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先輩、ちょっといいですか5【怪談】

 自宅の最寄り駅近く、果たしてどんな店なのだろうと気にはなっていたものの、常に賑わいをみせており、かつ、チェーン店ではなかったため、やや立ち寄りがたく思っていた大衆居酒屋。

 ある夜の会社帰り、意を決して、とまではいかないがそれなりの勇気をもって暖簾をくぐる。店を切り盛りしていた女将さんが、一見の独り客にも拘わらず、温かな笑顔で出迎えてくれた。

 「本日のおすすめ」の謳い文句に誘われて注文した酒と肴はそれこそ「文句なし」の逸品揃い。板場を仕切る大将の腕前も確かなこの店、価格はもちろん大衆価格。なるほど、連日連夜の繁盛ぶりも頷ける。

 そう間を置かず通うようになってのち、気のいい常連さんから笑い話めかしてその話を聞かされたときも、さほど驚くことはなく、ましてや怖がるはずもなく、納得感だけがそこにあった。
 
「カウンターの一番奥の席、いつもコップ酒が置いてあんだろ? あそこな、たまにだけど、この店の常連だった○○さんが座ってんだよ」
 
 この体験をお聞かせくださったのは、三十代の男性Yさん。怪談話やホラーコンテンツへの造詣はそこまで深くなかったが、大声自慢の常連さんが聞かせてくれたような話は、いつかどこかで耳にしたものとよく似ていた。

 要は、亡くなった常連さんの指定席ですよ、みたいな怪談である。やれグラスに注いでおいた酒がいつの間にか減ってるだの、赤ら顔をほころばせるごま塩頭の老爺を見ただのといった差分めいた類話は、もしかすると日本中にあるのかもしれない。

 小学生時代に友達同士で噂し合った学校の怪談。それの大人バージョンみたいなもの。

 いや、どちらかと言えば座敷童に近い存在なのだろうか。なんせその怪談が原因で客足が遠のくことはまったくなく、むしろ「幽霊になっても通いたくなる気持ち、めっちゃわかる」なんて女性客同士がキャッキャと笑い合ったりするほどの、ほのぼのエピソード扱いなのだ。

 だから、ほんの思い付きだった。思い付き程度の軽いノリで、Yさんは同僚のZさんに声をかけた。
 
 Zさんは、Yさんの勤め先において「ガチの霊感持ち」であると評判の男性社員だった。そんなZさんを、店で囁かれている話は一切伏せた状態で飲みに誘ったのだ。
 いうなれば個人的な心霊検証である。あまりいい趣味とはいえない。しかしYさんはそこでZさんが何を語ろうとも、また、騙ろうとも、自分の内だけでおさめておくつもりでいたという。単純に個人的な興味だけがそこにあった。
 
 店の噂によれば、件の「今は亡き常連客」というのは四十代後半ぐらいの男性。庶民的な居酒屋へ足繁く通うようにはあまり見えない、いわゆるイケおじだったらしい。
 もちろん大衆酒場にもそういった常連客は存在するだろう。しかしあくまでも店のムードに引っ張られてのことであれば、コップ酒の置いてあるカウンター席を目ざとく見つけたZさんが「枯れたじいさんが笑ってる」とか「くたびれたリーマンが背中丸めてる」などとしたり顔で語ったりすれば、それは類推、当て推量。Zさんの霊感とやらも当てにならないということになる。

 あの居酒屋がお化け界隈でも人気店であり、彼らの中で二時間入れ替え制を導入している可能性も否定できない。しかしその姿を目撃したという者達が口を揃えて「〇〇さんだった」と証言しているということは、やはり例の指定席は「〇〇さん専用」と判断して差し支えないだろう。
 
 YさんはZさんと連れ立って店へ入った。そもそも繁盛しているので、何故わざわざ電車に乗ってまでこの店に? という疑いもさほど持たれないはずである。お互い気楽な独身同士、二軒目は俺の家でそのまま潰れちまってもいいしさ、といったことも移動中に話してある。Zさんもにこにこと嬉しそうにしていた。
 元気いっぱいの女将さんに案内され、ふたりはテーブル席についた。そして「本日のおすすめ」を軸に注文を入れ、まずはお通しとビールで乾杯。あいにく該当のカウンター席は死角となったそうだが、Zさんの霊感が「マジモン」であれば何かを感じ取るはずだとYさんは考えた。事実飲んでいる最中もZさんはお手洗いに立つなどして、カウンター前を通ることもあった。
 
 そんなこんなで二時間ほど酒と肴を楽しんだ。会話の内容はといえば、勤務先で起きた笑い話とささやかな愚痴、最近ネットで拾った話題、互いの趣味などなど。なんか普通にサシ飲みしちゃってんなあ、と、まずまず酔いの回った頭でYさんが考え始めた頃、Zさんはグラスに残ったハイボールを飲み干して「じゃ、そろそろ」とYさんを促した。
 酒の席のボルテージは最高潮、とまでは言えないが、まだ下り坂に差し掛かったあたりである。Yさんはここで察するものがあったそうだ。

 あ、こいつ、やっぱり何か感じ取ってる。この場では口にできない話、しようとしてる。
 
 大将の威勢の良い声と女将さんの笑顔に見送られふたりは店を出た。そして電車内の雑談に添うかたちで、Yさんの住まいに向かう道すがらコンビニへと立ち寄る。
 しかしZさんは水しか手に取らない。Yさんが疑問符を表情と首の角度で示すと、Zさんは「いや普通に明日も早いだろ」と言って笑った。仰る通りの返しであったため、Yさんも彼に倣いお茶とヘパリーゼを買って、店の前で立ち話をすることにした。
 
 Zさんは、まず店のことを褒めたそうだ。
「居酒屋としては満点に近い。俺も近所にあんな店があったらいいなと思うし、おまえが贔屓にする理由もわかる。けど、できれば河岸を変えた方がいい」
 そして、こう続けた。
 
「店の出入口に、とんでもなくタチの悪い『女』がいる」
 
 Yさんは思わず声を上げて驚いた。それは本当に素の反応だったので、おそらく自分がZさんへ少し意地悪な検証を仕掛けていたことには、きっと最後まで気付かれなかっただろうと振り返る。そしてそこから先の話にも、震えることしかできなかったそうだ。
 
「出入口にいる女、見た感じ美人風なんだけど、極悪だよ。カウンター席の端に座ってた男前のおっさんにドロッドロした想いを向けてる。一方的に惚れ込んでる」
 
「どんだけ極悪かっていうと、男前のおっさんの命、終わらせたくらい」
 
「で、そのまま暗い場所へ引きずり込もうとしたんだけど、おっさんはギリのところであの店へ逃げ込めた。そもそも常連客だったのか、それともあの店に入れば助かるって思ったのか……あそこ、おっさん以外にも『そういうの』何人かいて、皆楽しそうにしてる。お客さんが飲んで騒いでしてる賑やかさと、お店で働く方達の人柄あってのものだな。ほんと、いい店だと思う」
 
「そのおかげで、って言うのかな。あそこまで最悪のやつは、そういう陽気なパワーみたいなもんに阻まれて入店お断り状態で。店の出入口が開く度に、悔しそうに中を覗き込むくらいしかできないんだ」
 
「けどな、今はおっさんしか見えてなくて、ほとんど正気を失ってるあの女も、いずれ気付くときがくると思う。自分とある程度まで波長が合う人間、お客さんが現れたら――そいつの背中にべったり貼り付いて、何ならそいつの『中』へ潜り込んで、おっさんのところまで行けるかも、って」
 
 Yさんの酔いはお茶もヘパリーゼも必要としないほどに醒めていた。それどころか青ざめてすらいたのであろう、Yさんの顔色を目にしたZさんは「ごめんな、誤解してほしくないんだけど」とやや慌てた様子を挟んでから、話を続けた。
 
「普段のおまえなら、あの女と波長が合うことは決してない。けど俺らリーマンは、つらいことがあれば酒を飲むだろ? 暗く沈んだ心どころか、もっとドロッドロしたものを抱えて、抱えきれなくて、ああいう明るい店に救いを求めたくなる夜があるだろ? 俺が河岸を変えろって言ったのは、そういう意味でなんだ」
 
 進まない水のボトルを傾けつつ、Zさんはこう結んだ。
 
「おっさんには同情しかないし、暖簾の下に居座られてる店も気の毒過ぎるし、いつか『宿主』になる人が現れるかもしれないと考えると心底いたたまれない。けど俺には、どうすることもできない」
 
「それくらい、アレは、無理」
 
 Yさんがあの店へ行く機会は少しだけ減った。決して、怖気づいたわけではない。
 つらい気持ちで会社を後にした日はまっすぐ帰宅し、買い置きの酒をお湯割りでいただきながら、好きな映画や笑える動画で己を癒すことにしているのだという。
 これは自分自身のためでもあるし、店のためでも、あの「常連さん」のためでもある。
 せめて、自分だけでも。
 
 
 
「……はぁ……」

 先輩の唇から、感嘆の溜息が漏れる。
 よっしゃ。心の中でいかつめのガッツポーズをかました。

「どうでした先輩。ご満足いただけましたでしょうか。お癒されいただけましたでしょうか。胸の内に、ほの明るい赤提灯がともりましたでしょうか」
 
 軽く握った拳を顎先に押し当てて、先輩はフム、と首を傾げる。

「……前も言った通り、価値観や感性のすり合わせについては、いずれ場所と時間を設けるわ。その点についてはね、先送りで構わないんだけど……」
 
 おやおやこれはこれは。きっと溢れんばかりの感想が出口付近でつっかえているに違いない。大丈夫です先輩、次の講義室は予鈴が鳴ったらカフェを出るくらいで余裕なので。

「……なんか……おっさんぽい話だなって」
「んなっ」

 なんですと。

「い、いや、あんたの持ち味である『しんどさ』は健在。けど今回それを上回るおっさんくささが香り立って……うん、結果、頑張れリーマン、って気持ちになれたな。あれ? 癒しってこういうこと?」

 たぶん、ではなく絶対に違う。どうしてこうなった。
 やはり「提供者」は、厳選する必要があるのだろうか。

「……勉強になりました、先輩」
「あんまり学ばなくていい分野だけど。……ん? そろそろ行く?」

 私の動きに合わせ、先輩が飲みかけのカフェラテを手に取った。

「はい。入室が遅くなると前方の席になるので」
「学ぶべきとこできちんと学んどきな。また後でね」

 頭を下げてカフェを後にする。スマホを確認。予鈴までは残り二、三分といったところ。
 まあ、出るだろう。今日は在宅だって言ってたし。
 
『――もしもーし』
「おつかれさまです」
『おう、仰る通りだよー。どした? 講義は?』
「ちゃんと出ます。居酒屋さんの話、読んでくれた?」
『読んだ読んだー。しかし何だね、いつもながら改変を加えてくるねぇ君は。あの居酒屋へ酒代持参でやってくるのは、病死した常連客の『生きてる』奥さんだよ? 旦那さんが心ゆくまで楽しんだら、一緒に家へ帰る約束をしてるんだよ』
「そんなつらい話書きたくない」
『んー、まぁその辺は任せるけど。あ、でも『イケおじ』って表現はどうかなぁ。いずれ古くなるよ。あそこは僕が話した通り『伊達男』にして』
「そっか、このあたりの匂いが消えなかったのか」
『んー?』
「おっさんくさいってさ。パパ」
『なんですと!?』

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