映画の感想 メタモルフォーゼの縁側
アマプラでパンとスープとねこ日和というドラマと、その後メタモルフォーゼの縁側を見ました。
最初のドラマは4話で終わる緩やかなドラマなのですが、『かもめ食堂』や『めがね』『プール』の映画に出てくる俳優さんたちが出演していて、雰囲気も同じ感じでした。『かもめ食堂』を初めて見たのは、高校生の頃だったので、10年以上前でした。このドラマに関しても、2013年と出ていたので、同じ頃に制作されたものだと見た後に知りました。
世田谷線沿いの、松陰神社あたりが舞台で出てきており、今はよくわかる場所だけれど、当時なら見ても分からなかったな、ということを思いました。
映画を最近また楽しく見れるようになったことが嬉しいです。映画の好きなところは、年齢が変わって、重ねてみる視点が変化した時に、また楽しめる点と、映画そのものは変わらないので、過去に好きだったものを見返したときに、ああ、好きだ!という体験を閉じ込めておけるお気に入りの宝箱のようなものだからです。また、誰と見たか、どこで見たか、という体験の思い出もできるので、道中楽しかったことだったり、映画が終わって感想を言い合ったり、その時々の友人とみたり1人で楽しんだことが、ポジティブな楽しさとして残ることが嬉しいです。
小さい頃は、収集癖が強くて、こだわりを持って好きなものをボックスにしまい込んでいました。月刊漫画の付録だったり、シールや、グッズだったりです。
この間実家に帰った時に、丸ごと捨てられていました。
バービーシリーズの、アジア系の女の子が昔いて、リリアンと言うのですが、自分で選んで買ってもらったのを覚えています。自分で選んだことがそう経験がなかったので、当時4歳辺りで、それから10歳までずっと遊んでいました。どこに行くにも持っていって、寝る時も一緒でした。近くにないと不安だったので、すごくお守り的な存在で、かつ友人的存在でした。いろんなことを空想して、外に出て行くことも、家で遊ぶ時間も、1人遊びがとても楽しかったです。
記憶に残っている部分は、大部分を忘れてしまっても、また思い出すことができます。なので、物語のあるものは特別に大切な存在です。映画も、漫画も、アニメも、そういうところが特別です。
それから、『メタモルフォーゼの縁側』の映画を見ました。
私自身恥ずかしい話ではあるのですが、19歳になって、二次創作で小説を書くようになって、22歳まで夢中になっていました。自分で印刷して、九州のど田舎の陸の孤島に住んでいたので、イベントという存在が遠くて、憧れて、プリンターで印刷して本を作ったりもしていました。
それから、24歳と、25歳になって、働きながら同人誌を作ることもやってみました。イベントに初めて参加してみて、充実感や、興奮状態に近い楽しさがあって、それからもう数年経って懐かしい気持ちと、その時の充実して楽しかった気持ちを思い出しました。
主人公の女の子は、高校生で、私の年齢だと遅いくらいで、技術も見合っていなくて初心者で、みっともない気持ちにもなったのですが、映画がとても良くて、時間は容赦なく進みますし、年齢はどんどん重なりますし、やりたいことも、できることも、限られてはいて、すべて全部を抱えて行くなんて傲慢なことはできません。
なにを実現したくて、表現したくて、その時々やることを丁寧に一つずつ集中して取り組んでいくこと、その中でも、楽しむ気持ちを持ち続けられるようにすることの大事さを改めて感じました。
おばあちゃん役の方が純粋に楽しむ、しかも夢中に楽しむことに積極的で、自分の母親を思い出しました。
ストレスや葛藤をうまく受け流して、同居させてもつぶれない秘訣がそこにあるな、見習いたいな、と思いました。人生の先輩からは、学ぶことが多くあります。
出会ってよかった、と感じさせてもらった映画でした。
ドラマも、映画も、良かったです。
昔から邦画が好きで、洋画はここ数年好きなので、映画についてまた改めて書きたいと思います。
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