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私のこと③【スピード結婚ができたのは未来を決めていたから】

こんにちはyayoiです。

「2歳おきに3人兄弟を産みたい」と言う目標を掲げながら、第一子を未婚で産み、シングルマザーになった私。

5年後の今、セラピストと結婚して、
4歳と2歳の娘と、第三子妊娠中♡(目標通り!)

第一子妊娠〜子連れ婚活で結婚するまでを、3回に分けて綴っています。

私の事①【子どもが苦手な私が、未婚の母になったわけ】

私のこと②【切迫気味+未婚の妊婦が医者の反対を押し切り2度の海外旅行】

自分の人生を自分で歩む、勇気やきっかけになったら嬉しいです。

実家での子育ては不安だらけ

産後は実家の一階、リビングの隣の6畳の和室を、一部屋使わせてもらって、生活を始めました。

実家にいた頃の部屋は、私が家を出ると同時に用途を変え、私の部屋は無くなっていました。
荷物全てを持って引っ越し、全てを持って子どもを連れて帰ってきました。

でも、ここ(実家)はあくまでも借り暮らし。
ここは私の居場所ではないと感じていました。

娘の名前を決め、出生届を出しに、役所に行く。
すると『一家の主人として、今の家族を抜けて、私が世帯主になる』そんな書類を出したからかもしれません。

父にも「いつ出ていくつもりか」と聞かれていたからかもしれません。

初めての子育てが、不安でした。

実家にも少額ながら家賃を払い、食事を担当して、なるべく自立した形で生活を始めました。
一年くらいで、実家から出る先を探すと宣言もしていました。

正直、実家で母と二人でする育児は、とても恵まれたものでした。
きっと地方で、実家と離れて子育てをしている人より、ずっとずっと楽をしている。
だから、弱音は吐けない。感謝しなければいけない。反対を押し切って、産むと決めたのは私。迷惑をかけてはいけない。そう思っていました。

お宮参り、お食い初め、初節句にハーフバースデー。
イベントはなるべく、全てやりたいと思い、やっては写真を撮りました。
「一人親だからできなかった」
「やってもらえなかった」と思われたくない
と言う、意地みたいなものもあった気がします。

側で、一緒に娘の成長を喜んでくれる、母がいてくれる。それはありがたいこと。

でも、、

本当に人生をかけてこの子の成長を見ていくのは、私だけなんだ。
何かあった時、彼女の身内は私だけなんだ。
私が頑張らなくては、しっかりしなくてはいけない。

私が決めて、産んだ。
その責任を取らなければいけない。

私は私を追い込んでいました。

借り暮らしの実家で、ママ友と言うものを作らず、遠くに住んでいる子供のいる友人の家に、子連れで泊まりに行ったり、していました。

子どもを産むと決めた時に
当分「着物が着られなくなってもいい」「旅行に行けなくなってもいい」と思ったのに、
・産後2ヶ月のお正月には着物を着て、
・生後4ヶ月の娘のパスポートを取り(使ったのは一年後になってしまいました。笑)

一歳になるまでに、バスツアー、一泊温泉旅行、友人の結婚式2回、新潟の友人のご実家で3泊、宮古島へ4泊、北海道の札幌友人宅に数泊してから稚内や利尻島・礼文島ツアーに参加(約10日間の旅行)、埼玉の実家から神奈川県の友人宅へは、何度泊まったかわかりません。

ただひたすら、何もしていないのが怖かった。

ダブルワークで休みなく働き、働いた翌朝から旅行に行き、帰った日の夜から働く。
そんな生活をしてきた私にとって、子どもと家にいる生活は、不安でしかありませんでした。

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家を出ていたかった。

元彼(娘の遺伝子上の父)と別れ
婚活に向かう

娘の遺伝子上の父(元彼)は、時々音信不通になりながらも、出産報告後には連絡が取れていたので、産後に顔を見に来るのを待っていました。
きちんと別れてはいませんでした。

年末を期限として「それまでに娘に会いに来なければ、私は他の人を探す」と宣言し、娘が生後2ヶ月になった年末で別れることにしました。

きっちり区切りをつけたいと思って、期限を切ったので『来なくてガッカリする』みたいな事もなく「娘をくれて、ありがとう」という気持ちいっぱいでした。
(私の代わりに友人達が、いっぱい腹を立ててくれたので、それで充分でした)


2017年の年始(生後3ヶ月)から「2歳おきで3人以上の子を産みたい」と言う目標に向けて動き出しました。友人にも「恋人探しをしている。いい人がいたら紹介して欲しい」と連絡しました。

体型を戻し、男女の集まるイベントや、結婚式の二次会にも参加しました。

完全母乳なので、娘はどこに行くにも抱っこ紐で一緒。
子連れの私の側に集まるのは、若い女の子ばかり。『子どもを連れた人は、一般的に恋人の対象にはならない』ということが、よくわかりました。

【子連れでも結婚する対象】として、私をみてくれる人とだけ会いたい。

むしろ、それ以外の人と会う時間は、娘を連れて動く私にとって、疲れるばかりで無駄。
娘の時間も使ってるのに、そんな意味のない時間は要らない。

どうしたら『子どものいる私を知ってくれた上で、恋愛対象としてみてくれる人』と出会えるんだろう、、

そこでインターネットで婚活を調べ、スピードデートや子連れでの婚活パーティーなどを探していました。

インターネットのサイト内での出会いは、当時あまり良いイメージがありませんでした。
高校の時には、インターネットでの出会いは『出会い系→援助交際』で気をつけるように言われていましたし、
女性無料のマッチングアプリは、女の子の<サクラ>がいっぱいいたり、マルチのイメージが強くありました。

それでも、男女ともに有料のサイトなら、結婚に向けて本気の方と出会えるかもしれない。
そう思って登録をしたのがmuch.comというサイトでした。(外国人との結婚を視野に入れて考えていたので、その時に外国人利用者の多いサイトと言うのも選択する理由でした)


有料登録するのは1ヶ月と決めていました。
1ヶ月だけ子育てより、婚活を優先する。
それ以上は長引かせない。

目の前で、出来ることが増えていく娘。
どんどん成長し、2歳差で産める期限が近づいて来る。

私は焦っていました。

私の目標の『2歳差で3人兄弟にしたい』を叶える為に、自分の中で婚活の最終の期限を決めていました。

年末までに、結婚に向かう人を一人に絞る。
それまでに出会える人が、ご縁のある人。その中で選ぶ。
どの人も選べなかったら婚活は一旦止める。
(または選んだ人に断られたら、そこでもストップする)
その場合は『2歳差で3人兄弟』という目標も、考え直して『一人でも働いて育てていく』

「無謀な目標」だと「妊娠は神頼み」だと分かっていました。

それでもそれに向けて、自分に出来ることをやりきろうと思えたのは、娘を一人で産むと決めた時に、沢山悩んで迷って、それでも覚悟を決めたから。

産むと決めた時、FBにも投稿しました。

この先 誰に 何を言われても
絶対の自信を持って
『良かった』って
きっと永遠に言える

どんな結果になっても「それで良かった」と言うと決めていた。だから、今、出来ることをする事に、恐怖はありませんでした。

結果は考えても分からない。
ただ、今、出来ることをする。
しなかったら後悔する事(=行動をしないこと)をしない。

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彼女(長女)が、今の旦那様を連れてきてくれました。

私を好きかどうかはどうでも良い。
私の目標に協力してくれて、娘の父になってくれる人と結婚する。

そう決めていたので、好かれる事より、私の目標をまず先に伝えるようにしていました。

結果、とても面白い人と結婚を決めました。

私が30人以上と連絡をして、その中から絞って、年末、クリスマス直前に自ら「結婚を前提に付き合いを進めていきたい」と伝えた相手。

沢山お会いした中でも「1番、私を好きじゃ無さそうな人」を選びました。

結果、やはり良かったと思っています。

「私に好かれたいために、子どもの優しい人」よりも、安心して一緒にいられた。
自分が素で、言いたいことがちゃんと言えて、娘を完全に任せられる相手。

それが『セラピストとしてまだ独立準備中』の旦那様でした。


初めて会ったときにも【子連れ+妊娠したい私】と【安定した職に就いていない彼】
今は私達はタイミングじゃないだろうねと、話したにも関わらず「子連れで山に遊びに行かないか」と誘ってくれる不思議な人でした。

「結婚に向けて、お付き合いをして行きたい」と伝えた後、
この先改めて「互いにどう生活をして行きたいのか」具体的にノートを広げて話し合いをしました。(これが我が家の『家族会議』の原型になります)

それで、年始にはそれぞれの両親へ、挨拶に行きました。彼は入籍の予定日まで決めていました。(まだ手を繋いだこともない状態で。笑)

1月末、2月と泊まりがけの旅行をし、一緒に住む家を探して、3月に突然の約1週間のハワイ島旅行を経て、3月末には同居をはじめます。

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初めに伝えていたから、このスピード感で進めたのだと思います。

ジェットコースターのように、ものすごい勢いで進み、楽しい反面、気持ちが追い付かず不安もありました。
それでも「自分で目標に向かって、行動している」その充実感がありました。

7月に彼が決めていた、縁起の良い日に入籍をし、妊娠が発覚。
2月末には第二子を出産。

自分で決めて、行動して人生を創っていく。

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それをさせてくれたのが、長女の妊娠でした。

END


最終的な決定を、ずっと誰かに委ねていた私。
そこには『厳しめな母の影』があり、それに反発して飛び出した昔の私がいて、自ら決めたいと強く望み、ここまで走って来ました。

実はこれがまだ『仮の目標に過ぎなかった』と第二子出産後に気付きます。

それはまた、新たなストーリーで書きたいと思います。
ここまでご覧いただき、ありがとうございました。

自己紹介part②はこちら


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