『桔梗の旗』を作った際に考えたこと⑤
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本能寺の変の原因を考えるという難事を抱えてしまったわたしこと谷津、あることに気づきました。
もしかして、「信長の人事」みたいなところから、ネタは見つからないだろうか?
信長さんに関してはいろんな研究書や人文書が出回っております通り、色々な分析がなされている人物ですが、その中で、人事に関してかなりユニークであった(というかユニークなことになっている)こともよく指摘されています。
詳しくはものの本を参考にして頂きたいのですが、織田信長という人は、人生の三分の一を尾張の平定に費やし、三分の一を美濃の平定に費やし、そして残りの三分の一を天下のために使っているという年譜を送っております。実は最初の尾張の平定の際に、織田家のうるさ型たちを実質的に黙らせることに成功しているのです。相次ぐ尾張の内紛のせいで親戚は水分減っていますし、反抗的な国衆も白黒つける形で己の部下に取り込むことに成功しているんですね。そして、事実上の敵地である美濃平定、そして天下へと登っていくにあたり、織田家は他の戦国大名には見られない、方面軍とでも称すべき家臣団の編成を見せるようになってゆきます。
こうしたことがあることを念頭に置いた際、ひらめくものがあったわけです。
もしかして、信長さんと光秀さんの対立点はこの辺りにあるんじゃねーの? と。
信長さんと光秀さんの「人事」に対する考え方の相違、これがやがて二人に深刻な対立を生んだ、というロジックにしたとしたら? これ、かなり新しい本能寺ものになるんじゃないか?
かくしてメインロジックが誕生しました。
そこから光慶につなぐのはむしろ簡単なことでした。実は、光慶には(ネタバレのため略)ということがあり、もしかして……? ということも予想されるわけです。
とまあそんなこんなあれやこれやをくっつけ繋げ合いまくり、メインロジックをきっちり完成させた次第であります。
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