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18AUの果てに

 意識が戻ってきて目を開けたが、暗いままだった。視界の左に小さな赤いLEDランプが見える。
 体をよじらせると、どうやらベルトで固定されているのが分かる。わずかな明かりで少し目が慣れると、そこは狭い空間だった。まるで棺のような――いや。
 思い出した。
「AI、モニターをオン」
 かすれた声に自分でも驚くが、AIはそれでも認識した。一瞬の間ののち、前面がパッと明るく――は、ならなかった。そこは星空だったからだ。いや、空ではない。星の海だ。
 ここは地球から遠く、本当に遠く離れた真空の中なのだ。
「時間切れ、か……」
 俺は起きたくて起きたわけでも、起こされたわけでもない。単に脱出カプセルの、五年間を保障する仮死維持機能が限界を迎えたのだ。つまり救助が間に合わなかったと言うわけだ。
 空腹も感じないし、思考もぼんやりしている。どうせなら仮死からから本当の死に追いやれば良いものを。最後に起きて一縷の望みにかけろと言うのか? あるいは神に祈る時間を与えられたのか。
「少佐……アイリス」
 俺をこの場所へ送り出した女性の名を呼ぶ。実験は成功したのだろうか。いや、成功のはずだ。
 俺はニ七億キロメートル――18AUを飛び越えたのだから。

*

「失礼します」
 俺はプライベートルームのドアを開けたのち、さっと敬礼する。
「ご用件は何でしょうか、アイリス少佐」
「ロデリック大尉、よく来てくれた。そちらに座りたまえ」
 ショートカットで眼鏡をかけ、白衣を着たアイリスはいかにも科学者然としている。宙軍内での立場上、少佐という地位が必要だっただけで、れっきとした科学者、工学博士だ。そして今回のMBプロジェクトの総責任者でもある。
「まだ何か、必要な打ち合わせがありましたでしょうか、少佐」
 俺はソファに座りながら尋ねる。アイリスは備え付けの小さなキッチンでグラスと氷を用意している。
「少佐はやめていい、プライベートだ。少し、実験前に話をしておきたくてね」
 そう言いつつも、口調は変わらない。相変わらず女性らしからぬつっけんどな言葉遣いだ。やがてアイリスは淡い琥珀色の液体が入ったグラスを二つ持ってきて、テーブルに置いた。
「ブランデー?」
「アップルジュースだよ」
 アイリスは笑う。
「大事な実験前だ。二日酔いで乗り込んでもらうわけにはいかないからな」
「まあ、そうか」
 俺とアイリスは軽くグラスを当ててから液体をのどに流し込む。上品な甘さだ。
「……こんな質のいい飲み物、出して良かったのか」
 俺はふと窓の方に目をやる。外には月より二回りほど大きな赤い星――火星が見える。このステーションでは地上と違い、物資は特に贅沢品ほど貴重になる。
「こんな場所で手に入れるの大変だったんじゃないのか」
「なに、これでも少佐だ。物資の融通くらい簡単さ」
 ふふ、と笑いを漏らしてから、ふと真顔になる。
「――怖いか?」
「いいや」俺は軽い口調で、しかし本音を答える。
「いつもと同じさ。軍の戦闘機、輸送機と大して変わらない」
 窓枠の中に、少しずつ実験船が姿を現してくる。飾り気のない円錐形。底になる円側にマイクロブラックホール の回転機構を備えた、巨大な実験船だ。
「船がでかいだけで、むしろいつもより楽なくらいだ。ほとんどはコントロールルームとAIがやってくれる。俺はあくまでMB機関が無事、人間をジャンプさせられるかどうかを見るための、単なる荷物だからな」
「すまない」
 突然アイリスが謝罪する。
「ロデリック、君を実験動物のように――」
「らしくないな」
 ははっと軽く笑いを漏らす。
「むしろ感謝してるんだ。ようやく恩が返せるってな」
「ロデリック」
「あんたが目を掛けてくれなかったら、月面軍を裏切った俺がこうして連邦軍で大尉になるなんて考えられなかった……」

 もう十五年になる。月面都市群は地球に対して独立戦争を仕掛けた。
 その時の俺はまだ小さく、少年兵として駆り出された。だが俺は聡明な――いや、変に美化するのはやめよう、俺は単に死にたくなかったのだ。大人たちが仕掛けたその無謀な戦争は確実に負ける、そう考えた俺は友人と共に月面軍を裏切った。
 結果はその通りになった。父と母は死んだが、俺は友人と弟と共に生き残ったのだ。
 戦後、俺たちは軍に残り、宙軍パイロットになった。だが裏切った兵士が重用されることなど、ない。またいつ裏切るか分からないからだ。
 だから良く、テストケースで使役された。戦闘機のデータ取りや、耐久テスト、試験飛行。限界を測る危険な試験などは特に回ってきた。まるで使い捨てても問題のない、消費財のように。
「やってくれる、と思ったんだよ」
 アイリスはグラスを置いた。氷がカランと音を立てる。
「君は他の友人と違って、ネジが一本外れていた。いい意味で、だ」
「私に取って、のだろ?」
「そう。私の無茶な要求に必ず応えてくれた。火星大気内の失速実験、よく覚えてるぞ」
 実験、テストとはいえ、人が乗る以上安全係数は必ずかけてある。アイリスはそれを取っ払った要求をしばしばテストパイロットに指示した。
「噂は聞いていた。冷徹で天才な科学者だと。あの時聞いた声は、それを裏付けるのに充分自信に満ちていた。だから俺はあんたの声に従った」
 限界を超えた実験の結果は予想以上の結果をもたらし、大気・宇宙両用機の開発は一気に進んだ。アイリスは地位を押し進め、応えた俺もそれ以降、何かとアイリスの実験に付き合うことになった。
「あんたの実験は緻密で間違いがない。そう確信して、俺はあんたについて行くと決めた。正しかったと、今でも思うよ」
「こんな、無謀な実験に付き合う羽目になってもか?」
 窓の外の実験船は全体をすべて見せていた。
 MB機関はマイクロブラックホール の高速回転で空間の重力絶縁を破壊する。僅かに回転軸をずらすことで『穴』を船の前方に発生させ、飛び込んだ実験船を一気に太陽系の端までジャンプさせる。
 無人実験は成功した。しかし動物実験は行われていない。過激な愛護団体の反対があり、結果、奇妙なことに有人実験を先に行うことになったというわけだ。いきなり生体をジャンプさせるのは、全く影響が判らないという点で無謀と言えば無謀だろう。
「あんたはそう思っちゃいない。絶対に成功すると確信してるんだろ?」
 アイリスはすぐには答えず、しばらく船を眺めてから、ぽつりと呟いた。
「怖いのは私かもしれないな」
「成功するさ」
 俺は残りのジュースを一気に飲んだ。
「そう思ったから、俺は自分で立候補したんだ。ワープした最初の人類という栄誉は、俺のものになる。ま、あんたの手のひらかもしれないが」
「――そうだな」
 アイリスも残った液体を飲み干すと立ち上がり、二人分のグラスを片付けるべく持ち上げる。
「さあ、話は終わりだ。明日の実験は頼むぞ」
「もちろんです、少佐」
 俺は立ち上がり、わざとらしく少佐と呼びかけ、それからずうっと考えていたことを口に出す。
「アイリス、結婚してくれ」
「――なんだって?」
 グラスをキッチンに持っていったアイリスが戻ってくる。
「今、なんて言った」
「結婚してくれ、と言ったんだ」
 俺はまっすぐにアイリスを見つめる。
「この実験が終わったら、アイリス、あんたと結婚したい」
 アイリスはしばらく俺の顔をぽかんと見て、それからクックックと笑い出した。
「おかしなことを言ったか、アイリス」
 少しバカにされたような気がして、俺は口を尖らす。
「すまん、いや、違うんだ」
 アイリスはんんっ、と笑いを堪えるように咳払いをして、真面目な顔になった。
「あー、こんな分かりやすくフラグを立てる奴がいるとはな」
「フラグ?」
「悪い意味でのジンクスさ。『この実験が終わったら、俺、結婚するんだ』――そういうことを言うと、実験は失敗して主人公は死ぬ。迷信、言い伝えの一つだ」
「ああ、それは――悪かったな」
 俺は憮然として答える。
「で、答えは? 言っておくが俺は大真面目だ。あんたにとっては突然かもしれないが、俺はずうっと想ってきたんだ。ただ、このMBプロジェクトに全てを賭けているあんたに余計な心配をさせたくなくて、それで」
 早口になる俺を、手のひらを出してアイリスは止める。
「分かってる」
 アイリスはふう、と息を吐いた。初めて見る、アイリスの優しげな目つき。いつもの、全てを計算と実験の対象で見る目ではなかった。
「こんなタイミングでプロポーズとは、実に君らしい。そうだな、私の無茶に付き合ってくれる相手などロデリック、君ぐらいしかいないだろう」
 手を広げ、ゆっくり近づいてきたアイリスとハグする。
「良いとも、ロデリック、私も君が好きだ。どうか無事、実験を終えてきてくれ。待ってるからな」
「――もちろんだ」
 ほんの少しの時間をおいて、俺はアイリスの部屋を後にした。

*

 シーケンスは終盤に入った。
 コクピットとは名ばかりの、何かしらの事故が有れば切り離しが可能なカプセルユニットの中で、俺はコントロールルームからの通信を聞く。
『MB機関、磁力誘導開始』
『回転数上昇――五、六、――十。安定しています』
『仰角ゼロ、軸方向誘導開始』
『一度……二度……三度。誤差計測値以下』
『重力傾斜を観測、絶縁破壊まであとカウントニ〇』
『ロデリック、センサー類に異常はないか』
「異常なし」
 計器類に目を走らせ、俺は予定通りに答える。
『異常なし、了解』
『到達予定は天王星軌道三八〇五、距離約ニ七億キロメートル』
『出現ポイントに障害物なし、エリアグリーン』
『カウント一〇』
『ロデリック』
 アイリスの声だ。
『天王星軌道では観測船ステラ七号が君の出現を待っている。18AUの向こうで、約束を果たしてくれ』
「ああ」
『……ニ、一、ホール確認!』
 モニターに、黒い闇に押しのけられた光の輪が映ったかと思うと、ぐっと体がシートに押し付けられた。前方に落ちていく感覚。
『ハイパースペ……とつ……』
 ぶつり、と通信が切れる。
 僅か二秒、奇妙な曳航感の後、もう一度リングを潜るとモニターには再び星の海が映った。
 だがおかしい。星はモニターを流れており、つまり船が回転運動を起こしている。
 ほんの一瞬、チラリと輪をたたえた天王星が映る。ジャンプ自体はしたらしい。
『船体を確認、回転している!』
 ステラ七号だろうか、通信が入る。
 いくつかの計器が警告を発している。俺は素早くそれらをまとめて報告する。
「ステラ七号、MBの回転軸が戻っていない、六度だ!」
『磁力ブレーキ作動、機関の緊急停止!』
「だめだ、効果がない」
『重力傾斜を確認、まずい、また絶縁ホールが開くぞ!』
『未計算だ! どことも知れぬ空間に飛ばされる!』
 悲鳴のような声が響く。俺は事前に知らされた緊急停止系スイッチを全て操作する。だが振り回される感覚は変わらない。

『絶縁ホール確認!』

 その声と同時に俺は緊急離脱ボタンを叩いた。
 拘束ベルトが素早く俺の体を固定し、加速感が俺を包み込む。コクピット――緊急脱出カプセルはシャッターで覆われ、回転する船体からどことも分からない方向に向かって打ち出された。
 生命維持のための仮死ガスが流れ出す。
 長い眠りに落ちる直前、俺はフラグの話を思い出していた。案外本当かもしれないな――そして意識を失った。

*

 星の流れはほんのゆっくりだ。
 カプセルがグルグル回っていないだけでも何となく心が落ち着く。たとえ誰もいない孤独の空間だとしてもだ。
 仮死ガスの後遺症か、あまり頭は回らない。そもそも五年かそれ以上、飲まず食わずで半分死んでいたのだから仕方のないことかもしれない。
 まあ、下手に色々考えても仕方がない。俺はこの星の海を見ながら死ぬしかないのだ。むしろ幸いだ。
 俺はどことも分からぬところへ吹き飛ばされたが、実験はどうなったんだろうか。
 一応の成功扱いか、あるいは失敗扱いか。もし失敗ならアイリスはどうなっただろう。地位を追われたか、それとも案外、この実験を糧にもっと出世しているかも知れないな。
 アイリス、約束は守れなかった。フラグ、というのを立ててしまったのが間違いなのか。もう少し、あんたとの時間を過ごしたかったよ。
『ロデリック……』
 ああ、声が聞こえる。懐かしいアイリスの声が。これは幻聴か。
『ロデリック。無事か、ロデリック……』
 スピーカーから聞こえた場合も幻聴というのだろうか? 疑問を感じた俺は答えてみることにした。
「アイリス、ここだ……」
『ロデリック!』
 予想に反して悲鳴のような声が返ってきた。
『起きているのか、ロデリック!』
「……幻聴じゃないのか?」
『幻聴じゃない、見つけた、ロデリック!』
 俺は一瞬混乱したが、回らない頭が結論を出す。助かったのだ。それを確認する。
「アイリス――俺は助かったのか?」
『ああ、ロデリック、六年、六年だ、やっと見つけたぞ』
『動的物体を確認、モニターに出します』
 AIがそう言うと、星空が切り替わり、中央には光る点が現れた。
 六年。保障期間を上回る、そんなにも長い間、俺は宇宙を彷徨っていたのか。そしてそんなにも長い間、アイリスは俺を探し続けてきたのか。
 光る点は少しずつ大きくなり、プラズマエンジンの瞬きと船のシルエットが見えて来る。
 ああそうか、終わったのだ、実験は。無事。覚えているか、約束を。昨日の夜、俺があんたにした願いを。
「アイリス、昨日の約束、守れそうだな。――結婚しよう」
『昨日? 昨日だって?』
 戸惑ったような声がして、それから泣いているような、笑っているような声になった。
『そうか、君にとっては前の夜のことか』
「待たせてすまなかった、アイリス」
『全くだ。全く長い――結婚前夜だったぞ』
「フラグは――取れた、のか?」
『いや、こういう時は、『フラグは折れた』って言うんだよ。さあ、もうじきだ。君を回収して、体に異常がないか調べて――』
「婚姻届を」
『私は六年も待ったんだ、もう少しくらい待て』
「ああ、そうだった。そうだな、もう慌てる必要もない――」
 俺はシートに沈み込む。
 モニターの中では、次第に救助船が大きくなりつつある。
 約束は、18AUの距離と、六年の時を越えて果たされようとしていた。

《了》

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