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嫁VS姑&小姑100年戦争①~No.53

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田舎の長男の嫁の日常を結婚時から紐解くシリーズまとめ
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#嫁姑

嫁VS姑&小姑100年戦争⑥

嫁VS姑&小姑100年戦争⑥

本編③~さて保母を辞めた、いや辞めさせられた私の日常は、たまに自営業の経理の手伝いや現場の手伝いに、近居から近い現場には10時、15時のおやつを持って行っていた。平日夕方まではバイトのおじさんと姑だけだったが、日祝日には昼も作りに行って、夫の知人がたくさんバイトに来た時には、リクエストでサンドイッチも作ったりして、16時には買い物に行き夕飯支度をしていたので、なかなか忙しい毎日だった。

そして、

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嫁VS姑&小姑100年戦争⑤

嫁VS姑&小姑100年戦争⑤

本編②~少し寄り道したが、嫁いでまもなくの義父の葬儀まで戻る~焼場へ向かう霊柩車の中で、息子を亡くし、うなだれている大舅大姑を横目に、姑が嫁の私に、突然「この中で血がつながっとるのは◯◯(夫)とわしだけじゃ。」と言った。どういう意味で言ったのか、今なら嫉妬だとわかるが、当時若い嫁の私には理解できなかった。

焼場から戻り、仕上げ膳で近所の人にお礼を言い、近所の人が帰り、片付けも済ませ疲れたので帰り

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嫁VS姑&小姑100年戦争⑱

嫁VS姑&小姑100年戦争⑱

本編⑮~産後の体調が戻った頃から、また大姑が、「お母さんとおじいさんがケンカしてケンカしてどうもならん、やっぱりあんたらが晩御飯におらにゃーいけん。」と言い出した。
産後の約二ケ月間、帝王切開の後が悪かったので、午前中、大姑に長男だけ見てもらっている時間は平和だった。次男の子守りをしながら、NHK学園の通信教育で複式簿記を勉強していたのだ。やっと少し自分の時間が持てたのに…と思ったが、仕方なく二人

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嫁VS姑&小姑100年戦争No.24

嫁VS姑&小姑100年戦争No.24

本編21~今はもう姑のことは知りつくしているので、夫の母を嫌う気持ちがあってもそれは仕方ないことだと悩まないが、当時はさだまさしじゃないけど、「姑小姑 賢くこなせ たやすいはずだ 愛すればいい~🎶」とにかくこちらが愛すれば届くものだと思っていた。

姑にも大舅、大姑にも心から尽くした。なのに、なかなか届かない。なぜだ。そんなに私がダメなのか?心がしんどい時は、この人達は明日死ぬんだ、だから優しく

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嫁VS姑&小姑100年戦争①

前編①~中学の同級生であった夫と私はそれが縁で、23才の時に、5年の交際の後、結婚した。
夫には当時、祖父母、両親、弟妹がおり、◯郡◯町という田舎の大百姓で、小さな廃業寸前の自営業も経営していた。跡取りの長男だった。

私は結婚と同時に、市役所の保母を辞めて家庭に入った。

それは、夫の母つまりこれから長い闘いとなった姑の言い付けでもあった。
孫の面倒を見る暇はないから、保母は辞めて家に入ってもら

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嫁VS姑&小姑100年戦争②

前編②~そんな封建的な姑は、結婚前に私達の婚姻届も実家の私のところに突然持ってきて、目の前で書かせた。

これって結婚する二人が役所で書くものじゃないの?と思ったが、いちいち反抗するわけにもいかず従った。書いている間もずっと真横から見られていて、感じは悪かった。

また、結婚式の写真が1冊10万円もして高いから、集合写真一枚にすると言い出し、結婚前の夫からその事を電話で聞かされた時には、もう結婚辞

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嫁VS姑&小姑100年戦争③

嫁VS姑&小姑100年戦争③

前編③~書けば次々と、式一つとっても悲しいことだらけだった。とにかく息子の結婚なのに、自分の思い通りにしたがり、全く誰の結婚なのかわからなかった。

こちら(嫁側)の呼べる人数が25人位に制限され、私の祖母を呼べなかったのが今でも本当に心残りで、披露宴が終わった時に思うに、夫側=姑側は姑の姉の孫まで3人3席とっていた!それを見た時はやるせない気持ちだった。

また、夫が披露宴が町内なのに、30分か

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嫁VS姑&小姑100年戦争④

本編①~そんな封建的な姑と同居はできないと思い、住まいは近居別居にした。

しかし、新婚旅行から帰って少しして、入退院を繰り返していた義父が亡くなった。
すると、夫の祖母つまり大姑が、寂しいから一緒にご飯を食べてくれと言い、毎日ご飯支度に通うこととなった。
しかし、このお金で支度してくれということはまるでなく、私達の自腹だった。

夫は当時、別の会社で働いており、17時半に帰り、20時まで自営業の

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嫁VS姑&小姑100年戦争⑦

嫁VS姑&小姑100年戦争⑦

本編④~すでに書いたように、近居から、毎日ご飯作りに婚家に通う毎日だったが、普通はその近居に国民健康保険や年金代の集金人が来るはずが、大姑が自分がまとめて払うからと伝えたので集金に来ない。なので、私達は大姑に払い、大姑が集金人に払っていた。
集金人にすれば、大姑が出してあげてると思ったに違いない。領収書はもちろん大姑が持っていた。

また、大姑は、私達が払った色々な(経費で落とせそうな)領収書まで

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嫁VS姑&小姑100年戦争⑧

嫁VS姑&小姑100年戦争⑧

本編⑤~さて、毎日の5人の食卓だが、はじめ、姑は私と夫の間に陣取り、二人を並ばせなかった。姑と私の間には炊飯ジャーを置いたが、まだ46歳と若いのに、絶対自分でご飯をよそわなかった。空になった茶碗を私に差し出してよそえと言うのだ。ご飯だけでも4杯食べるから4回に、おかずのお代わりが二回。大舅や大姑も2回ずつで、夫もそれ以上に食べていたから、お代わりをよそってばかりで、私は最後に一人でゆっくり食べるの

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嫁VS姑&小姑100年戦争⑨

嫁VS姑&小姑100年戦争⑨

本編⑥~大舅であるおじいさんの良い所二個目~私達が結婚して5年後、義妹が嫁ぐ日の朝、4時か5時半頃婚家へ行き、朝御飯を作り、親戚の女の人もうちで美容師さんに着付けてもらったので待つ間、お茶を出したりしていた。

私の着付けは最後だったが、着付けてもらう前に外に出ると、おじいさんがいて、「ご苦労さん。」と声をかけてくれた。姑も大姑も小姑も、労いの言葉一つなかった中、このおじいさんの言葉は嬉しかった。

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嫁VS姑&小姑100年戦争⑩

嫁VS姑&小姑100年戦争⑩

本編⑦~時間が前後するが~結婚して1年半後、夫は会社を辞めて、自営業1本にした。つぶれかかっていた家業も上向きになり、仕事もどんどんこなして売上も上がっていった。

私も一人目が生まれ、二人目がお腹にできたばかりの頃で、子育てと家事が忙しかった。まだ、近居から婚家へご飯作りに通っていた。もちろん、食費は全くもらえないままだった。

なのに、大姑からもらう給料は、夫が辞めた会社からもらっていた給料よ

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嫁VS姑&小姑100年戦争⑪

嫁VS姑&小姑100年戦争⑪

本編⑧~夫が家庭内のことには何も言わない、目の前でイヤな事を言われていても何も口出ししない、仕事のみの人だったので、大姑や姑はこれ幸いで、とにかくやりたい放題、言い放題。嫁としてはやりにくい毎日だった。

初めての子供がお腹に出来たとわかった時も、姑は、「はあ、しこんだんきゃあ。」と言った。今、書くのもためらわれるような下品な言葉だ。呆れることに、おめでとうの一言もなかった。
二番目の子が出来た時

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嫁VS姑&小姑100年戦争⑫

嫁VS姑&小姑100年戦争⑫

本編⑨~時間がまた前後するが~一人目のお産の入院中も、婚家は夫のみ来ただけで、誰も祝いに来なかった。祝金はもちろんない。

産後は普通に実家へ帰ろうと思った。でも、「嫁の実家の孫じゃない、うちの孫じゃ。」と大姑が言っていると夫から聞かされて、退院後は婚家へ帰った。婚家で1週間泊まったが、「◯ちゃん(夫)、風呂へ入れ~。」とは言うが、私にその言葉はなく、昼間の授乳の時に湯沸し器の前で、タオルを温め、

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