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「触覚、嗅覚、味覚」。(2020年1月18日(土))

休日のゆったりとした時間。
いつもの喫茶店でゆっくりとコーヒーを味わいながら、自分の手の甲をもう片方の手で優しくさわったり、自分の頬に優しく触れてみたりしながら、窓の外と窓に映った喫茶店のランプの灯りを、ぼんやりと見ています。

昨日読んだ「サイボウズ式」の山極さんのインタビュー記事(https://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m001350.html)に、五感のうち触覚、嗅覚、味覚の「他人と同じものを共有することができない感覚」を使うことや「一緒に行動した記憶」を積み重ねることが、信頼関係をつくる上で大事とあったことが、上に書いたような「ゆったりとした、自分と周囲の味わい方」をさせているのだと思います。

さて、私は毎日「養生実践報告」として、なるべく動物記のように、自分がどんな生活を送ったかを記録しているのですが、昨日は試しに、自分の感じた触覚などがどうであったかを書いてみようとしたのです。が、そうしようとしたにもかかわらず、読み返してみてそれが何一つ書けていないことに、本当にびっくりして。

触覚を研ぎ澄ましてみた「結果」、「脳が分析したこと」しかそこには書かれておらず、触覚そのものがどうであったのかという表現が全くできていなかったのです。

私は普段、本当に前頭葉しか使っていなくて、「感覚」という、動物としての能力を全然使いきれていないのだなぁと痛感しました。せめて休日は、この能力が使えるような環境に自分を置こう。そう思いました。

ここは今、寒さに閉ざされて緑や水を楽しむことができない季節。久しぶりに何か「感覚」を揺さぶるような小説を読んだり、写真を見たりして過ごしてみます。

#エッセイ #好き #日記 #memento