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近況の学び 不安の軽減と視野が広がったことについて

通信制の美術大学に入り、講義を受けて半年が経過しました。
今日は事前に申し込みをしていたZOOMでの教員面談を受けました。
自宅でZOOMを使用しての講義・制作を進めていく中で見えてきた自分の課題を知ることが増えて来ました。
課題が見えてくることは一つステップアップだったのですが、課題を改善するためには数日ではなく、もっと長い期間がかかります。

面談の前に、4月から5月に今年の年間計画を立てていたのですが、半年が経って3年計画を具体的に立てました。その上で、今不安に感じていること、計画の流れを教員の方に相談して期間の調整・見直しをしました。
面談をすることは緊張していたのですが、教える側の教員の方から意見を伺うことができて良かったと思いました。

数日前の授業の中で、要領が掴めない部分がありつまづいた感覚が残っていたので、そこも気がかりでした。
気がかりに心に残った部分に対して、授業を振り返ってPDCAサイクルを回したこと、また計画を立てた上で、いま大きく不安に感じている部分を明らかにしました。面談前日には、自分なりに今やるべきことが見えて来たので不安が軽減されました。

また、いまやりたいと思っていることも明らかにしました。
面談を行なって、これから卒業制作で何を描きたいのかも考えておくことをアドバイスいただいたのですが、半年経過した今は知識や技術を習得できるようについていくことで精一杯な現状もあります。

複数回にかけた講義があるわけではなく、講義以外の時間でテキストを読み、制作を進めていくこととなります。授業前に指定されている課題にも取り組んだ上で講義に参加することとなります。
何をどのくらいやるのか、そこから何を学ぶのかという部分を理解しておくこと、準備が大切になります。

写生、スケッチ、本画制作と進めて行く中で何が違うのかもよくわかっていませんでした。
スケッチでは、モチーフを取材すること、構造を知ること、性質を知るためのものだと感じました。モチーフの持つさまざまな側面を描いて理解するためのものだと解釈しました。

写生となると、一つの画面の中でモチーフを組み合わせた魅力的な部分に焦点を当てて描いていきます。構図や、光源、色調といった部分が細密になります。
大学の写生の場合、モチーフに指定があるため、指定の中で魅力をとらえて描くことを目標となります。
制作となると、そこからさらに自分の表現したい部分が前面に出せるものになります。
スケッチは自分の中のストックを増やすこと、見え方や描き方のインプットになります。
表現度が制作に行く程高くなります。制作が完成すると、人の手を離れたものになります。

新しい環境に身を飛び込んだことで、別のことも理解したことがあります。
最初は何も知らない状態です。
そこから、何かしらきっかけがあり興味・好奇心が湧きます。

行動に進んだ場合、学習を始める動画教材でも、本でも、大学や専門学校、など第三者から習う人になります。

知識や技術を一度習っただけでは、まだ知った状態なので、そこから研鑽して自分で使えるように繰り返し取り組み、時間をかけていくことで知識や技術を使える人になります。

使えるようになった状態を修得した状態となります。

次に、知識・技術を活かして表現したいものを追求していくことができるようになると、表現者になります。ここまで行くのにはステップをひとつひとつ登っていく必要があります。

そこまで行くと、知りたいと思って学びたい人に対して言語や、技術、知識を活用して伝達、継承していくことができます。

好奇心→行動→学習者→研鑽→習得者→プロ→継承者という流れがあるのかな、という理解をしました。

仕事の経験を重ねて振り返ってみると、以前の大学を卒業した段階では学習者の段階で卒業しています。そこから就職して研鑽することで、年単位で習得者となります。数年経つと、仕事は自立した状態で1人でも問題なくできますし、新しく入ってきた新入社員にも仕事を伝えること、教育にも関わることができます。

ただ、注意することとして未経験な分野に関しては新入社員と同じ状況になるため、細分化されている仕事では特定の分野では習得した状態であっても、別の分野では学習者や研鑽のステージであることもあります。

色んな分野に精通している場合には、それだけ経験が豊かな人なので、特定の分野に誰にも負けないような職人のようなプロになる人もいれば、広く色んなことを知っている人もいます。
そういう過程を知りました。全部完璧に見える人もいますが、そういった人は特殊です。人それぞれ動いている分野が違うだけで、仕事だけに焦点を当てるとすごい人でも、家事も、人間性も、子供がいる人は育児、教育、料理、掃除、お金の管理、健康管理等、人の生活はいろんなことを複雑に色々やっています。

言語化して明確化していないだけで、得意なことも、苦手なことも出てきます。時間という制限がそもそもあるため、得意なことに集中するために家族や、お金を支払って第三者の力を利用して生活する場合もあります。
時間の制限があることを自覚して、何に時間をかけるかを選択することは自由です。けれど、これができるから偉い、すごい、できない人は偉くない、といった優れている・優れていないという判断をしてしまうことは試験のような見方で人を判断している浅はかなことだと実感しました。行動に対しての正解・不正解がある場合もあります。けれど、正解・不正解では区別できないことも多いことを踏まえて考えていくことが、自分で自分の首を絞めないことです。

だから、誰にでも得意なこと・不得意なことがあります。なので、不得意なことがある自分を恥ずかしく思うのではなく、その状態は当たり前だと考えても良いです。
得意なことを伸ばしてもいいですし、不得意な部分を改善しても、どちらも自分を磨くことになっています。どっちがいいということはなく、どちらを選択してもいいということです。それを決めるのは自分に選択権があります。
大事なことは、自分のこととして考えたり行動したりすることは問題ないです。けれど、他者を値踏みするような考え方や行動はやってはいけません。
また、他者と比較して自分を下げることも、よくないです。他者のことで自分が見ているのは一部分であり、当人ではない限りその人を知るには深く関係構築を知っていったとしても、全ては知り得ません。
一部分を切り取って比較することは、相手にとっても、自分にとっても失礼なことです。
仕事をしていく中で、同僚と比較されて指摘されることがあったとしても、習得に不十分な部分がある具体を明らかにして磨くことは必要ですが、それが人間として劣っているわけではありません。
言っている側も、言われている側も混同していることも多いです。
人間性の否定はパワーハラスメントになります。それは、先輩であっても、後輩であっても、立場がどうであれ許されることではありません。なぜかというと、その人の一部分を見ただけで、自己解釈をして人間性まで否定することは、その人の尊厳を下げる行為だからです。
関係構築を進めていく中で、人の合う・合わないもあります。生き物なのでそういうものです。
不安になりすぎず、プレッシャーを勝手に感じすぎず、自分の期待・目標を具体に明確化して行動を明らかにすることが自分に合っている方法だと実感しました。
前準備と、研鑽を素直に、正直に、時間をかけて表現できるように今後の生活も進めていきたいです。
前向きに慣れていい1日でした。



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