見出し画像

「理解と変化」。(2019年8月14日(水))

さなぎから蝶に変わる時、さなぎの硬い殻の中で毛虫ちゃんは自分をドロドロに溶かした上で、蝶の姿に自分を再構築し、その形ができたところで殻を破って出てくるのだそうです(そしてこのことを蛻変(ぜいへん)というのだそうです)。

…想像しただけで怖すぎる。

思ったんです。人にとっても、「変化」というものは、それがいいものであれ悪いものであれ、蛻変(ぜいへん)的な恐ろしいものであるのだと。

そう思うと、他の人に簡単に「蛻変(ぜいへん)してさっさと蝶になって飛んだらいいじゃん」と言ってのけるのは、あまりに暴力的すぎる。

でも、それでも、「あなたは蝶になれるよ」ということを伝えたいと思うことはあるし、私自身も周囲の人にそう思われていることが、実は多々ある。

エッセンシャルマネジメントスクールの学長である大久保寛司さんが、「人は正論では変わらない。人は理解された時に、初めて変わる」とおっしゃっています。

数日前、とある方が私に対し、「なぜ変わらない!」と思ってくださっていることを知り、そこからまさに蛻変(ぜいへん)の苦しみを覚えていたのですが、

昨晩、先ほどの寛司さんの言葉を思い出し、これをちょっとひっくり返して考えてみたのです。

私が変われずにいるとその人に思われているのは、「その人が伝えたいと思っていることをどこまで理解し、そのうちのどこまでを実践しているのか」を理解してもらう努力を、私があまりにも怠っていたからではないかと。

このような努力をすることなしに、「その人の言うことは正論だ」と、そのことばかり伝え、その人をある意味「正論」で苦しめていたのではないかと。

#エッセイ #好き #日記 #memento #EssentialManagementSchool #エッセンシャルマネジメントスクール