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競争から離れて、ただ美しく潜る。(2020年3月22日(日))

【明日朝の私に引き継ぐメモ(3/21夜)】

自分の気持ちを救うとか救わないとか、そういうことは実はどうでもいい…というか、フォーカスしてもしょうがないことで、

私は自分というネコバスにちょっと乗ってくれる好きな人とのひとときを、大切に丁寧にたのしんで、美しいものにしようと笑顔を見せていれば、それでいいんじゃないかということを思っています。

今朝は、近くの温泉がしばらくお休みということで、喫茶店が開くまでの間、海まで散歩をしてきました。

歩きながらなぜか思っていたのは「傲慢」ということ。若かった頃に「私はどうも傲慢なようだけれど、どうしたら傲慢でなくなるのか、そもそも傲慢とは何か」と悩んでいたことや、久しぶりに若い人の多い職場を近くに見るようになって「傲慢な人がびっくりするほど多いけど、なんでだろう」と思っていたことについて考えて…

「競争」が「傲慢」を作り出すんだ!と、数十年来の謎が突然解けたのでした。

負けまいと張り合うこと、自分を大きく見せなければと焦ること…それらが「傲慢」をつくる。「経験」を積んで信頼を得ている「大人」たちには見られないもの。生まれ持った人格ではなく、時間をかけて積み上げたものが、「傲慢」を削ぎ落としていく。

今度はコーヒーを飲みながら、「真摯さだけは学んで身につくものではなく、持って生まれた資質」と聞いた、その言葉を思い出しています。

すうっと自分の内なる海に潜っていく、その「深度」であったり、学びを吸収する「まっすぐな取り込み力」であったり、そういうものには「個体差」があるというのは最近の気づきで、

私は、申し訳ないけれど、「真摯さ」「深度」を持つ方々との時間を大切に…自分もまた、自分の中のこれらのことを大切に扱いながら、

自分というネコバスに束の間であっても乗ってくださる方、あるいは、自分というネコバスに寄り添ってくださる、別のネコバスさんとの時間を愛し、

あとは気ままに、好きな場所に自分を走らせたり、体調が優れない時には臆することなく甘えて助けてもらおう(ネコのようなイメージで)と、窓の外を眺めながら思っています。

#エッセイ #好き #日記 #memento