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手紙に夢を。

文通をしてみたいな。
指を栞にして本から顔を上げる午後。

だってだって。

その本の一説に。

“しゃべる言葉は、どんどん流れてしまうけど
文字になってやってくる手紙は、その人自身の近い所に触れてしまう”

そのように書かれていて。
そうだよな。そうだよな。と、共感したから。

文字。

しかもそれを、その人が自分で綴っていく手紙。

例えば
それが読めないくらいに下手な文字だとしても
くすくすと微笑んで
その人を読む時間が愛しい。

文字。
それに意味は無いのにその人が現れる。

そんな事さえもやりとり出来る手紙って
なんて素敵なんでしょう。

熱くなってそんな事を語ってしまう。

簡単に今何をしているか近況を報告出来るツールは、増えて。

でもそれは誰かに語らされているような気もする。
制限の中で、縛られた時間や虚像。その中で。

手紙は、そんなものさえも飛び越えてしまうような気がする。

うまく書けない事が現れて
その感情や日々の生活をまとめるまでの時間が現れて。

そこにあるものは、文字のようでいてそうではない。

きっとそういうものが現れるものが手紙だと思う。

なんて
文通に夢を見過ぎているのかしら。

叶うようでいて叶わない。

そんなものに夢を見ていたい。

文通をしてみたいな。

あなたの日々をその時間の流れ方を手紙が教えてしまうような。

そういう風に
それぞれが生きている時間を感じていたい。

その中に関わりを築いてみたい。

そう言う風に大切に思える出逢いがある世界に生まれてきたとあなたが伝えられる手紙を持って生まれてきた。

そんな事を綴ってみてもいいかしら。


最後まで読んでいただきありがとうございます。