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雑記 54 オジギソウ再び。眠りの不思議ー体内時計

オジギソウの栽培は、小学校の理科の教材に取り入れられているらしいが、私は記憶がない。アサガオやヘチマは辛うじてやった記憶があるが、育てて、先生は何を知って欲しいと思っていたのだろうか。
植物は、種を蒔き、水をやり、日に当てれば育つ、ということか。
発芽して、育ち、花が咲いたら実がなり、種が出来る、その種を蒔いたら、また、、、という無限の生命のサイクルのことか。

オジギソウの種が、しまじろうの「こどもちゃれんじ」に教材として付いてきて、その種の余りを貰ったのが、私の、今更ながらの、植物の生長観察、となった。

6月の初め、種を撒いて、ほどなく、小さい小さい双葉が出た。

水をやらねば、と思い、柄杓で水をかけたら、そのかそけき双葉は、あっという間に流れ、姿を消してしまった。ほとんど流れの力がないような水やりでも、耐えられなかったようだ。その中で、頑張ったものが、再び立ち上がった。

そして3ヶ月経って花が咲いた。

じゃ、後は、種がどうやって出来るのか、ということだろうか。

いやいや、ここからが、不思議発見の旅。

オジギソウは、多年草だそうだが、寒さに弱いので、日本では一年草の扱い、だと言う。
何とか年越しをさせられないものだろうか、と思い、少し寒くなってきたので、家の中に入れた。

オジギソウの葉は、触れると見る見る閉じて、葉の軸も下に下がる。
お日様とともに起き、日が暮れたら眠る。そんな光を受けて、開閉する葉か、と単純に思っていた。

ある早朝、見ると、暗闇の中で、葉が開いていた。
そんなことも知らなかったのか、と言われるだろう。気がつかなかったのは私だけの気もする。
夜寝る時は、葉は閉じるが、葉の軸は、下がらない。下がるのは、何かに接触して刺激を受けた時だ。
朝は、雨でも、晴れでも、だいたい決まった時間に、葉は開く。ねむの木なども同じだが、確かに大雨の日中、葉が閉じているのは見たことがない。

そんなことも知らなかったのか。
就眠運動の記録は、ダーウィンどころか、アレキサンダー大王の時代にまで、遡れるそうである。それを、生物時計、と言い、体内時計とも言う。
体内時計のメカニズム解明の研究をした科学者は、2017年ノーベル賞を受けている。

気がつかないよりはマシだけれど、私は、他人が不思議と思ってから、2350年近く遅れて、やっと不思議と思ったのである。

就眠運動をする植物を、日の光が届かない洞窟などに置いても、ちゃんと時は刻むそうなのである。
こんな小さな植物が、身体の中に時計を持ち、起きたり寝たりすることに、2350年遅れで、感動した。
さて、人間は、光の届かない洞窟にいなければならなくなった時、やはり、オジギソウのように、昼夜のリズムを保つことが出来るのだろうか。
光の届かない洞窟から出られないと思うだけで、胸が苦しくなる。太陽を崇めた人の気持ちも分かる。
時差ボケは、体内時計が、不規則になった昼夜に順応出来ないから起きるが、夜か昼か、太陽の光で判断しているからだろう。

家の中に入れたオジギソウが、思いの外人間に近い存在であることを知った。
地震を感知して葉が閉じる、と言うことも、2000年以上の経験上の言い伝えなのだろう。

キャーーー‼︎
種よ、種。サヤが出来て、中にうっすらと種の形。
そりゃそうよね、マメ科だもの。

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