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谷津はいかにして『鎌倉燃ゆ』(PHP研究所)で北条義時を書いたのか③

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前回までのあらすじ
 大先輩や実力派作家が目白押しの本企画を前に、悪目立ちしよう! を合い言葉に、歴史小説のアプローチ法の一つである「長いスパンを扱う叙述」を採用することにした谷津であったが、実はこれが地獄の入り口なのであった……。

 そもそも、「長いスパンを扱う叙述」とは何か、って話です。
 皆さんが普段読まれている小説は、おそらく数日~数ヶ月の時間軸の中で展開される小説だと思います。その場合、基本的には視点は登場人物と同一、あるいはすぐ後ろに設定されているのではないでしょうか。今、小説の世界ではスタンダードとされている三人称の特定人物視点、といわれるやつですね。このやり方は視点が低いので各登場人物の実感や五感をテキストに織り込みやすく臨場感が増すんですが、一方で時間の流れが緩やかになってしまい、長いスパンを扱ってしまうと長大化してしまいます。実は歴史小説においてもこの三人称の特定人物視点の波がかなり迫っており、それゆえに特定の事件を扱った比較的短いスパンの作品が人気を得ていたりするのです。
 わたしは本作においてその逆をしようというわけです。
 でも、実は「長いスパンを扱う」ことにより、三人称の特定人物視点とは違った愉しさを出すことが出来るんですよ。
 ずばり、「語り」です。
 わたしの言うところの「語り」はかなり多義的なので意味を限定しておきます。
 たとえば、特定の事実を短い言葉に要約するとします。でも、要約することによって、あるディティールが剥がれたり、事実が編集されることによって、要約する前と後で印象が変わることはよくあることです。優れた文章というのは、読者に伝えねばならぬディティールを残しつつ要約している文章を指すのでしょうが、小説の場合、要約によって立ち上がる印象を計算、配列し、自分の望む色を出すのです。要約によって発生するうねり、それがここでいう「語り」です。
 本作は結局の所、「語り」の小説でした。
 そんなわけで、短いながらも試行錯誤を重ねた小説でもあり、書いていて楽しかった仕事でもあります。果たしてその苦労に見合うだけの内容になったかは――。読んでくださった読者さんのご判断を仰ぎたいところであります。

 というわけで、『鎌倉燃ゆ』好評発売中です。皆買ってね!


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