それさく文庫書影

「曽呂利」「某には策があり申す」ライナーノーツ⑩豊臣秀長、豊臣秀次

【PR】

 今日は豊臣秀長さんと秀次さんです。

 豊臣秀長
 曽(△)  某(〇)  孫(△)
 豊臣秀次
 曽(〇)  某(×)  孫(×)

 まずは秀長さんです。
 豊臣秀長さんというと秀吉さんの弟にして名補佐役として知られ、歴史ファンの間でも人気の高い人物です。この人気の高さは死んだ時期とも関係しているのではないかというのがわたしの考えです。千利休が死ぬ少し前に死んだというその年譜が、のちに老残を晒してゆく秀吉公とは対照的で、豊臣政権の良心として扱われていった感が無きにしも非ずです。
 実は「曽呂利」にも出す計画がありました。けれど、この人をどうしても曽呂利の毒牙にかけることができなかったのです。これまで四百年にわたって積み重ねられてきた「名君」のイメージにどうしても勝つ手段が見つからなかった、というのが今のわたしの正直な思いです。なので「曽呂利」上では「毒牙にかける機会を虎視眈々とうかがっていたものの、先に死なれてしまった」という設定にしてあります。千利休より突き崩しにくいって、秀長公、すごすぎ……。
 そんな秀長公は「某には策があり申す」では一時的に島左近を預かり、彼に陣借り御免状を渡す重要人物となっております。「某~」における最重要人物の一人と言えるかもしれませんね。

 お次は秀次さんです。
 秀吉さんの甥っ子で養子、一時は関白になり豊臣政権の継承者となるはずの人でした。
 俗にこの方は「殺生関白」と呼ばれ乱心の人であったともされていますが、実際はそうではなかったろう、のちに秀吉と対立し、結局切腹するところまで追い詰められたという事態の推移によってのちにそうしたイメージが付与されたのだろう、とされています。そのため、「曽呂利」においては生真面目で天下を支えるプレッシャーと戦おうと奮闘する人物として描いています。そして、叔父である秀長のように、豊臣政権を支えよう、とも。
 「曽呂利」において秀長を追い詰めることができなかった話をしましたが、実は秀次を登場させたのは秀長の代わりであったりします。秀長的な思いを持ちつつも果たせない、そんな姿を描きたかったのです。
 本作においてはただ翻弄されるだけには書いていません。元関白という己の貴さを利用して、獅子身中の虫の動きを掣肘しようとする姿を描きました。実はこの秀次公、個人的に気に入っております。


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?