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雑記 516 カキノキ

今日昼間は陽射しも暖かく良い日だった。
空はどこまでも青く、眩しい。
背中に陽を受けて、心地よい暖かさに身を委ねていると、カァーカァーとカラスが鳴き、見上げたところに大きな柿の木があった。
高さは20メートル以上あるだろうか。

あまりにもたくさんの実が成っていて、直ぐに柿の木と分からなかった。

近寄ってみると、本当にたくさんの柿が成っていた。千なり瓢箪という語かあるが、千なり柿という語はある?
この柿の実、誰に収穫されることもなく、たまにカラスやヒヨドリの餌になって、後は落ちてしまうのだろうか?

確かに柿は沢山の実をつける。

実家にも柿の木が2本あった。
柿の収穫をする時は、枝切り鋏を使って実を取った。勿論木に登ることもあった。
高さは5、6メートルのたいして大きな木でもなかったが、収穫した実はダンボールに入れるといくつもになった。

取ったからと言って、柿は食事の代わりにはならない。一人では食べ切れない量。

枝のついた実、葉のついた実、
そんな柿を、東京まで宅急便で送り、バス停の友人の店の前に置かせてもらい、
「ご自由にお持ちください」
と札を添えた。

「やぁ、懐かしいなぁ」
「ほんとにもらっていいの?」
「田舎を思い出す」

皆、笑顔になって持って帰ってくれた。
なくなると次の柿を補充したが、何日かは持つくらいの量はあった。
残った柿の葉が、たまらなくいい香りがして、それは捨てずに、持ち帰り自分の家の玄関に置いた。
そんなことが何年か続いた。

我が家の柿

もう実家はなく、新しい家が建った。
お洒落なガーデンにはなったが、これまであった庭の木々は一本も残っていない。
実の成る木は、柿の木のほか、キンカンも橙もあった。
時々、そのなんということもない平凡な庭が懐かしくなる。

柿が懐かしくて、東京の我が家にも柿を植えたのだが、
「桃栗三年柿八年」
と言われるように、実がなるようになるまでには時間がかかるようだ。
8年などとっくに経っているが、我が家の柿は、まだまだ、うんともすんとも。

いつか花が咲き、小さいながら柿の形をした実が形作られ、それが大きくなって色づく日をたのしみにしている。

鳥が鳴き交わし、車の音もたまにしか聞こえない。
そんな今日の長閑で平和な午後、柿の木を所有している人の建物の入り口には、クリスマスリースが飾られていた。

ガラスに柿の木が映り込んでいる

素朴だけれど豪華なクリスマスリース。
味わいがあって、私は好きだ。

クリスマスまで後2週間。

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