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出産の記録

予定日

午前中は健診。子宮口はまだ1cmほど、このまま本陣痛が来なければ7日後に入院して誘発することになった。
午後、玄関の階段で足を滑らせて転んでしまった(雨で滑った)。胎動はあったが念のため病院へ。午前中に診てくださった先生がエコーで確認し問題ないと言ってくれた。モニターで暫く様子を見たが、20分間隔でお腹が張っていると助産師さんが教えてくれた。
夜、生理痛のような痛みを感じる。お腹の張りが定期的になっている気がする。病院に電話をしてみたが、寝られるほどの痛さであれば暫く様子を見るようにとのこと。翌朝も続いていたら病院にまた連絡をと思っていたが、朝になると不思議と痛みがおさまる。いわゆる前駆陣痛…。

予定日の後

日が暮れるとお腹の張りに加えて痛みを感じるようになった。痛みが強くならないあたり、やはり前駆陣痛のようだったので、とりあえず寝るようにした。やはり夜が明ける頃にはスーッと痛くなくなっていく。
前駆陣痛は日ごとに痛さが増していたものの、数日過ごすと慣れて寝られるようになった。でも昼間もお腹が張ることがかなり増えた。

入院

本陣痛が来ないまま入院へ。子宮口はまだ開いておらず、誘発の第一段階としてバルーンを入れる。誘発剤は翌日かららしい。
内診で、予定日に転んだ時にできた脛のアザに驚かれる。この日の担当もちょうど転倒した日に診てくれた先生だった。
出産は明日以降かなと思っていたものの、夕食の時間くらいからお腹が痛くなってくる。間隔はまちまちのようで、しばし様子見。夕食に付いていたくるみパンが美味しかった(入院中のパンの中で一番美味しかった)。
夜になって、痛みが増してるように思ったが、間隔が整わないと本陣痛ではないらしい。看護師さんが定期的に様子を見に来てくれるので安心だった。自宅で過ごしてた夜とか、一人で居たタイミングでこうならなくてよかった。22時くらいはyoutubeで好きなチャンネルの配信を見て気を紛らわしたりしていた。
午前0時半くらいに、看護師さんが「間隔が定期的になってきてる。何時から?」と聞きにくる。が、それまでは「間隔はそんなに厳密に見てなくていいから、眠れそうなら眠って」と言われていたので全然時計を見ていなかった(目を閉じてはいたが痛くて眠れなかった)。適当に「0時くらい」と答えたら、それが本陣痛開始の扱いになった。そんなものなのか。なんだかんだで必要そうな荷物を持って陣痛室へ移動する。

陣痛

陣痛室で横になる。電気を消して薄暗い状態。分娩も同じ部屋でできる病院だったので、いよいよか………と言う気持ちになる。
担当の看護師さんは居たけど、部屋の中では基本一人だったので心細かった。
お腹にモニターを付けると、自分より速い鼓動の音がスピーカーから聞こえる。子の拍動の音。痛みも増してきて、自分で腰をさすりながらやり過ごす。
看護師さんが時折内診をして、子宮口が何センチか教えてくれる。痛みは増してもなかなか開いておらず絶望を覚える。いつまで続くのか、どうなったら事が進むのかが分からず、ほとんどの時間を暗い部屋で一人ひたすら耐えるほかない。陣痛が来る時は子の拍動の音が変化すると気付いてからは、ああまた来るなと構えながら過ごす。
午前3時過ぎ、立ち合いのため夫を呼ぶ。陣痛の度に腰をさすってもらう。助産師さんが夫へのレクチャーのために腰をさすってくれたが、本当に楽になるのでずっとそうしていて欲しかった。
その後は夫と陣痛を過ごす。気持ち悪いなとか、破水っぽいなとか、トイレに行きたいとか、かなり痛い(当たり前)とか、その度に縋るような気持ちでナースコールを押してしまった。が、助産師さんは様子を確認し、まだだなと判断すると私を巧みに宥めて戻っていった。一人ではなくなったので不安はマシになった。夫は休まず腰をさすってくれた。
次第に恥骨や肛門の辺りにかかる圧が強くなる。「子が降りてくる」という感覚はこれかと認識する。
ある時から勝手にいきんでしまうようになる。「分娩が近づくと自然にいきみがかかる」と聞いたことがあったが、まさにその通りで、まだ我慢してと言われても耐えられなかった。この時間が体感で一番長くて苦しかった。
疲れてきたのか陣痛の合間の1〜2分は意識が飛ぶようになる。たぶん寝ていたと思う。カーテンの向こうの窓が明るくなってきて、ろくに眠れず夜明けを迎えたことを実感する。前日の雨は止み、快晴の朝。

分娩

もういきみを我慢できないと看護師さんに泣きついて、状態を確認してもらい、分娩の準備が始まった。分娩への緊張よりも、やっと進められるという安堵が大きかったと思う。
部屋の電気をつけて、分娩の体勢へと変え、先生が加わる。看護師さんももう1人加わる。カーテン越しに日光が入り、完全に朝が来たことが分かった。早朝で何だか申し訳なく、病院が対応してしてくださることがありがたいなと思った。
そこからは誘導してもらいながら圧をかけるが、子は簡単には出てこない。モニターのアラームが鳴って、子の酸素が足りていないと聞かされる。楽器で鍛えた腹式呼吸も、必死すぎて思い出せない。途中から人生初の酸素マスクを着ける。とにかく吸って吐いてアラームが止むのを願う。友人は3いきみで産まれたと言っていたが、そんなことあるのかと信じられなかった。
何度目かの波でもまだ出てこなかった時、先生がちらっと「吸引」と言ったような気がした。子の酸素濃度を警告するアラームも時折鳴っている。「吸引って子の頭が引っ張られて形が変わるのではなかったっけ…というか吸引が視野に入るほど切羽詰まった状況なのか?」と、なんだかまずいような気がして、いよいよ終わらせねばと思った。その後の波で引っ掛かりが取れたように一気に出てきた。頭さえ通ってしまえばこんなにすぐ出るのかと思った。

子との対面

大泣きして産まれてくるものだと思ったが、そうでもなかった。声を上げているのは聞こえて、よかったなと思いつつ、妙に落ち着いた赤子だなと思った。私は放心で涙も出なかったが夫は号泣していたらしい(放心しすぎてよく見ていなかった)。
胎盤の排出や分娩後の処置をされている中、子も部屋の一角で看護師さんから何かの処置をされていた。声も聞こえたが、手足が動くのを視界の端でずっと見ていた。あの手足がさっきまで腹の中を蹴っていたらしい。
子の体重を測った看護師さんが3,600gと教えてくれる。大きいねとその場がざわつく。
子が自分の方へ連れて来られたが、角度の関係で顔はよく見えなかった。初めて触れて、当たり前のようだが「温かい、人間だ」思った。子は泣かず、「はっくしょん」と文字通り発音するくしゃみをした。髪は羊水(たぶん)や血で固まっていた。手があまりにも小さくて驚いた。
処置や後処理が落ち着いた後、夫が部屋のカーテンを開ける。真っ青な朝だった。

所感など

  • 入院中に陣痛が来たのが幸運だった。日中は家で一人で過ごしていたので、もし陣痛が来たら、病院に行くタイミングが分からず戸惑っていたと思う。

  • 「出産=分娩が痛い」と思っていたが、分娩より陣痛の方が痛いし辛かった。誘発剤を使っていたらどうなっていたのか…

  • 一晩かかり、子も大きい方だったが、どうやらスムーズなお産だったらしい(あんなに辛かったのに??)。

  • 子宮口が開かないと何もできない。開いてからは早かった。

  • LDRのある病院を選んでいてよかった。いざ分娩となったタイミングで移動できなかったと思う。これ目当てで病院を選ぶ価値がある。

  • 立会が再開していて(コロナ禍では禁止だった様子)本当によかった。私にとっても安心材料になったし、夫にとってもターニングポイントになった様子がある。

  • 分娩までも当然身体は痛いが、産後もかなり痛い。座る姿勢が痛い。そもそも姿勢を変えるのが痛い。何でもかんでも痛い。感覚として、出産が終わっても陣痛がいつまでも終わらない。

  • 助産師さんという仕事は本当にすごい。


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