この世界には2種類の伏線が存在する

【伏線】ふく-せん

小説や戯曲などで、のちの展開に備えてそれに関連した事柄を前のほうでほのめかしておくこと。また、その事柄。

goo辞書


飲み会の帰り道のこと。

南北に延びる一本道を北に向かって一人歩いていると、道端に何かが転がっている。

近づいてみるとコンドームの空箱であった。


(ここで開けてどう使うんだよ)などと思いながら北上する。

するとまた道端に何かが転がっているのが見える。


近づいてみると凄十の空箱であった。

ここで私はあることに気づく。


これこそが真の伏線だ。


凄十の空箱があることで、コンドームの空箱は凄十を飲んだ後に開けられたものであるということが判明した。ポイ捨て犯に南下のベクトルが生まれたのだ。(実際にそうなのか、犯人が同一人物なのかはわからない)

伏線という言葉が社会に浸透してからかなりの時間が経ち、最近の作品にはどれも必ず一つは伏線があると言っても過言ではない。

しかし、最近の伏線はかなりチープなものが多いように感じていた。

正体のわかっていない人物は実は身近な人であった、言い淀んでいた重要な事実がのちに判明する、などの「伏線」は個人的にはあまり評価できなかった。(今想像で作ったものなので特定の作品を批判するわけではない)

具体的な理由は分かっていなかったが今回の事をうけて明確になった。

私は「最初に投げておいて後で回収するタイプの伏線」が苦手なのだ。

いや、もっと正確に言えば「「最初に投げておいて後で回収するタイプの伏線」を素晴らしい伏線として過度に持ち上げる風潮」が苦手なのだ。


「最初に投げておいて後で回収するタイプの伏線」を以下ではフクセンと表記する。

フクセンは確かに面白い。

(これ絶対どっかで回収されるだろ…w)というワクワク感は何物にも代えがたい。

しかしこれと凄十の空箱の伏線が同じ土俵で評価されていいのだろうか。

凄十の伏線は「後に起こった事象が前にあった出来事に新たに価値を付与する」タイプの伏線である。

このタイプの伏線を以下ではフック船長と表記する。

フック船長は気づいた時のいい意味で背筋が凍る感じが病みつきになる。

フック船長の具体例として私がパッとでてきたのは暗殺教室の修学旅行編のカエデの葉っぱである。あれに気づいた人すごい。

フック船長は芸術点がかなり高く、わかる人にだけわかるという気持ちよさが良い。

フクセンとフック船長はある程度構造が似てはいるものの付与する価値の種類がかなり違うように感じる。

フクセンは「あれ絶対今後回収されるよな」と共感を呼ぶことで人々を集め、フック船長は「気づいたの俺たちだけだ」と人々を分離する。

いっそのことこれら2つに別の名称を付けるのはどうだろうか。


ここまで書いてきて思ったが、一番最初に辞書から引用した伏線の定義に近いのはフック船長よりもフクセンではないか?

本来フック船長は「伏線」と呼び、フクセンは出ていってもらえませんかね…という流れにする予定だったが、途中でこのことに気づき急に舵を切った。

あれ、もしかして出ていかなきゃいけないのは私の推しているフック船長の方ですか?

そうですか…。それでは、ヨーソロー。




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