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その場は、そしてそれをすることは、「自分と周囲を明るく爽やかにするか」と問うてみよう。(2020年5月24日(日))

昨日は体調が戻らない…と、昼過ぎまでぼんやり過ごした。ひたすら無気力だった。

ただ、こうして無気力でい続けることにも疲れて飽きてくるもので、ひとしきり休んだ私は、空腹で何か買い出しに行きたいという気持ちが芽生えたことに助けられ、「買い物のあといつもの喫茶店に行くことならできそうだ」と思うことに成功した。

喫茶店からオンラインの学び舎にアクセスした。簡単な日常使いのできる「慈悲の瞑想」の技の授業と、歌うことにより心を落ち着ける技の授業(これについては喫茶店で実践することはできず、聴いて感じとるにとどめたけれど)。

いずれも、骨盤をたて、肩甲骨を少し寄せ、肩をすとんと落とすところから始まる。そこから目を閉じて、口をすぼめて大きく息を吐き鼻から息を吸うことにより、コンディションを整えるのだ。

生き物の中の仏性(明るさと爽やかさ)の発現を祈り、身体で、五感で、その発現の種や芽生えのさまを感じとる。それだけで、少しずつではあるが、自分の心身が「外」との間でエネルギーを循環させ始める。

こうして少しエネルギーを得た私は、またこの前の酒場に立ち寄った。今日は武人はいなかったが、やはり落ち着いて会話を交わす数人が、互いの話を敬意をもって暖かく聞きあっている。なんていい場所だろう。

「僕は、ものごとを深く探究したいマニアだけの集まりをつくってしまうと、どんどん世界が閉じていくと感じているんだ。そこまでマニアックにしたくない、ただふわっとその場にいてさ、気分でふらっと帰っちゃう人がいても誰にもとがめられず、むしろ居心地よくいられるようなさ、そんな場所を作りたいんだ」。

横で聞いている私も、そういう場所を設計したいと思ったし、そういう場所でこそ存分に自分を表現したいと思った。

この前の神託にあったように、私は今はひとりでいる時期なのかもしれない。でも、こういう「場所」を自分でつくったなら、ひとりの居心地のよさと学びと遊びとをたのしく鼎立させ、エネルギーを循環させられるのではないかと迷い始めたのだった。

#エッセイ #小説 #日記 #memento