェスの世界名人と対戦したディープブルーの特徴について教えてください」

オープンソースソフトウェア(OSS=Open Source Software)全盛期以前のプロダクトだから仕方のない側面も?

ただしIBMのエンジニアは「Deep Blue事業の目的はIBMが伝統とするPower System、すなわちより低レベルの(すなわちマシン寄りの)アーキテクチャーの洗練だった」と述べています。ヒッピー的観点からの「不当な独占」などそこにはなかった?

ワトソン事業を担当した際に、痛感したことがあります。それは、各社が技術の発展を分かりやすく喧伝するあまり、コンピューター対人間の構図をステレオタイプしてしまった事です。

実際には、Deep Blueプロジェクト当時から、コンピューターは人間の働く環境を改善するものとして社会に受け入れられています。本来、対決の文脈で語られるべきではないのです。

当時、「疲れないコンピューター」が2億通りの差し手を考え得る事実は、お客様環境においては、時間に追われながら経営に対して様々なデータを準備し、分析を行なっているご担当者の負担を確実に減らしました。

たとえば、3日がかりで行なっていた計算が、小職が担当する「POWERプロセッサーを搭載するコンピューター」の活用によって数時間で終了するようになった時の達成感は、お客様と手を取り合って喜ぶ痛快事だったのです。同時に、「POWERプロセッサーを搭載するコンピューター」は、お客様環境における計算精度の飛躍的な高度化に大きく貢献したと自負しています。

POWERプロセッサーを搭載するIBM Power Systemsは、AIX、IBM i で30年以上、Linuxで20年以上、一貫してRISCアーキテクチャーで稼動しているので、20年以上前に書いたプログラムをPower10上の同じOSで動かす事ができます。IBM Power Systemsは、最先端かつ最新の技術を提供するとともに、ソフトウェア資産へのお客様の投資を守り続けているのです。

POWER2当時では想定し得ない「インターネットを介した動画」「監視カメラ」「自動運転」「5G」に代表される高速かつ大容量のデータ処理を、Power10では特許取得している世界最大のチップ面積と配線層に積載された180億個のトランジスタ、32GT/秒の高速インターフェース、PCIe5のI/O、AI推論技術により可能にしています。皆さまの環境で、実は活用が進まない「監視カメラの映像」や「通話録音のデータ」はありませんでしょうか? Power10を使えば、それらのデータが企業にとって宝の山に化けるかもしれません。

現在、スマートフォンのハードウェアには、当時のDeep Blueに負けない演算能力があり、スマートフォンにインストールしてあるチェスゲームは、小職を十分に楽しませてくれます。一方で、昔のファミコンやPC8801のゲームで遊びたくなっても、ソフトウェア・プログラムの互換性が無いため、スマートフォンのオペレーティング環境では再現できません。当時の優れた日本のプログラムを利用できないのは残念であり、損失であるとも感じます。そして、テクノロジーが後方互換性を失うことで起きうる企業のソフトウェア資産投資の消失は、このような感慨の比ではないとも感じています。

25年前に数時間に短縮できた処理は、今はコンマ数秒でできる時代になりました。四半世紀に渡り、同一ハードウェア・アーキテクチャー上で企業の業務に直結するソフトウェア・プログラムへの投資を守り続けているのが、歴代のPOWERプロセッサーであり、IBM Power Systemsです。そして、最高と言える性能を発揮するハードウェア・サーバーを活用して、DXを実現するための最先端のIT基盤を作り上げる喜びを、お客様、パートナー様と分かち合えるのが最新のPower10です。お客様と手を取り合って喜ぶ瞬間を再び味わう為に、Power10とともに微力を尽くします。

上掲「チェスの世界チャンピオンに勝利したコンピューターはPower Systemの先祖だった?」

つまりこういう事?

  • ある意味Deep Blueプロジェクトによって検証されたアーキテクチャーはハードウェアからフロントエンドインターフェイスまでを統合的に扱うIBM Power Systems(2008年)や人工知能プロジェクトIBM Watson事業に継承された。なおそのアーキテクチャー基底はPower CPUを最初に導入したAS400(1988年~)の時代にまで遡るという。

  • IBM Watson事業にとってLinuxOS同様、最近話題のTransformerアルゴリズムもまた所詮は「部品」に過ぎず、既に取り込みが始まっている。

  • 最近はマイクロソフト社のAzure事業もまた人工知能事業を取り込み「シリコンからサービスまで」を標榜する様になったが、IBM Watson事業はその先駆者という位置付けになる(ただし上掲の三井化学の事例ではTransformerそのものでなくMicrosoft Azureに導入されたそれを間接的に利用)。

パラダイムシフトの方向性①「ルール駆動エキスパートシステム」から「深層学習」へ。

そして話は再び「GAFAが出揃う時代を描いた」私のnote最初の投稿に。

最初にインターネット社会を現出させたのは「検索エンジンによる統合」でしたが、2009年末時点のトラフィック調査によれば一般ユーザーのネット接触時間のうちオンライン検索に費やする時間は5%程度。残り95%の時間は目的サイトで費やしており、さらにはYahooやMSN,AOLへのWebトラフィックの15%がフェースブックやマイスペースの様なSNSからとなっていたのです。

上掲「人間関係空間論から分布意味論へと推移したSNS略史」
  • そして2005年にAmazonがAWSを発表するとネットのトラフィックが爆発的に増大。2012年までに「(テキストや静止画だけでなく)音声データも動画データもインターネット経由で鑑賞する時代」が訪れ、ユーザーの利用履歴から得られる生活情報の全面化が進む。この状況を抜きにして現在のTransformer系アルゴリズムの勝利は成立し得なかった。

その一方で、どうしてTransformer系アルゴリズムは使用セル数を増やせば増やすほど性能を向上させるのか、その快進撃はどこまで続くのかは相変わらず未知数のままという…従って将来シンギュラリティが勃発するか否かも、あるいは起こるとしたらどういう形になるかも未知数のまま?

  • いや「何が起こるか分からない」なんて気楽に考えてるのは競争の外側に置かれた一般人だけで、常に競争の最前線で戦い続けてきたIBM Watson事業やMicrosoft Azure事業などは「最後的には総合力で優った勢力が顧客を総取りする」ゴールを見据えて展開している様にも窺える。Amazonがハードウェア事業を中々手放さないのもまた、おそらくこのゲームからの脱落を恐れての事。

  • ここまで視野を広げると、ChatGPTを開発するOpenAIの未来は思うほど明るいものではないのかもしれない? だからこそ慢心せずさまざまな展開を考えているとも見て取れる。

韓非子「五蠹」を引用した意味。

まさしく上掲の「目まぐるしく各時代の人間心理が変遷していく様」が重なってくるからですね。

上古之世,人民少而禽獸眾,人民不勝禽獸蟲蛇,有聖人作,搆木為巢以避群害,而民悅之,使王天下,號曰有巢氏。民食果蓏蚌蛤,腥臊惡臭而傷害腹胃,民多疾病,有聖人作,鑽燧取火以化腥臊,而民說之,使王天下,號之曰燧人氏。中古之世,天下大水,而鯀、禹決瀆。近古之世,桀、紂暴亂,而湯、武征伐。

今有搆木鑽燧於夏后氏之世者,必為鯀、禹笑矣。有決瀆於殷、周之世者,必為湯、武笑矣。然則今有美堯、舜、湯、武、禹之道於當今之世者,必為新聖笑矣。是以聖人不期脩古,不法常可,論世之事,因為之備。

上古の世では、人間が少なくて、鳥獣が多かった。人間は鳥獣虫蛇に勝てない。そこへ聖人が出て来て、木を組んで巣を作り、いろいろの害を避けることを教えた。人々は喜んで、この聖人を天下の王にした。その名を有巣氏という。人間は草木の実、蚌蛤を食べていた。腥く悪臭があり、胃腸をいためるので、人はよく病気になった。そこへ聖人が現われて、木と木をすり合わせて火をおこし、それで腥ものを調理するすべを教えた。人々は喜んで、この聖人を天下の王にした。その名を燧人氏という。中古の世(尭・舜・禹の時代)には、天下に大洪水があったが、鯀(禹の父)と禹(夏の初代の王)が川の堤を切って海に流した。近古の世(殷・周時代)には、桀・紂が暴虐な振舞いをし、殷の湯王・周の武王がこれを征伐した。

今もし夏后氏の世(夏王朝)に、巣を組み、木と木をすり合わせて火をおこす人があったとすれば、必ず鯀・禹に笑われるであろう。殷・周の世に、川の堤を切る人があったとすれば、必ず湯王・武王に笑われるであろう。してみれば当今の世に、尭・舜・湯・武・禹の道を褒めたたえる人があるとすれば、必ず新しい聖人に笑われるであろう。されば聖人は必ずしも古えに循おうとはせず、一定不変の道に法とろうとはしない。当世のことを論じて、それの備えをする。

韓非子「五蠹」冒頭

ここで思い出すのがいわゆる「赤の女王仮説」。

赤の女王仮説(Red Queen's Hypothesis)は、進化に関する仮説の一つ。「他の生物種との絶えざる競争の中で,ある生物種が生き残るためには、常に持続的な進化をしていかなくてはならない」という仮説。敵対的な関係にある種間での進化的軍拡競走と、生殖における有性生殖の利点という2つの異なる現象に関する説明である。「赤の女王競争」や「赤の女王効果」などとも呼ばれる。リー・ヴァン・ヴェーレンによって1973年に提唱された。

上掲Wikipedia「赤の条項仮説」

これについては、こういう話も。
東京女子大学「赤の女王仮説」

恋人や配偶者に愛され続けるためには「赤の女王」でなければいけないのでしょうか。 「その場に留まる(相手に飽きられない)ためには絶えず変化する必要がある」のでしょうか。

いや,そうは思いません。

ダーウィニズムに従う限り,変化(突然変異)には方向性がありません。 つまり,良い変化もあるけれど, 同時に悪い変化(自分には似合わないとか,相手の好みと真逆な方向とか)もありうるでしょう。 ダーウィニズムでは, 変異した個体が生き残るためには,別のメカニズム,自然選択が働く必要があります。 個人が生きている間にこの自然淘汰が働くはずはないのであって,今愛されているのならば, その愛を維持する努力(お弁当を作ってあげて家庭的な面をアピールするとか, キレイになるためにダイエットに努力するだとか...)を怠らない方が得策なのではないでしょうか。 (ポチャットした子が好きという男性もいるから,ダイエットの例は適切じゃないかも) 「赤の女王仮説」に従って, 変化しても,「赤」の他人に好かれるようになっても仕方ないでしょう。 今の彼にもっと好きになってもらった方が楽しいしー。

ところがそうでもないという研究もあるのです。 他個体の行動をまねる行動(髪型とかスカートの丈とか...), 習慣,流行,イデオロギー,はては農耕文化が広がっていった過程とか,が拡散したり, 世代を越えて伝わったりする様子は, 生物の個体群の拡散や疫学的流行と類似のモデルで記述できるという研究があるのです。 すなわち,ある文化が他を駆逐して広がっていくダイナミクスは, 集団遺伝学の遺伝子置換過程と似ているというのです。

そうだとすると,集団遺伝学の原理が社会的行動にもあてはまるのであれば, 「赤の女王仮説」もあてはまるのでしょうか。すなわち, 「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」, 絶えず変化する必要があるのでしょうか。

上掲東京女子大学「赤の女王仮説」

そしてこういう話が以下に述べる「6面体サイコロを振ると7の目が出る様になる様な時代変化への対応能力」という話題につながっていくのです。

「6面体サイコロを振ると7が出る」という事。

実はこれが一番書きたい事だったのに、本文中ではオマケ程度にしか触れられませんでした。

「六面体サイコロを振る(0回,1回)」場合の最尤推定と情報エントロピー量の変遷

「人工知能的(統計学的)最尤推定」の基本はこれ以上でもこれ以下でもないが、「人間自身による人間自身の為の人間自身の規定」は勝手に「あえて7を出す能力」や「あえて7を出さない能力」を仮定して期待したり警戒したりしてしまう。

上掲図より
  • そう「コインを3回投げて3回とも表が出ました。統計学は裏が出る可能性もあると教えてくれるでしょうか?」なる質問への答えはあくまでNoしかない(1回の試行からの最尤推定は「その時出た目の出現率が1=100%」としかなり得ない)。それを教えてくれるとすれば「事前の外形観察」くらししかなく「コイン・四面体・六面体・八面体・十二面体・二重面体・トランプ・ルーレットの類」についてのその種の研究こそが古典的確率論の基底をなしていた。しかしもちろんこの手口は森羅万象のあらゆる確立事象に適用可能とは限らず、しかも人間には「見たいものしか見たがらない」悪癖が存在するという次第。

以前カール・マルクス(Karl Marx,1818年~1883年)の思想遍歴について触れた投稿では「マルクスだけが視界内の7の目(新しい時代の息吹き)を誤差として切り捨てなかった」なるアプローチを選びました。

  • ヘーゲル左派の主要論客だったフォイエルバッハ(Ludwig Andreas Feuerbach, 1804年~1872年)やブルーノ・バウアー(Bruno Bauer 1809年~1882年)は「宗教」や「民族」ばかり視野に置いて「(フランスや英国では最終勝利を収めた)国家」の概念を誤差として視野外に置いていた。

  • 19世紀欧州の革命家達の大半は「大恐慌の都度革命騒ぎが勃発するとは限らない近代国家の登場」という現実を視界外に誤差として葬り去る事に概ね成功していた。

今回「7の目」はまた別ニュアンスでの登場となります。より具体的には…

【1940年代〜1950年代】第二次世界大戦中の命懸けの環境下で芽吹いた情報理論。当初こそどんな問題でも線形フィードバック概念に分解する事で対空砲によって敵機をバタバタ落とす様に解決してみせると勢い込んだものの(戦争の記憶が薄れるにつれ)次第にロジスティック回帰の様な多変量解析の重要性を受け入れていく。

  • 「7の目が出る(予想外の展開となる)事は死に直結するので何としても回避しなければならない」なる戦時下的脅迫概念からの脱却過程?

  • 手塚治虫の漫画も1940年代に執筆された「魔法屋敷(1948年)」や「鉄腕アトム・シリーズ(1951年~1968年)」最初期作品では「人類と共存不可能と判断した敵」の弱点を「えげつない生体実験」で探り当て「えげつない大量殺戮兵器」で殲滅する回が多い。そういえば当時の日本はまだGHQ占領下…まさしく「戦争後遺症」と呼んで差し支えなさそう?

「鉄腕アトム」1巻「空気人間」。まさかの時に飛び出す容赦なき「ナイス!!」
「鉄腕アトム」1巻「空気人間」
「鉄腕アトム」1巻「空気人間」
「鉄腕アトム」1巻「空気人間」
「鉄腕アトム」1巻「空気人間」

【1960年代〜1970年代】ノウハウの蓄積が進んで本格的なルール推進エキスパートシステムが登場するのは1970年に入ってからだが上掲の様に「精神科医の振る舞いを見掛けだけ真似するインターフェイス」すなわち人工無能の御先祖様自体は1960年代にはもう既に現れていて先行して「人間そっくり‼︎」と巷を騒がせていた。

  • 冷戦機独特の「隣人に共産主義者のスパイが紛れてるかもしれない」不安を背景とする「人間でなくとも簡単に7の目を出す(人間でない正体を曝す)のを回避出来る(そして自分にはそれが見抜けない)」事実を突きつけられた時に起こるパニック反応。

  • 逆にマルクス主義的反体制姿勢側は「体制側に従順に従っていると7の目を出さない(人間らしい振る舞いに欠ける)操り人形に変貌させられてしまう」と警戒心を高めた。

  • ギレルモ・デル・トロ監督映画「シェイプ・オブ・ウォーター(The Shape of Water,2017年)」はここでいう「(次に述べる人間中心主義と表裏一体の関係にある)戦争後遺症」と「共産主義スパイへの恐怖」を上手く織り込んでいる。そんな息苦しい環境で一般人が窒息せず生活出来ていたのはマクルーハン「機械の花嫁(1951年)」に描かれた様な華やかな広告文化、そしてTVを流れるフレッド・アステアやジンジャー・ロジャーズの華麗なるダンスがあったからという解釈。

  • 「メインフレームを人類の共通敵認定する」ヒッピー達の活動はこの頃までに遡り、最終的には対抗手段としてのパソコン製造販売に手を染める展開を迎える。

【1980年代〜1990年代】1980年代に入ると流石にマルクス主義的反体制姿勢の伝統も形骸化が進行し、欧州のポストモダンやポスト構造主義、日本のニューアカデミー系の論客は「人間の天然の知性こそ至高」と考え、愚直なまでにその模倣を試みた第二次人工知能ブームなどに権威付けを求めた。1990年代に入ってソ連が崩壊するとこうした動きは沈静化を余儀なくされたが、IBMのチェス専用スーパーコンピューターBig Blueが人間のチェス名人を破っても「そんなの大した事ない」「むしろターミネーターみたいに人工知能が人類に反逆する予兆」と難癖をつけ続ける事でなんとか面目を保つ。

当時は熱帯の孤島の美しい風景を背景とするエロシーンや、まだ少女の域を脱しないブルック・シールズの美しさばかりが話題となった恋愛映画「青い珊瑚礁(1980年)」にすら「文明から離れてこそ人間は人間らしい生活を送れる」なるメッセージが込められ、救援船に発見されると生まれた赤ちゃんと三人で「服毒自殺」を遂げるラストシーンに「文明圏への復帰の拒絶」なるメッセージが込められた、そんな時代でもあったという次第。

映画「E.T.(1982年)」においても、大人達は恐怖心からオロオロと愚かな振る舞いを繰り返すばかりでE.T.をちゃんと人間として対等に扱って友情を育むのは子供達ばかり。こうした時代精神は「良くも悪くも有事に際して自律的に行動出来るのは体制に組み込まれてない老人と子供のみ」なる世界観に立脚する「童夢(1980年~1981年)」「AKIRA(1982年~1990年)」を発表した大友克洋も確実に共有していたと推察される。

  • 「人類=自分は7の目を出し続けている(機械的に予測可能な範囲を超越した存在)」なる厨二病めいた脅迫概念(人間中心主義)の維持が不可能に。

  • マルクス主義的反体制姿勢が形骸化した補償として「機械=敵は一見従順に振る舞っている様に見えて、いつか必ず7の目を出す(人類に反逆する)」なる脅迫概念が高まる。

  • その一方では1990年代とは1960年代=1980年代を支えたハイファンタジーやサイバーパンク文学やモダンホラーの書き手などが高齢化と時代変遷への対応の遅れから次々と脱落。特にSF小説分野では読者層の科学実証主義的解像度が高まり、マイケル・クライトンやJ.P.ホーガンやルディ・ラッカーやグレッグ・ベア級の設定構築力が要求される様になっていく。同時に登場人物の若返りが要求される様になり、J・K・ローリング「ハリー・ポッター(Harry Potter)シリーズ(1997年~)」、米国TVドラマ「バフィー 〜恋する十字架〜(Buffy the Vampire Slayer, 1997年~2003年)」、高見広春「バトル・ロワイアル(Battle Royale,1999年)」といった新世代作品の躍進が始まる。

【2000年代】それまで単細胞パーセプション一本槍であまりパッとしなかったニューロン・コンピューティング分野が中間層やバックプロパゲーション技術などを獲得して「密かなる進撃」を開始。

  • なまじ期待されてなかった上、しばらくは「(科学諸表が科学者や技術者の間でだけ強要されてる感じの)BtoB展開」だったので特に警戒される事もなかった?

  • どうやら上掲の決定木分野におけるランダムフォレスト技法登場に押された「深層学習第二の冬の時代」なんてのもあった模様?

【2010年代〜2020年代】上掲の様にまず躍進を開始したのは(深層学習理論導入によってルール構築が飛躍的に容易となったルール推進エキスパートシステムだった。2017年にTransformer系アルゴリズム、2022年にChatGPTが登場して以降の深層学習アルゴリズムの大躍進は皆さんも御存じの通り。

  • その一方で21世紀に復活したシンギュラリティ概念は「過去の脅迫概念が全て並列的に陳列されたデパート」状態に? 発生の経緯が忘れられた後も不安の次元は消失せず、ただ積み上げられていく「悪魔のスェーデンリレー」という感じ…

振り返ればここまでおよそ70年。人類、思わぬ遠くに来たものですね。そして、細部まで追ってもやはり「反対勢力」は本文でも指摘した様に事態の本質まで観ようせず「インターフェイスに脊髄反射で散発的に反感を表明している」だけとしか思えません。一見烏合の衆にしか見えませんが、これを悪用しようとするインフルエンサーが現れたら最悪の展開も…

オーストリアの名家出身で、実際にナチスからの迫害を受けて英国への亡命を余儀なくされたピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker, 1909年-2005年)の考えに従うなら、そもそもナチスにとってはカール・シュミットの友・敵関係論はおろか、ムッソリーニのファシズム理論も、ゾンバルトのドイツ精神救出論もニーチェの超人論も全て行き当たりばったりの借り物だったに過ぎず、それぞれの細部に踏み込む意味がありません。

むしろナチズムの本質はサム・ペキンパー監督の戦争映画「戦争のはらわた(Cross of Iron,1977年)」に分かりやすい形で現れているとも。舞台は1943年の東部戦線。そこでユンカー出身の将校(演マクシミリアン・シェル)と叩き上げの軍曹(演カート・コバーン)が対峙しますが、前者はヒトラーを「職業軍人の既得権益を守ってくれる庇護者」、後者は「職業軍人ばかりがいばりくさっている軍隊の改革者」と信じ込んでいるのです。要するに八方美人に振る舞いつつ現実の面倒臭い利害調整に取り組む気なんて最初から持ってない…いやむしろ逆に現実の面倒臭い利害調整に取り組む気なんて最初から持ってないからこそ八方美人に徹せられる…もしかしたらこれって完全に「詐欺師の振る舞い」なのでは?

この観点からすれば「独裁=指導者原理」ですらナチズムの本質ではなかった事になります。例えばディズニーランドは各ワールドがそれぞれ別の客層を楽しませつつ、互いを意識させない設計に特化しています。それでもディズニーランドとしてのアイデンティティが保たれているのは、どのワールドからも遠景にシンデレラ城が望める構造のせい。政治の世界に照応を求めるなら古代中国に「鼓腹撃壌」の概念を刻んだ黄老思想、広大な領土と多数の民族を緩やかな支配下に置いたモンゴル帝国に(網野善彦「異形の王権」によればこれを見習おうとしたとされる)後醍醐天皇の建武の新政あたりでしょうか。ところが多種多様な甘言を弄されて集められ、絶えず行き当たりばったりの展開に振り回され続ける「ナチスの民」にとって信頼出来るのはヒトラー総統のお墨付きのみ。それで結果として(特に色々と窮乏が進んだ戦時下において)ヒトラーにばかり権限が集中していっただけとされています。そう、ディズニーランドでは各ワールドが遠景としてのシンデレラ城の景観を共有するだけですが、「ナチス支配下の世界」ではロクな手入れを受けられない各ワールドの廃墟化が進めば進むほどシンデレラ城=ヒトラー総統の威光だけ相対的に輝きを増していく地獄絵図…

この様に「ナチズムの本質は詐欺師」と考えるとピーター・ドラッカーがその特徴を「正義の絶対的批判者の仮面を被りつつ、自らへの言及は決っして許さない」「対立を超えて問題を解決する代わり問題が解決しない責任を対立陣営に押し付け、解決しない問題についてひたすら怒り続ける」「被害者の立場に立つ事で相手の口を封じようとする」「いかなる間違いも失敗も認めず、非難も一切受け入れない」と要約した理由が良く分かります。

上掲「こんにちは、そしてさよならナチズム」

はっと。「書けなかった事」を集めたら、余裕の1万字突破。そんな感じで以下続報…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?