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『おもちゃ絵芳藤』(文春文庫)に出てくる絵師、月岡芳年について

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 今日は『おもちゃ絵芳藤』関連のお話です。
 芳藤の脇を固める登場人物の一人、月岡芳年の話です。

史実の月岡芳年について

 この方はめちゃくちゃ有名な方なので、わたしが云々申し上げるまでもないのですが、さわりだけ。
 江戸の商家の生まれ。若くして歌川国芳の門を叩き修行、幕末期に兄弟子である落合芳幾との合作である無惨絵『英名二十八衆句』などが好評を博し、人気絵師の階を上っていきます。
 明治に入ってからしばらくは神経衰弱に悩まされたものの、のちに回復。明治二十五年に死ぬまで、旺盛な創作活動を見せます。
 その画風は多岐に亘り、武者絵や古典画などでも独特の地位を築いた人物ですが、江戸川乱歩や三島由紀夫らの影響もあり、無惨絵(無惨な場面を描く浮世絵)のイメージで語られることの多い絵師です。
 また、弟子が多いことでも知られており、現代日本画の潮流を遡っていくと、大抵この人物にぶち当たるとまで言われています。つまり、日本画を作った男でもあるのです。

劇中における月岡芳年

 これは芳年に限らないことですが、浮世絵師の仕事はある意味で脈絡がありません。当時の浮世絵師たちは一枚いくらのアーティストではなく、版元など求めに応じて複製画の原画を描く画工ですし、そもそも個人の志向を発露するというアート的な感覚も薄かったのではないでしょうか。実際、本作の主人公である「おもちゃ絵芳藤」こと歌川芳藤もおもちゃ絵ばかり描いていたわけではありません(開化絵と呼ばれる文明開化図や、戯画なども残っています)し、後にご紹介する落合芳幾もおもちゃ絵を結構描いています。十ヶ月程度しか活動しなかったとされ、役者絵や相撲絵など特定のジャンルに絞っていた東洲斎写楽は例外中の例外です。
 そのため、物語に落とし込む際にはある種の「ふるい」が必要になります。
 わたしが本作で芳年の要素として浮かび上がらせたのは、「無惨絵」、「新聞画」、そして「スキャンダル」この三つです。
 彼のパブリックイメージとして存在する「無惨絵」、そして浮世絵とメディアを繋ぐ「新聞画」、そして彼の年譜の一部にある神経衰弱やある筆禍事件などなどといった「スキャンダル」の三つを抽出しました。
 なぜ谷津が彼の大きな要素の一つである「古典画」を外したのか――。これは本書のテーマに関わる問題なので割愛しますが、実はそういう取捨選択にも、作家の企みがあったりするんですよということで。
 ちなみに、実物の芳年さんはかなりお茶目な人でありながらも弟子には厳しい人であったようですが、本作においては一番の年下として振る舞う場面が多かったこともあり、「弟」的な立ち位置にしています。また、本作ではそれなりにわいわい仲良くやっていますが、どーも落合芳幾とは不仲だったとも伝わっています(なお、本書でも描いた、国芳葬儀の際に芳年が芳幾に足蹴にされた逸話は本当だったようです)。
 あんまり一般化しちゃまずい話ではありますが、歴史小説は「小説」である以上、どこかに嘘ないし誇張は混じるので、眉につばをつけて読んでいただけると嬉しいです。

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