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儀式でもあり、奥底に潜り込むような

noteが久しぶりだからか、書くことにおいてとても慎重になっています。

以前はすらすらと書けた文章が、言葉が定まりきらない感じ。だからこそ、このnoteという場所に降り立った体験こそを認めてみるのも悪くないのでは?と思い立っての今です。

私へのLetterとして書き綴ってみようと思います。


* Prelude


前よりも慎重なのは、書くことで、自分の思惑のすべてをそこに表してしまうのが怖いから?

その言葉は、どんな感情で描かれたものか?

思い通りに起伏を表現できているか、相応しい言葉になっているか、自分に嘘はついていないか。

新しい服を着たときには居心地のいい着方を探るように、服との適切な距離感を図るものです。

別々のものだった2つが合わさってお互いにちょうどいい居心地を見つけていく過程。そんな状態。

書くことは決めることの連続なので、その「迷っている」という心情さえも言葉にする方法もありますが、するすると躱しながら言葉と向き合うのはなんが嫌だなと感じたのです。

はっ!とし、どのようにして言葉と向き合うか?の本番なんだ、と思い知らされました。

突然の大舞台。まるで一つの劇を繰り広げるように、クライマックスへ向けて筆を走らせる。自分自身が向き合おうとしているその感情と、疑問と、即興で繰り広げられる演劇。

だからこそ、「書き終えたい」と思って書き始めたのに、いつの間にか「書き終えたくない」と思ってしまう。

ずっと踊り続けたい。書く時間は、自分自身に向き合う時間なのだから。


* Finale

決して「誰かに共感してもらえる記事を書きたい」というゴールではないんだろうなと思います。

そんな意志がないというよりは、心がそちらの方向性ではないと仰っている。

自分の心の奥底に潜って潜って潜って、深海の暗闇まで潜って得た学びであり素直な感情を、こうして共通言語として誰にでも伝わる形で言葉に認める。

まるでダイビングのような体験。

そうすることで、誰かの深い感情に繋がるときが来るのではないか?と願いながら。

そう。生まれるということに近いのではないかと思ったのです。

新しい名前をもって生まれる。過去の自分を取り戻すというよりは、まだ気づいていなかった心の奥底の感情を呼び覚まし、名前をつけてあげる。

昔はすらすらと向き合っていた書くという体験が、今ではこんなにも特別な体験になりました。

書くって不思議。日常的な営みに見えて、旅行をしたように新しい自分になって帰ってくる。非日常な体験。

今日は一潜りを終えた、この辺りでおしまいにしようと思います。


* おまけに

最近はLetterを書くときに気持ちとリンクする作業用BGMを選んでいます。日常から非日常にトリップするためのおまじない。

今回はこの曲です。

まっさらな命で、この感情のまま生きていくということ。いいわるいではなくて、全部を抱きしめて生きていくということ。

どうか、同じように潜っている人の隣で響く言葉となりますように。

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