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『新歴史・時代小説家になろう』第27回日本列島に住んでいた人々がインストールしていた三つの宗教、思想について

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 さて、今回は、歴史小説、時代小説を書く際にヒントになる、彼らの信じた内的世界に関しての大まかな地図を提示できればと思っています。宗教・思想は人類にとってはかなり強烈なソフトであり、これらをインストール、発展させていき、豊かな内的世界を築いてきました。
 もちろん、これらのことを知らなくても小説は書けるんですが、知っていたほうが幅が広がるんじゃないかと思います。そんなわけで、今回もざっくりと説明していこうと思います。

おおまかにいえば、多分三つ

 日本列島に住む人々の内的世界を規定した宗教・思想はかなり沢山の種類があります。何せ隣には様々な思想を生み出した中国が存在し、そこから様々なものの考え方が舶来してきたからです。
 とはいえ、日本列島には、概ね、この三つの宗教、思想が根を張っていたといえるでしょう。

①神道
②仏教
③儒教

 えっ、陰陽道は!? えっ、老荘思想は? おいおい、修験道なんかもあるぞ! ……ええと、とりあえず、抑えて抑えて。
 そうなんです。最初に書いたとおり、日本には様々な思想・宗教が入り込みました。安土桃山~江戸期にかけてはキリスト教も伝来していますし、近代に入ればイスラム教も入ってきています。もちろん、それらの思想・宗教を否定する意図はありませんが、上記三つの宗教・思想ほど甚大な影響を及ぼしていないので、すみません、今回はお話ししません。

おおまかな流れ

 日本列島の思想史を見渡すと、概ね、この三つの関係史でもって語ることができるでしょう。
 まず、日本列島に存在したのは①神道です。日本列島にいた人々が侵攻していたアミニズム的な信仰が緩やかに制度化された神道は、大和朝廷の大王や家臣たちの先祖説話を取り込みながら、やがてある程度のまとまりを見せてゆきます。これが日本神話ですね。
 ところが、この流れは、古墳時代に②仏教が伝来し、ナウいものとして信仰されるようになっていきます。そして、飛鳥時代から奈良時代にかけて、仏教は中国から伝来した最新の学問、国家鎮護のシステムとして国家権力の中に取り込まれていきます。

 仏教伝来前(~古墳時代)
  ①神道 一強
 仏教伝来直後(古墳時代)
  ①神道 vs ②仏教
 仏教伝来しばらく後(~奈良時代)
  ①神道 → トーテム的な宗教として発展
  ②仏教 → 国家を鎮護する宗教として発展

 その後、少しずつ仏教が身近になっていき、「国家システムとしての仏教」という枠組みが緩んできます。やがて、浄土教や鎌倉新仏教、既存宗派の武士階層への布教などによって一般化していくと、神道と仏教という二つの思想を系列化しようとする動きが生じます。これがいわゆる「神仏混淆」です。一般には、「仏が本来の姿で神様は仮の姿である」とする本地垂迹説が有力でしたが、そうでない学説もあります。
 こうした「神仏混淆」は近世に入っても変わりませんが、江戸期に入ると、ここにようやく③儒教が入り込みます。
 儒教そのものは仏教と近い年代に伝来していたとされていますが、僧侶たちが学問として学んでいただけで、日本列島の人々の心性への影響はそこまで大きくありませんでした。ところが、江戸期に入ると、徳川家が儒教による統制を始め、町人、農民の間にも儒教が広がっていきます。このようにして、日本列島の人々の心性は育まれてきたのです。

神道と仏教の変化

 もちろん個人差はありますが、「時代によって、なんとなくこれらの宗教・思想」の受容度合いに違いがあります。
 たとえば、仏教伝来直後であれば、崇仏派と排仏派の対立、つまり、仏教を是とするか非とするかの対立がありました。けれど、時代が降るごとに、仏教を否定する人はほとんどいなくなります(厳密には中世から近代にかけて仏教を排撃する動きはあったんですが、特筆される事項なのでここでは扱いません)。
 ざっと説明すると、

古墳時代以前 : 神道のみ
古墳時代   : 神道と仏教が並立
奈良時代   : 神道と仏教の役割分担発生
平安時代   : 仏教思想の拡大、神仏混淆の始まり
鎌倉~室町時代: 神仏混淆の理論化

 大まかにこんな感じです。
 仏教が少しずつ人々の根に張ってきた感じをご理解いただけると嬉しいなあと思います。でも、ここで大事なのは、このプロセスは神道が仏教に取って代わられたのではなく、むしろ共存の道を歩いたのだと思ってください。
 現代、お彼岸という習慣がありますね。なんとなく仏教の行事だと思われている方も多いと思いますが、インドや中国にはない習慣らしく、もとは神道の行事であったものを日本の仏教が取り入れたものだそうです。

儒教は?

 儒教に関しては近代以前にも学ばれていましたが、広く人々に膾炙するようになるのは江戸期に入ってからです。統治のための理論として儒教が用いられるようになり、思想が制度化されていくことにより日本列島の人々に根付いていきました。

どう役に立つの?

 結論から申し上げると、江戸時代の小説を書きたい人は、儒教のことを少し知っておくと便利なんじゃないかと思います。特に、のちに官学とされた朱子学。江戸時代の武士は、後期になればなるほど行動論理を儒教的な考えに求めることが多くなっていきます。幕末期の武士たちの動きなども、儒教を理解していると吞み込めることが結構あります。
 これが室町時代、戦国時代となると事情が変わります。歴史クラスタの間でよく言われることに「野蛮なる中世人」という話がありますが、これは儒教のくくりが存在しないがゆえのものでもあります。
 また、もう一つ覚えておいてほしいことは、日本列島に住む人々からは、ときどき、思い出したように神道の影響がほの見えることです。
 仏教思想には本来、魂という概念がなく、死んだらすぐに別の生に移行するというのが基本的な考えです。けれど、仏教もまた、魂の存在に向き合っています。これは神道のイメージが深く日本列島に住む人々に刻まれているからなのです。これは、近代人、どころか現代日本人にすら見られる性質なので、結構根が深いです。
 と、テーマにする地域の宗教・思想を少し知っておくと、歴史上の人物の行動理由に説明がついたり、深い理解につながったりするので、ある程度その考え方を知っておくと便利かもしれません、というお話でした。

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