日常生活のリデザイン。(2020年4月30日(木))

突如襲ってくる災害に対応するには、(1)先人の体験や知見をありがたくお借りして、同じことが自分に起きたならここに逃げよう(ないしこの人に助けを求めよう)と想像し、普段から目星をつけておく、(2)いざとなったら他人も自分で自分の身を守ってくれていると信じ、とにかく自分を逃すことに専念する、という2つのことがまず大事だと、東日本大震災から学んだのですが、

本当はさらに学ばねばならないことがあって、それは、(3)上の(1)をいかに日常生活に組み込むか(話は脱線しますが、こう考えると、ダイエットのようなこと(摂取しないほうがいい食べ物を遠ざけるなど)とか、嫌な人を避けるとか、そういった普段の自分の心身を守ることについても、全く同じことが言えます。)、そして、(4)ダメージからの復興をどうするか、の2つのことになります。

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(3)については、今回の感染症予防のため、突如として、自分(内)と他人(外)との物理的距離をものすごく離さなければならなくなったことに伴う凄まじい緊張感とストレス、試行錯誤の日々を背景としながら、池田清彦さんの本から得た「生物は、絶えず内と外を決定し続けながら、その都度内と認めるものを守って、したたかに生きている」という知見(←あくまで私なりの解釈)を踏まえて考えて、

あくまで個人的な対策としてですが、本来自分の「外」のはずの他人を、自分という円の「内」に入れ過ぎて、しかもその中心部よりも外縁部への配慮を優先してきた今までのあり方をこれを機にやめ、意識的に円の範囲をぐっと狭める(「これって本当に内なの?」「内と接触させることに弊害はない?」とシビアに見定め続ける)訓練を重ねることにしました。

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(4)については、これまた池田清彦さんの本からの学び(私的解釈)である「生物というのは、「内」と認識したエリアを生き延びさせる仕組みを持つもの」ということを大前提として考えるなら、

復興とは、(1)衣食住の質的充実(これへの希望を含む)と、(2)「内(ミクロ)」と「外(マクロ)」の調和に係る実感(これへの希望を含む)の2つについて、適時適切なシナリオを描けるかどうかにかかっていて、かつ、状況に応じて柔軟にシナリオを見直し続ける仕組みを内包できるかが、よりよい成果を得る鍵になるのだろうなと考えました。

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