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【とある本格派フェミニストの憂鬱2パス目】米国で始まった既存活動家とSNS社会の分断。そもそもSNS社会とは?

こちらで投稿した「2010年代米国事情」の続きみたいなもの。

当時の日本のネットはまだまだ「まとめサイト」などに振り回されて迷走状態。これがちっとも面白くないので以前から海外の和製コンテンツ受容状況確認に用いてきたTumbrに次第にのめり込んでいったのです。余談ながらEnjoy Corea閉鎖が2009年。正直、その穴埋めという意味合いもあったと思います。

おや? もしかして私って、いわゆる出羽守? 

だからしっかり眉唾しながら読み進めてください。実際、自分でもどこまで記憶違いや勝手な記憶補正が忍び込んでいるか分からない有様なのは認めざるを得ません。何しろ十年近く昔、それもネット越しに眺めた外国の景色な訳ですから。

Tumbrのために

「ウォール街を占拠せよ」運動の裏面


今回の出発点は「ウォール街を占拠せよ」運動(2011年)運動。その発端についてWikipediaでは以下の様に紹介されています。

2008年9月15日に、アメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズが、連邦裁判所に連邦倒産法第11章の適用を申請し、リーマン・ショックが発生して以来、アメリカ合衆国だけでなく、世界中が世界金融危機の不景気に喘いできた。特にアメリカの19歳から20代前半の若者(ハイスクール卒、大学卒)の4割は職業がなく、それに対し有効な対策を打てないアメリカ合衆国連邦政府に対する(主に中流層が抱く)不満が、このデモ呼びかけに賛同させたとされる。

上掲Wikipedia「ウォール街」

実際、日本でバブルが崩壊した1990年代に証券会社の損失補填問題が急浮上した様に、リーマンショック事件以前からの悪習が一気に表面化。さらに巨大損失に連動した様々な醜悪な展開が次々と報道された事も「世界中の富を収奪的に集めて栄える」ウォール街の印象悪化に拍車を掛け、最終的にその筋の既存活動家達をして蜂起とバリケード籠城に踏み切らせたのです。

当時の価値観動揺はそれだけに留まりません。リーマン・ショック(2008年)以降アルゴリズム高速取引市場が急速に縮小。皮肉にも突如としてクオンツと呼ばれる数理に強いプログラマー達が大量にリストラされ優秀なプログラマーがこぞって証券業界に集められてしまう」不均衡が解消される展開を迎えます。

なんたる皮肉!! 東北大震災後の日本のメディアの情報発信自粛を契機として国際SNS上のアニメ漫画GAMEコミュニティの(それまで日本が発信するニュースを右から左に流してきただけの)ネットニュースやまとめサイト脱却が始まったのと同様「金(SNS社会における情報)がないのは首がないのと同じ」なる理屈がここにも顔を出す訳です。

何故当時日本のアニメ/漫画/ファン層が国際SNS社会で急浮上してきたかというと、東日本大震災(2011年3月11日)を原因としてしばらく続いた情報発信自粛によって、それまで日本発の情報をただ翻訳して右から左に流してきたネットニュースサイトやまとめサイトが壊滅。代わって制作会社HPを丹念に巡回したり製作者の発言を細かく追跡しているDiggerと呼ばれる新興情報発信者層がリーダーシップを発揮する様になって機動力が増したせい。

上掲「とある本格派フェミニストの憂鬱1パス目」

こういう観点からの統計データは一切ありませんが、この要所に現れた「金(SNS社会では情報)がないのは首がないのと同じ」展開が2010年代におけるショッピング・サイトや動画配信サイトの顧客向けサービスの高度化に果たした役割は少なくなかった筈。

そしてもちろん数多くの顧客を抱えるショッピング・サイトや動画配信サイトなども「デビッド・カープの関心空間論」の成功をただ指を咥えて眺めていた訳ではなく、積極的にその要素を取り込んだ顧客需要発掘に取り組んできた。

上掲「とある本格派フェミニストの憂鬱1パス目」

その仕組み自体は数理的にはアキネーターの想定キャラ当てシステムや「ショッピングサイトや動画配信サイトのレコメンデーション機能=でこれまでの購入履歴から次に購入しそうな商品や作品を予測して提示するシステム」とそれほどの違いはない。

上掲「とある本格派フェミニストの憂鬱1パス目」

そして当時は「ブレイキング・バッド(Breaking Bad,2008年-2013年)」「スパルタカス(Spartacus,2010年-2013年年)」「ゲーム・オブ・スローンズ(GOT=Game of Thrones,2011年~2019年)」といった「あえて新聞・雑誌・映画・テレビなどの既存メディアとその視聴者が墨守してきた倫理コードに引っ掛かる表現に挑戦する」ネットドラマの大流行もあり、これを盛り立てて行ったのもまた黎明期の国際SNS社会だったのです。

この種の価値観動揺は「(まるで江戸幕藩体制下の様に)公的空間では体制批判を一切許されない」中華人民共和国では「AV女優」蒼井そらの人気爆発や「淫夢語録の侵食」とし現れたのかもしれません。

しかしながら「ウォール街を占拠せよ」運動でバリケード籠城に踏み切った既存活動家達はこのムーブメントを十分に活かす事が出来ませんでした。そう、あたかも1848年革命がむしろ農奴状態からの解放のみを求め、その要求が通るとおとなしく引き下がった小作人階層とあくまで「絶対王政体制下で権力を独占する教会と王侯貴族」への徹底抗戦を続け、その結果それぞれが孤立して各個撃破されていった都市住民の価値観分断をかえって明らかにしてしまった様に。

今から思えば時期も悪かったのです。「ウォール街を占拠せよ」運動が実際のバリケード籠城として具現化した時期には大体2011年9月から11月に掛けて。後世の人間の目にはSOPA反対運動(2011年後半)と時期的に重なって見えますが…

SOPA反対運動が本格的に盛り上るのは(MEGAUPLORDサービス反対運動が合流し、百万いいねの檄文が紙吹雪の様にネットを飛び交う状況となった)2012年1月以降。実際にその場にいた当事者の実感として思うより重なっていなかった印象があります。従って1848年革命同様、今回も既存活動家達は孤立して各個撃破されていく事を余儀なくされたという次第。

ハンガリー出身の経済人類学者カール・ポランニー曰く「保守派の思想的足跡の支離滅裂さを笑うな。彼らにとっては「生き延びる為の現状への最適化」こそが最優先課題なので、どんな無茶苦茶な方向転換も恐れず遂行する。翻って我々革新派はそれが出来ないばっかりに時代の遺物となりやすい…」。しかもこうして始まった既存活動家と国際SNS社会のボタンの掛け違いは、しばしば以下のmemeで表現される心理展開によってさらに悪化の一途を辿るのです。

平野耕太「ドリフターズ(DRIFTERS,2009年)」4巻より
平野耕太「ドリフターズ(DRIFTERS,2009年)」4巻より
平野耕太「ドリフターズ(DRIFTERS,2009年)」4巻より

実際、1848年革命で農民に裏切られて以降「万国の労働者よ、団結せよ!」なるスローガンで団結するに至った欧州の急進共和派(Républicains radicaux)は、(フロベール「感情教育(L'Éducation sentimentale,執筆1864年~1869年、刊行1869年)」で活写された様に)フランス四月普通選挙(1848年4月)でフランス革命当時の革命公安委員会のコスプレをして「今度はプチブル階層も全員ギロチン送りに!!」とシュプレヒコールしながら(赤旗を先頭に)街を練り歩き(三色旗を奉じる)穏健派市民を恐怖のドン底に叩き落として当然の如く選挙で大敗。六月蜂起(les journées de Juin, 1848年6月)で巻き返しを図るもあっけなく粉砕されてしまい、首謀者は国外亡命や植民地流刑を余儀なくされます。パリ・コミューン(Commune de Paris,1871年)蜂起に際して再集結。同様に赤旗を振り翳して穏健派市民を再び恐怖のドン底に叩き落とすも鎮圧に乗り出したヴェルサイユ軍が徹底殲滅。パリ市内にはヴェルサイユ軍大勝利を祝う無数の三色旗が翻ったのです。

一方、当時リアルタイムに活躍した天才詩人アルチュール・ランボー(Arthur Rimbaud,1854年~1891年)は韻律から散文に向かうフランス文学の激動の時代に老境のヴィクトル・ユーゴー(Victor-Marie Hugo,1802年-1885年)はおろか後世「フランス近代詩の父」と称せられるシャルル・ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire,1821年~1867年)8月31日)が残した「最初の轍」にすら懐古風味しか感じられなくなり、パリにおける詩人としてのキャリア継続を断念。当時のフランスには、参加してすぐやめたパリ・コミューンにすら失望しか感じなかった彼の様な激情の持ち主を引き留め得る何かが一切残っていなかったとも。
三好美千代「ランボオが読んだポードレール」

以下の以前の投稿ではこういう全体像を巨視的に俯瞰するのを優先。ありふれた一言で要約してしまいましたが…

もちろん道なき荒野に刻まれた個々の轍は重ねられるうちに道路として整備されていく。

上掲「とある本格派フェミニストの憂鬱1パス目」

実際の「道」の興亡過程を微視的かつ局所的に観察すると複雑怪奇。ダーウィンが「種の起源(On the Origin of Species,1859年初版)」で述べた様に多種多様な系統進化を辿るのです(なおダーウィンは初版において「進化(evolution)」ではなく「変化を伴う由来(descent with modification)なる用語を使用)。これについて経営学者メギンソンの解釈「最も強い者でも最も賢い者でもなく変化できる者だけがが⽣き延びる」が世に流布し、それを巡って「定向進化論争」や「赤の女王仮説」などが勃興する訳ですが、実際19世紀急進共和派が辿った末路を眺めると「種を自発的に滅びに向かわせる定向進化の罠」は実在し「ランボオの出奔」はこの流れと表裏一体の関係にあった様に思われます。

「急速に自滅に向かうフランス急進共和派」と「影響圏から離脱したランボオ」

とはいえ今やもうこんな「詩人ランボオの荒々しくも孤高な足跡」を理想した方々はそのほとんど全てが歴史の掃き溜めへと姿を消してしまいました。現代人は「詩人ランボオ」と聞いても、せいぜい映画「太陽と月に背いて(Total Eclipse、1996年、映画化1995年)」でこの人物を演じたレオナルド・ディカプリオがあられもなく曝した尻を思い出すのみ。

詩人ランボオ(演ディカプリオ)の尻

なんだかもどかしい表現になってしまい申し訳ありませんが、遺伝子解析技術の進歩によって今まさに激しく揺らいでいる領域の話なので、引き摺られてこうした曖昧な表現でお茶を濁さざるを得ないのです。

具体的な話に戻ると「ウォール街を占拠せよ」運動においてバリケードに籠城する既存活動家達と国際的SNS社会を致命的に分断したのは「街を守る正義の味方の裏の顔は街の名士たる大富豪」なるバットマンの設定でした。既存活動家達は運動の当初からこのバットマンを「(福祉事業への寄付などによって現在進行形の収奪を誤魔化す)醜い偽善者」の象徴として利用して来たのですが、敗色が色濃くなるにつれ次第に全く同調の気配を見せない国際的SNS社会への憎悪が勝つ様になり「我々が勝利した暁にはバットマンの様な絶対悪に一度でも心を寄せた事がある精神的奴隷は全員精神病院送りにされるであろう!!」「誰もが笑って暮らす明るい平等社会は、我々の様な正義が(貴様らの様な)ゴミを掃除し続けてるから維持されているのだ。掃除されるゴミに同情する輩(家族や親族や友人関係)も全部ゴミだから、然るべき時が来たらみんな清掃対象だ!!」といった個人攻撃要素の強い大言壮語めいた罵詈雑言ばかり投げつけてくる様になり、ますます国際的SNS社会との対立を深めていったのでした。一見激烈な展開に見えますが、実は時代ごとの細部が異なるだけで19世紀に欧州急進共和派が辿った自滅への足跡をほぼなぞったともいえそうです。

活動家達が怪物視を要求したバットマン

もちろんそこには当時なりの新展開もありました。インターネット網の発達が生んだ新たな悲劇性が追加されたのです。日本の学生運動全盛期にも「陥落後のバリケード内には世に公表されるのが憚られる様な酷い落書きが無数に残され、見かねて突入した機動隊員が消した事もある」なんて話がありました。ところがこの誰もがネットワークで結ばれる現代社会においては、そうした「本来なら誰にも届くべきではなかった独り言」が容赦無く外界に発信され、それぞれのSNS単位でレスバトルが始まってしまうのです。当然冷静な対話など望むべくもなく、実際当時の私も猛烈に激高するばかり。こうした全体構造に思い当たったのも数年後という有様。

日本の学生運動家自身が編纂した「落書き集」からこういう景色は浮かび上がっては来ませんし、ビクトル・ユーゴー「レ・ミゼラブル(Les Misérables,1862年)」に描かれた六月暴動(Insurrection républicaine à Paris en juin 1832,1832年)や六月蜂起(les journées de Juin,1848年)の情景に至ってはまるで英雄叙事詩の一場面の様に荘厳な有様。そこにはジェームズ・クネン「いちご白書(The Strawberry Statement,執筆1966年~1968年)」が暴いたコロンビア大学紛争の内幕、佐藤優「自壊する帝国(2006年)」に断片的に登場するソ連崩壊前夜の学生デモの情景などが備えるある種の生々しい混沌感が一切欠落していたのです。

そう、私がその一環に触れた実際の「バリケード内の景色」は想像以上に死と混沌の影に満ちていました。当時のマスコミは国際的に一切報道しませんでしたが実際「ウォール街を占拠せよ」運動は運営側が想定した以上に広範囲に広がり過ぎたせいで「紛れ込んできた浮浪者が朝になったら凍死していた(バリケード占拠期間が冬季に差し掛かった当然の結果)」「反社系逃亡者に隠れ場所として利用され銃撃戦に巻き込まれた」といった人身トラブルに巻き込まれ続けた様です。その結果、詳細は不明ながら拠点によっては絶えずそうした類の噂で持ちきりとなり「我々こそがそこまで犠牲を払って正義の最前線を守っている」なる逆転の自負心から、理解を示さない一般人への侮蔑の態度を強めていったとも見て取れます。「人類の敵であるバットマンでなく、味方である我々をこそ敬え」なる傲慢極まる発想もおそらくこの辺りから生じてきたのでしょう。これもまた本来なら「バリケード内だけで完結させるべきだった展開」といえましょう。

その一方でこんな事も考えました。実は私の父方の親戚は長崎への原爆投下(1945年8月9日)で半分方吹き飛んでいるのですが、その筋の既存活動家がまだまだ元気だった1990年代の一時期、しつこくオルグられ続けた事があります。「親族が原爆投下で亡くなってるのが偉いか?後遺症で今でも苦しんでるのが偉いか?正しい考えに従って行動しない人間はヒバクシャでなくヒバクシャの裏切り者だ!! 我々は穏健な兵士和主義者だから直接手は下さないがヒバクシャとその家族が地の果てまでもお前とお前の親族を追い詰め続けるだろう。そうでないと我々からヒバクシャの裏切り者の烙印を押され、それが何を意味するかちゃんと判っているからな!!」。ネット上で発言されているLGBT当事者の方々も時々LGBT活動家の方々にまとわりつかれ、同じ様な暴言を吐かれる様です。上掲の「ウォール街を占拠せよ」系論者の言い回しとの共通項も多く、考え方というかそのディスクール自体に国境も分野も超えた「既存活動家的思考法の原型」の様なものが実存する様に感じずにはいられません。

なお、こうした「ウォール街を占拠せよ」運動におけるバットマン概念をめぐる騒動が映画「ダークナイト・ライジング(The Dark Knight Rises,2012年)」のシナリオに影響を与えたという説があります。実際には反映の難しい時期の出来事である上、クリストファー・ノーラン監督自身はディケンズ「二都物語(A Tale of Two Cities,1859年刊)」を参照したと述懐しています。しかしながら「二都物語」またフランス革命当時(特に恐怖政治時代)の残忍で理不尽な展開を背景とする物語であり「既存活動家的思考様式の原型」は同じなので重なってくる部分はどうしても出てくるという次第。

例えばフランス革命においてはその前夜において「第三身分とは何か(1789年1月)」を刊行して「フランスにおける第三身分(平民)こそが、国民全体の代表に値する存在である」と訴えて革命の機運を盛り上げ、革命が始まると「第二院が代議院と一致するときは、無用であり、代議院に反対するならば、それは有害である」として一院制議会を通し恐怖政治を準備し、革命が終わると今度はナポレオン・ボナパルトを盛り立てて第一帝政を準備した「革命の土竜」シェイエス(Emmanuel-Joseph Sieyès,1748年~1836年)なんて妖怪の暗躍があり、こういう部分が「本当の黒幕はベインでなく…」なる「ダークナイトライジング」の展開と重なってくる訳ですが、まさにそういう部分が「既存活動家的思考様式の原型」として浮かび上がってくるという話。


「21世紀左翼の戦陣訓」となり果てた「Do You Hear The People Sing?」

運動の国際的全体像を俯瞰すると「アラブの春」と呼ばれる中東の民族運動との絡みも浮上してきて1848年革命と比較する意義がさらに高まります。

2010年末より、アラブの春と呼ばれるSNSを発端とする連鎖的な市民革命が中東各地で発生し、2011年5月にはスペインで、のちにインティグナドス運動と呼ばれる組織的かつ大規模な占拠デモが発生していた。 2011年9月16日にはニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグがラジオ番組に出演し、悪化する若者の雇用状況を放置すれば、カイロやマドリードと同様にニューヨークでも暴動が起きかねないと警告するなど、溜まった不満の向かい先を心配する声が挙がっていた。

上掲Wikipedia「ウォール街を占拠せよ運動」

アラブの春(The Arab Spring)とは、2010年から2012年にかけてアラブ世界において発生した、前例にない大規模反政府デモを主とした騒乱の総称である。“Arab Spring”という言葉自体は2005年前後から一部で使用されていたが、2010年12月18日に始まったチュニジアのジャスミン革命がアラブ世界に波及。現政権に対する抗議・デモ活動はアラブ世界以外にも広がりを見せ、これを含む場合もある。各国におけるデモは2013年に入っても続いたが、ほとんどの国で混乱や内戦が泥沼に陥り、強権的な軍政権に戻ったり、ISILのような過激派組織が台頭したりするなど、いわゆる「アラブの冬(The Alab Winter)」として挫折を見せている。

Wikipedia「アラブの春」

欧州中心部では農奴解放が労働者供給源となって産業革命本格導入の契機となった1948年革命ですが、東欧に伝わったそれはたちまち悲願に満ちた民族独立運動に変貌。最終的に多民族帝国を従えるハプスブルグ君主国やオスマン帝国に全て鎮圧されてしまいます。この辺りの展開が「アラブの冬」と似通っている訳ですが、一方前者においてはイタリアとドイツでハプスブルグ君主国からの分離独立活動が根強く続き、最終的に「(サルデーニャ王国王統サヴォイア家を戴く)イタリア王国(Regno d'Italia,1861年-1946年)」と「(プロイセン王国王統ホーエンツォレルン家を戴く)ドイツ帝国(Deutsches Kaiserreich,1871年~1918年)」が独立を勝ち取ります。方便とはいえ、どちらも「(ハプスブルグ家の臣下じゃない)一国一城の主」を前面に立てなければならなかった辺りについては当時の外交力学も視野に入れないといけない訳ですが…

潔癖症が過ぎるこの時代の急進共和派はイタリア王国とドイツ帝国の独立を「保守反動勢力による反革命」としか認識出来なかったのです。さらには(「封建体制=領主が領土と領民を全人格的に代表し、産業革命導入の阻害要因となる農本主義的権威体制」としての)江戸幕藩体制から(フランスが革命の時代を経て勝ち取った)郡県制への移行なら成し遂げた大日本帝国までをもその分類に放り込んでしまいます。「経済学批判(Zur Kritik der Politischen Ökonomie,1859年)」を二人三脚で世に送り出した「社会民主主義理念の父」フェルディナント・ラッサール(Ferdinand Johann Gottlieb Lassalle,1825年~1864年)と「共産主義理念の父」カール・マルクス(Karl Marx,1818年~1883年)が決別した背景にも、かかる「潔癖症と現実主義の対立」がありました。

もっとも大きな見解上の相違はイタリア統一戦争の解釈を巡って現出した。

この戦争をめぐってはエンゲルスが小冊子『ポー川とライン川』を執筆し、ラッサールの斡旋でドゥンカー書店から出版。そこでエンゲルスは「確かにイタリア統一は正しいし、オーストリアがポー川(北イタリア)を支配しているのは不当だが、今度の戦争はナポレオン3世が自己の利益、あるいは反独的利益のために介入してきてるのが問題である。ナポレオン3世の最終目標はライン川(西ドイツ)であり、したがってドイツ人はライン川を守るためにポー川も守らねばならない」といった趣旨の主張を展開。このオーストリアの戦争遂行を支持する見解にマルクスも同意する。

しかしラッサールはこの見解に一石を投じたのである。専制君主であっても常にナショナリズムや民主主義の原理に媚を売ろうとするナポレオン3世はナショナリズムを踏みにじり続ける専制王朝国家オーストリアよりはマシに思えたからで、その立場を表明すべくラッサールも独自に『イタリア戦争とプロイセンの義務(Der italienische Krieg und die Aufgabe Preussens)』と題した小冊子をドゥンカー書店から出版。そこで「イタリア統一の成功はドイツ統一にも大きく影響する」「ナポレオン3世が嫌いだからとイタリア統一の邪魔をするべきではない。」「もしナポレオン3世がそれによって何か利己的な目的を図ろうとしているなら、我々の側でそうはさせないだけの話。」「ライン川獲得のためにフランスがドイツに侵攻するなどありえず、ナポレオン3世が狙っているのはせいぜいフランス的なサヴォワの併合だけ。」「オーストリアが弱体化してもドイツ統一の打撃にはならない。むしろオーストリアが徹底的に粉砕されることがドイツ統一への近道」「ナポレオン3世が民族自決に従って南方の地図を塗り替えるなら、プロイセンは北方で同じことをすればいい。シュレースヴィヒ公国とホルシュタイン公国を併合するのだ。」といった趣旨の主張を展開。後年ビスマルクが実際に行ったドイツ統一の経緯を予言したものとして称賛される展開となる。
しかしこの立場はナポレオン3世を「無産階級最大の敵」と定義し、ナポレオン3世に抵抗するためならばプロイセンとオーストリアの連合さえも考慮に入れるべきと考えたマルクスの主張と決定的に相容れない。それでマルクスは「私と私の同僚(エンゲルス)は貴方の意見に全く賛成できない」と拒絶の返事を送ったのである。

上掲Wikipedia「フェルディナント・ラッサール」

マルクスのこの種の態度は徹底しており、普仏戦争(Deutsch-Französischer Krieg,1870年-1871年)が勃発した際も「これは歴史上何の意味もない保守反動勢力間の内輪揉めに過ぎない(歴史上何の意味もない)」と宣言し黙殺を決め込もうとしています。そう、英国に亡命して世界市民(Cosmopolitan)を気取る様になったマルクスの意識にあっては、いつに間にか祖国ドイツの命運問題なんぞ、その程度の問題に矮小化されてしまっていたのです。
搾取が廃止されるにつれて - J-Stage

普仏戦争は1870年7月19日フランスのドイッ側への宣戦布告によって始まるが、その直前の7月12日、第一インターナショナル・パリ支部は機関誌『レヴェイユ」に「万国の労働者に与える」と題する論説を掲げて、「ドイッの兄弟諸君!われわれが仲たがいすれば、ラインの両岸に専制政治の完全な勝利をもたらすだけだ」と呼びかけ、開戦直後の7月22日には、『マルセイエーズ』がそれに呼応して「この戦争は正義の戦争でもなければ国民の戦争でもない。われわれはインターナショナルの戦争反対の抗議に賛同する」と声明した(1870年7月22日「普仏戦争に関する国際労働者協会総評議会の第一の呼びかけ」)。これにたいしてドイッ側では、開戦前の7月16日に、インターナショナル・ベルリン支部が「パリ宣言に賛同」の意を表明し、ブラウンシュヴァイクの「労働者集会」では、この戦争がドイッにとっては「避けられない害悪としての防衛戦争」ではあるけれども、しかし「和戦の決定権限」は「人民」がこれを握るべきだとの決議が採択され、またケムニッツの「五万人の労働者を代表する」と称する集会でも、この戦争が「王朝間の戦争」であって、自分たちは「フランスの労働者に友愛の手をさしのべる」との見解が表明された(同上)。

これを受けてマルクスは、先引の「第一の呼びかけ」において、そうした独仏労働者の「平和と好意のメッセ!ジ」の交換は「史上に類のない偉大な事実」であって「より明るい未来の見通しを開くもの」と位置づけ、これぞまさしく国際平和を「おきて」とする「新社会」生誕の証明だと、礼讃した。

ところが実際の普仏戦争は、開戦後わずか40日あまりの9月1日のセダンにおけるフランス第二軍の降伏とルイ・ナポレオンの投降によって、大勢が決っしてしまう。その後フランスに共和国政府が成立し、共和国政府軍がドイッ側に抵抗をつづけることになるが、そうした状況の推移に対応して、第一インターナショナル総評議会は9月9日、マルクスの筆になる「普仏戦争に関する第二の呼びかけ」を発表し、ドイッの労働者にたいしては、この戦争がもはやドイッにとっての「防衛戦争」としての性格を失い「フランス人民への戦争」に転化したのであるから、アルザス、ロレーヌの併合に反対して、「フランスの名誉ある講和」を認あるとともに「フランス共和国を承認」するようビスマルク政府に迫るべきだと訴え、フランスの労働者にたいしては、「城門に迫る」敵を前にして共和国新政府の打倒といった「愚挙」に走ることなく、自分たちの「市民としての義務」(ドイッ軍への徹底抗戦)を果たすよう、そして共和政体がかれらに許容するはずの自由を大いに活用するよう呼びかけた。

*しかしながら現実は何一つとしてインターナショナルやマルクスが期待した通りに進まなかった。ドイツ国民がフランスへの勝利に沸き立つ一方、パリ・コミューンは共和国軍に徹底鎮圧されてしまうのである。

マルクスはコミューンを「人類を階級制度から解放する偉大な社会革命の曙光」と位置づけた「パリ・コミューン一周年記念集会」の「決議(1972年3月18日)」の中でパリ・コミューンに対する賛否を極めた鎮圧を「インターナショナルに対する全ての政府の十字軍」と位置付け、この十字軍遠征はさしあたり成功したように見えるけれども、その実それは「旧社会の死」を証明するものにほかならないと表明した。

同時にマルクスは、パリ・コミューンの敗北を結局のところ全ヨーロッパにおける革命運動の不発によるものと見なし(「ハーグ大会についての演説」)、(7)その教訓から、「労働の解放と民族間の確執の絶滅とを目的とする一結社の戦闘的組織」を「強化」すべきだとの結論を引き出す(「国際労働者協会第五回年次大会への総評議会の報告」)。

つまりマルクスは、パリ・コミューンの経験をへて、戦闘的な国際的労働者党の建設と国際革命の推進というかれの「共産主義」思想の原点を再確認した訳である。それ以降、かれは国際革命のアルキメデスの点がどうやらこれまで思ってもみなかった東方ロシアの地に生まれつつあるのではないかとの予感をいだき、ロシアのナロードニキ派の革命家たちの働きかけを受けたこともあって、ロシア社会の分析に精力を傾け、やがて死の直前には、ロシア革命とヨーロッパ革命との相互補完による「共産主義」への世界史的移行の構想をいだくようになる。

上掲「搾取が廃止されるにつれて - J-Stage」

こうして全体像を俯瞰すると、フィランス革命当時恐怖政治を主導したロベスピエールが「ルソーの血塗られた手」と呼ばれた様に、ソ連共産党や中国共産党が遂行してきた「民族殲滅政策(元来は民族浄化ではなく、あらゆる民族を解体し国民に再鋳造するのが主眼)」を「マルクスの血塗られた手」と呼びたくもなってきます。

この辺り「ウォール街を占拠せよ」運動界隈はどんな感じだったのでしょうか。実は同じ運動の流れの中にあってもスペインの「インティグナドス運動(2011年)」と台湾の「ひまわり学生運動(2014年)」は最初からの計画通りの妥協を体制側から引き出すことに成功して自発的解散という勝利を迎えています。

ところが世界中のリベラル勢は同様の潔癖症からこうした「現実との妥協」路線にこぞって激怒。彼らを「裏切者」認定して弾劾し、むしろ徹底抗戦の末に玉砕したトルコ「タクスィム広場運動(2013年)」や香港「雨傘運動(2014年)」の「主義に殉じる潔癖さ」を称揚しまくったのでした。そう彼らはヴィクトル・ユーゴー「レ・ミゼラブル(Les Misérables,1862年)」のミュージカル版挿入歌「Do You Hear the People Sing?」を悲壮に合唱しながら玉砕していく景色をある種のエンターテイメントとして消費し、勝手に溜飲を下げてそれだけで満足してしまったのです。

それはまさに福本伸行の漫画「賭博黙示録カイジ(1996年-1999年)」で多重債務者に高層での鉄骨渡りを強要し、次々と死んでいくのを観客席から眺めて楽しむ富裕層の姿…

一見簡単そうに見えて難易度が高く、ほとんどが助からないデスゲーム「鉄骨渡り」
観客の興奮が最高潮に達するのは挑戦者が端まで辿り着いた時。
そこはゴールどころか理不尽なトラップであり、辿り着いた人間は強風を浴びせられ無惨に地面へと落ちていく。普通はここでゲームは終わり、安全な場所から全てを傍観した社会的成功者のお楽しみもそれでめでたしめでたしのハッピーエンドとして終了。元の日常へと戻っていく。だがこの時は…この続きは本編にて。
まさにいわゆる「70年代うる星やつら」から抽出された著名国際meme「特権階層が別世界に生きてる限り封建体制は終わらない!!」の世界。

国際的に若者たるもの、こういう奥田民生「人の息子」の歌詞にある「戦え若者よ、ワシらが楽になる、大活躍するのを待っている」的大人の無責任な態度が大嫌いです。

それでミュージカル映画「レ・ミゼラブル(2012年)」の大ヒットに際しても国際SNS上の若者達は「21世紀左翼の戦陣訓」と認識した「Do You Hear the People Sing?」については一切触れず「(あの「ウルヴァリン」が自らのアイデンティティについて悩む)Who Am I?」や「(同じく激動の時代をどう生きるか若野の自信が主体的に悩む)Red and Black Song」ばかり回覧。

BBC番組が調子に乗って実施した「I am Wolverine」企画も大成功。

特に女性アカウントが「(ジャン・バルジャンが母親にした仕打ちの後悔に配慮したせいで)本人は一切努力せず救済される」コゼット(Cosette)を黙殺し(ディズニー・ヒロインでも同様の立場にある「眠れる森の美女」のオーロラ姫の人気が最悪なのに準じる)、逆境にもめげず(愚かな形ながら)自分なりの愛を貫こうと「On My Own」を歌うエポニーヌ (Éponine)を応援したのが印象的でした。同時期には同様に自爆的最後を遂げる「まどマギ」のさやかちゃんも人気に。本来ならリベラル勢はこういうエピソードや「親殺しの夜(The Night of the Parents Murder,2011年4月)」事件などに「若者(特に女性)の共感が得られる21世紀のヒロイン像」を見出すべきだったのです。

当時の流行memeの一つ。この「You either die a hero or live long enough to see yourself become the villain.(英雄として死ぬか、生きながらえて自分が悪役になり果てるのを目にするかだ)」はクリストファー・ノーラン監督のバットマン映画「ダークナイト」からの引用。

こうした少女集団が最初に観測されたのはおそらく「魔法少女まどか☆マギカ」最終回放映時(2011年4月22日)に既存の親世代が昔ながらの掲示板において「どうして母親が代わって特攻しなかったのか」「大体、父親が専業主夫なのが情けない」などと非難を垂れ流していたら次々と襲撃され多くの掲示板が閉鎖に追い込まれた「親殺しの夜(The Night of the Parents Murder)」事件が最初と目されている。

上掲「とある本格派フェミニストの憂鬱1パス目」

映画「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー(Rogue One: A Star Wars Story,2016年)」のジン・アーソ「私の事も時々は思い出してください」。サンプル数がこれだけ揃うと解像度も随分はっきりとしてきます。

制作側の発表によれば、この作品でデススターの地図奪取に成功するならず者部隊が全滅するのはディズニーの「悪人がハッピーエンドを迎えてはいけない」というレギュレーションを配慮してとの事。そう、ここにもある種の潔癖症の影が…

その一方で世界のリベラル勢が選んだのは「革命を率いて独裁政権を倒す孤高の少女リーダー」カットニス。そう映画「ハンガー・ゲーム(原作2008年~2010年、映画2012年~2015年)」のヒロインです。しかもあらぬ事にリベラル勢はこの作品を現実にタイやミャンマーで進行中の民主化運動と結びつけ「この作品を現実の革命に結びつけて考えない者は、この作品を見る資格がない。一刻も早く視聴をやめろ!!」とオルグして回り、たちまちのうちにこの作品の人気を地に叩き落としてしまいます。

当時ちょうど革命場面に差し掛かっていた諫山創「進撃の巨人(Attack on Titan,原作2009年~2021年、アニメ化2013年~)」人気も巻き添えとなって一時的に凋落。同系統の作品で影響を受けなかったのは「男子だけで集団生活を送る少年達の性生活」が気になる腐女子人気に支えられた「メイズ・ランナー(The Maze Runner,原作2009年~2016年、映画化2014年)」くらいで避難民が一気に石田スイ「東京グール(原作2011年~2018年,アニメ化2014年-2018年)」に流れ込む展開に。

「ハンガーゲーム」由来の「抵抗者のハンドサイン」

由来は、独裁国家パネムを描く米SF映画『ハンガー・ゲーム』で、民衆が独裁への「抵抗」「反逆」の印として掲げるサイン。それが現実世界で、権威主義的な強権への抵抗のシンボルとして一般化したのは、一四年に起きたタイの軍事クーデターの際だったといいます。

さらには、同年、若者らが民主化を求めた香港の「雨傘運動」でも象徴的なサインとして用いられました。

上掲東京新聞記事
当時流布していた「進撃の巨人」画像。確かに既存活動家が飛び付いた理由が丸わかりの格好の「餌」という次第…

しかし「アラブの春」が挫折して「アラブの冬」と呼ばれる様になった様に、タイやミャンマーにおける民主化運動も一向に進展をみせません。最近日本のその筋の方々の関心が埼玉県の川口や蕨のクルド人コミュニティに写っている様に見えるのはそのせいとも。そんな感じで彼らの共感の対象は勝手に自己都合で推移していくのです。

彼らの少なくとも一部はRedditを本拠地としていました。あるいは「機動戦士ガンダム 水星の魔女(Mobile Suit Gundam THE WITCH FROM MERCURY,2022年-2023年)」に「ポリコレ的に正しくない」と噛みついたReddit勢も彼らの末裔だったかもしれません。だとすれば大喜びだった事でしょう。彼らの興味を引く様な「政治利用可能な作品」がしばらく絶えていたからです。

そういえば宮崎駿監督も劇場版アニメ「風の谷のナウシカ(1984年)」発表後、環境系左翼からカリスマ視される様になり、そのイメージから脱却すべく漫画版(1982年-1994年)を別展開にしたり、続編の代わりに「天空の城ラピュタ(1986年)」を手掛け、その筋の方々にただひたすら「裏切者」と罵られ続けたそうです。ここでもやはり背後で「活動家的思考様式の原型」めいた何かが蠢いている?

こうやってて全体像を俯瞰すると再び私の脳内に奥田民生「人の息子(1995年)」が流れ始めます。まるっきりの他人行儀、無責任、他罰的態度、そして都合が悪くなるとすぐに責任転嫁…

こういう考え方については、以下の様な反論を受けた事もあります。「お前は正義について何も分かってない!!  大日本帝国は不正義の遂行を嫌がる若者達に犬死を強要し続けた。しかし正義を遂行する現代の若者達は我々の必死の説得にもかかわらず、常に自ら勝手に「これが真の自由だ!!」と誇らしげに喜び勇んで勝手に死んでいく。良心の呵責を感じる必然性などそこに一切存在しないだろ?」。どうやらこの種の人達にとっては、一時期あれほど応援したSEALDsですら「自ら喜んで勝手に捨て駒となる道を選んだ以上、その事で悲惨な余生を送る事になっても一切後悔しない」という認識の様です。昔はその程度の認識で良かった、という事なんでしょうか?

そもそも「レ・ミゼラブル」原作者ヴィクトル・ユゴーその人が言行不一致大王だったりするから始末に追えません。①「七月王政に抗議して六月暴動で玉砕したフランスの愛国的な若者達」の実態は七月王政に裏切られ絶望して自暴自得となったイタリア炭焼党の急進共和派と彼らが従えた外国人労働者達だった。そもそもフランス人ですらない。②物語中では主人公ジャン・バルジャンに「自らの分身」マリウスだけは救出させたが、自らも七月王政に取り入るのに成功して立身出世を果たす。当然「王党派との徹底抗戦」要素は排除。③実は「ABC友の会」のモデルは従来の古典劇の伝統的形式を打破した最初のロマン主義詩劇「エルナニ(Hernani,1930年)」を発表を契機に結成された若手文学者集団「青年フランス(Jeune France)」あるいは「小ロマン派(petits romantiques)」「真っ先に先頭に立ち、真っ先に抜けた」本物の天才肌たるゴーチェを除きほとんどが悲惨な最後を遂げる事に。

ここに現れる「小ロマン派を真っ先に離脱したゴーチェ」の立ち位置、「パリ・コミューンに入隊しながらたちまち脱退した詩人ランボオ」と重なるものがありますね。前者の「政治的経済的パラダイムシフトの当然の帰結としての既存活動家の生存権消失」と後者の「勝手に政治的先鋭化の一途を辿って自滅した急進共和派」の共通点と差別点も興味深いところ。

「小ロマン派を真っ先に離脱したゴーチェ」の図。「フランス急進共和派に取り残された詩人ランボオ」の図と相同で、どちらも母集団との無相関が生んだ当然の帰結であった。

おや、どうやら背景に「相関係数(1→0→-1)で結ばれる評価軸連鎖」なる数理構造が浮かび上がってきた様だ?

「相関係数」とは、それぞれ固有の中心と分散の時間推移で構成される円筒座標系から量(スカラー)比を抜いて1対一で対応させ(直行させ)結果として生じる楕円断面を、残された第三軸から眺めた時の回転写像。角度により1次関数y=xとy=-xの間を往復し相関係数0の時に真円を描く。

もしかしたら世界中のインテリ勢が見習おうとしているのはフランスのインテリ、それもロラン・バルトが思い描いた「エッフェル塔反対運動の急先鋒なのにエッフェル塔のカフェに入り浸り「エッフェル塔が見えないのはパリでここだけだからな」と言い訳する」エスプリを駆使して現実世界との無相関を墨守する想像上のモーパッサンの超人性なのかもしれません。とどのつまりアンガージュマンの意味がその程度の解像度でしか理解されていないという事?


「2016年大統領選挙」の裏面

*この章の内容に「ロシア影響工作の影響を受けた可能性」が観測されましたので、以下も様に改稿を行いました。よろしくご査収ください。


「シカゴFacebook拷問Live」事件

*この章の内容にも「ロシア影響工作の影響を受けた可能性」が観測されましたので、以下も様に改稿を行いました。よろしくご査収ください。


「シアトル解放区」事件

「シアトル解放区」事件、あるいは「キャピトルヒル自治区(CHAZ)」事件(2020年6月8日-7月1日)はTumbr大粛清(2018年)以降の展開。ざっと調べた限り世界中のその筋の方々が「21世紀のパリ・コミューン」と絶賛する一方でネット世界は連動する気配をまるで見せず、むしろ完全に「既存活動家の考え方」が通用しなくなった時代の始まりを象徴する事件となりました。

事件そのものの構造はやはりシンプル。①ジョージ・フロイド抗議運動が暴動化。シアトル警察が退去し活動家らが自治宣言。②活動家らは数週間お祭り騒ぎに酔いしれ世界中に勝利宣言を発信し続けるも、警察不在が全国の犯罪者を呼び寄せ、現地の治安が悪化するとたちまち大半が逃走。③遂には救急車も入れない無法地帯と化し警察隊が突入して鎮圧。

米国無政府主義の歴史は植民地時代まで遡るから根が深いのです。カナダの歴史家ウィリアム・マクニール「世界史講義」収録の「グレート・フロンティア-近代の自由とヒエラルキー-」によれば、シベリアやアメリカ大陸の荒野に建設された開拓地では慢性的な人手不足を解消すべく苛烈な人的支配体制が構築される事が多く、ロシア帝国の農奴制や「家父長制や奴隷制農場を守るべく中央集権化に抵抗する」ジェファーソン流民主主義はその産物なのだといいます。

そしてアメリカ独立戦争を支えた「ミニットメン((Minute Men)」の存在と合衆国憲法修正第2条の規定「A well regulated Militia, being necessary to the security of a free state, the right of the people to keep and bear Arms, shall not be infringed(規律ある民兵は、自由国の安全保全にとって必要だから、人民が武器を保蔵しまた携帯する権利は侵してはならない)」の存在。

2013年に全くの別内容で映画化された精緻なシミュレーション小説「World War Z(2006年)」でもアメリカはゾンビ・アポカリプス到来を契機に無数の武装自警団の割拠地となり、事態鎮静後も彼らの排除に多大な時間と犠牲を(下手をしたらゾンビとの戦い以上に)出したと描写されました。とはいえ今回「シアトル解放区」に刺激された自警団蜂起は一切起こらなかったのです。「ウォール街を占拠せよ」時代より明らかに動員可能規模が激減していますね。

これまで繰り返し紹介してきた「インターネット世界に最初に成立した国際SNS社会=2010年代前半に活躍したイラスト・写真・音楽の品質を向上させ外部に紹介(Curation)するシステムとその防衛体制」についても、2016年度大統領選に際して約半数が(とりあえず民主党を支持する)中道左派で、残りが(とりあえず共和党を支持する)中道右派だった事が明らかとなった訳ですが…ここで興味深いのが2013年度の政府閉鎖危機に際しての「首魁」テッド・クルーズ弾劾に際しては足並みを揃えての共闘が成立した事。

当時流布した著名memeの一つ。

そう、同じリーマン・ショック動乱の産物とはいえ(親世代が起こした)ティーパーティ運動に対して若者世代は(とりあえず民主党支持の)中道左派も(とりあえず共和党支持の)中道右派も共通して反感しか感じなかったのです。

中道左派と中道右派の若者の間には人種差別問題でも堕胎問題でも意見の相違などそうは見られず、唯一見解の一致が難しい銃規制問題についても「(昆虫食の様に人種でも性差でもなく幼少時からの身近さによって形成される)地域感情として受け流す慣習が出来上がっていました。日本のアニメや漫画のジャンルの幅が広く、ファン層が双方にまたがる作品も多い点が潤滑油となった側面も。

しかしむしろその事が、すなわち独自の方法で「支持政党を超えた黒人と白人の連帯」を現出させ得た事こそが、その筋の活動家の方々の逆鱗に触れた側面もあったかもしれません。LGBTQA活動家がLGBTQA当事者の独自活動を「統制」したがるのと同じ理屈。そう考えると上掲の「2018年の大粛清に便乗してのBlack  Establishment殲滅隊派遣」が遂行された背景も見え透いてくるというものです。なにしろ当時のPoor Black層はトランプ支持者を目の敵にしてましたから、焚き付けるのも簡単だった事でしょう。

Nation of Islam

実はBLM運動をあからさまに暴動や略奪に発展させて喜んでいた「無政府主義者(全大文字のANARCHIST)」の本拠地も当時同じTumbr上にあったのです。まるで「宇宙戦艦ヤマト(1974年)」において「目的地」イスカンダルが「宿敵」ガミラス連邦と二重連星状態だった様に。しかもこの野蛮人集団ときたらガミラス連邦どころではなく、なんと連日の様にギリシャ暴動やBLM運動が暴動や略奪に発展していく場面の動画を次々と回覧し気炎を上げ続けていました。

大量に回覧されていた暴動場面の一つ。詳細不明。

さらには、あまりに攻撃的で権力欲むき出しなのでLGBTQAコミュニティから追放された「一切の異性を憎悪する同性愛者」や「一切の性表現撲滅を叫ぶ無性愛者」をも吸収。こちらもBlack  Establishment殲滅隊同様「2018年の大粛清」に便乗して休眠状態に入った我々穏健派アカウントの死体蹴りに参入した様ですが、いかんせん共通敵を見失ったせいでリベラル派全体の規模での内ゲバが始まってしまい、2022年に私がTumbrに舞い戻った際には誰も残っていませんでした。当時途中過程でどんな醜い争いが生じたのか完全に明らかとなる事は金輪際ないでしょう。皮肉にも彼らにとっては勝利(自らだけの残存)こそが全滅の引き金となってしまったのです。

そもそも最初に襲来した4chanやRedditの遠征隊の標的はこの「ANARCHIST・LGBTQA追放者」コミュニティ(時期的に見てその原型)だったという話も。ところが日本のアニメ漫画Gameをこよなく愛する穏健派コミュニティを誤爆してしまい、逆に殲滅されてしまった事件が2010年代ずっと続く衝突の発端となったというのです。何とも馬鹿らしい話ですが、当時はアジアでも韓国の反日アカウント集団が「八百長」と間違えて2ちゃんねるのYaoi板を誤爆して壊滅させる事件も起こってたりします。そういう私もこの事件を通じて「攻撃してくる側はあくまで雑」なる学びを得ました。

しかし考えてみれば、2010年代前半ネット世界を震撼させた「Belieberとミク派の小娘党争」もまた(おそらくJoke Account辺りの)フェイク投稿から始まってる訳で、この辺りのしょうもなさこそがインターネット黎明期の特徴と言わざるを得ない側面も?

実は上掲の2012年3月22日のジャスティン・ビーバーのポスト「アニメは嫌いだ(I hate Anime)」は後に偽造されたものと判明。しかし一度始まってしまったBelieberとミク派の党争は勢いを失う事はなく、度重なるスキャンダルによってジャスティン・ビーバーの人気が下落してBelieberが人気をなくし、共通敵を見失ったミク派が自然消滅する2010年代後半まで続く。

「とある本格派フェミニストの憂鬱1パス目」

とにかく当時のこうした展開に細部の精度を求めても何にもなりません。いかんせんマスコミが報ぜずネット上で各陣営が繰り広げたプロパガンダ合戦の、それも特定個人の目に留まった断片の残骸の恣意的羅列に過ぎない訳で「田沼時代(1751年~1789年)・寛政の改革時代(1787年~1793年)の落首合戦」程度の情報価値しかないのは初めから承知の上。

そう、学校で習った人もいる「世に合うは左様で御座る御尤もこれは格別大事無い事」とか「白河の清きに魚もすみかねて元の濁りの田沼恋しき」の類ですね。世界史的に近世段階によく見られ、例えばフランスだとフロンドの乱(1648年~1653年)当時出回ったマザリナード(Mazarinades)、英国だと清教徒革命(Puritan Revolution, 狭義1642年-1649年, 広義1639年~1660年)当時のコーヒー・ハウス(Coffeehouse)における小冊子(Pamphlet)頒布合戦に該当。ただし後者はペスト流行による外出禁止などを受けて長編読み物として異形の進化を遂げ、ダニエル・デフォー「ロビンソン・クルーソー(Robinson Crusoe, 1719年-1720年)」やジョナサン・スウィフト「ガリヴァー旅行記(初版1726年,完全版1735年)」刊行に至ります。2チャンネルへの書き込みから転載される形で中野独人「電車男(2005年)」や橙乃ままれ「まおゆう魔王勇者(2010年~2012年)」が刊行された歴史を連想させますね。


既存活動家が辿り着く「涅槃の境地」

それにつけても「既存活動家の思考様式」は、どうしてこんなにも所かまわず強引に人を従え様とし、かつ利用価値のなくなった捨て駒を容赦なく切り捨てていくのか。あるいはどうして誰もがそういう人々としてイメージされてしまうのか。とある大学の先輩に「クメール・ルージュ擁護で本田勝一に失望しました」と話したら一喝された事があります。

「馬鹿かお前は‼︎ そんなだから一歩たりとも人間的に進歩出来ないんだ。ベネディクト・アンダーソン「想像の共同体」を読め。そこに、アメリカ独立戦争やフランス革命が実際に何をしたのかなんて関係ない。それが起こった事実そのものが人類を救済したと書いてある」。

「ホブズボーム「匪賊の社会史」を読め。義賊は例え実際には強盗と強姦と殺人しか遂行しなくても、ただ存在するだけで大衆を救済するとある。クメール・ルージュだってフランス革命をアジアで再現しようと試みただけで偉大で、それだけで人類全体を俯瞰的に救済した。その結果生じた微細な被害など、未来の人間はそのうち忘れてしまう。偉大なるフランス革命自体についてそうだった様に」。

当時の流行でオウム真理教に入信して大学中退。その後の事は分かりません。こんなとんでもない行動原理を賞賛し続けるには相応の正義への確信が必要で、マルクス主義ではいささか役不足と考える様になったのかもしれません。

しかしいかなる運動も存続を続けられなくなった時点で終焉では?

ところがどうやら違う考え方が存在するらしいのです。例えば敗亡迫る1944年時点のナチスドイツ。国民啓蒙・宣伝大臣ゲッペルスは総力戦に振り向けるべき貴重な予算と資材と人材を食い潰し大作映画「コルベルク(Kolberg、完成1945年4月17日)」制作に邁進していました。「現在払いつつある犠牲は(例えナチス・ドイツが敗亡したとしても)決して無駄にはならない。未来のドイツ人に英雄視されたくはないか?」

ナチスドイツ最後にして最大規模の大作映画「コルベルク(Kolberg、1945年)」

恋人を戦場に送り出したヒロインは父親とこういう会話を交わす。
「彼はあそこにいるのかしら」
「そうだ」
「お前は全てを与えたが決して無駄ではなったのだ」
「死と勝利は織り合わさっている。偉大さは常に苦しみから生まれるのだ」

「コルベルク(Kolberg、1945年)」ラストシーン

そうここで「不滅の正義」として浮上してくるのはナチスドイツがドイツ国民に「取り戻す」と約束した偉大なるドイツ英雄的民族精神の話。ワールシュタットの戦い(Schlacht bei Wahlstatt,1241年4月9日)におけるモンゴル帝国ヨーロッパ遠征軍への敗北も、タンネンベルクの戦い(Schlacht bei Tannenberg,1410年)におけるポーランド・リトアニア連合軍への敗北も、それを滅ぼせなかったばかりか、かえって滋養し次の勝利の準備に役立ったのみ。同様にNSDAPが指導する今回の戦争が敗北に終わったとしても、そう遠くない未来にその偉業は次の偉大なる勝利の一部に、偉大なる英雄叙事詩の一幕に組み込まれる予定なので誰もが安心して、笑って自発的に死んでいくのです。こう考えられてしまえば、もう手の施し様がない? ところがここで颯爽と、空から一人の男が…

「ほら男爵の冒険(Münchhausen,1943年)」

そう実はこのNSDAPが総力を挙げたプロパガンダ映画「コルベルク」、純粋な娯楽映画に徹した前作「ほら男爵の冒険(Münchhausen,1943年)」に興行成績で大敗してしまうのです。ドイツ国民は苛烈な戦争の最中にあっても重厚かつ英雄的なドイツ民族精神講義より、ベリーダンサーのエロエロダンスをこそ求めました。何たる不謹慎…何たる価値観分断…

まさしくドイツ庶民のビーダーマイヤー(Biedermeier)精神の逆襲とも?

想定以上の長文となってしまいましたが、2010年代「既存活動家の思考様式」がインターネット社会に通用しなくなっていく様子がそれなりには一巡分描き尽くせたので以下続報…

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